「(ユハラム。――これで、真砂名の神の星守りも手に入れることができた。全種類あつめることができて、よかったね)」

 よかったねという割には――アンジェリカの硬質な声に、付き人の婦人は、一度びくりと肩を揺らしたが、その顔は平静だった――おだやかな笑顔。

 「(サルディオネ様のご健康をお祈りいたしまして)」

 「……」

 アンジェリカは、立ち止まった。

 

 「(じゃあ、あたしに星守りを全部ちょうだい)」

 ユハラムと呼ばれた女は目に見えて動揺し、震えだした。

 「(あたしの健康のために集めていたというなら、あたしがもらってもいいでしょ)」

 

 ついに婦人は、がくがくと震えながら膝をつき、こうべを垂れた。

 「(お――お許しください、サルディオネさま。お許しください)」

 「(ユハラム、あたしは、べつにあんたを責めているんじゃない)」

 アンジェリカは手を差し出したまま、しかし、口調は和らげた。

 「(あんたの夫は、メルヴァの軍にいるはずだよね。あたしも姉上も、あんたが夫に手紙を送っているのだと思っていた。でも送り先は、L03だったね。まさか――メルヴァ軍幹部のラフランに星守りを送っているとは知らなかったよ)」

 「(ど、どうか――どうか、お命だけは――!)」

 「(命を取るつもりなんてないよ。念のため聞くけど、メルヴァがなぜ星守りを欲しがったのか、理由は知らないんだよね?)」

 ユハラムは必死で首を振った。その返事は、アンジェリカには予測できていた返事だった。

 「(あたしは、あんたのこの先を心配してるだけ。でも、もう、屋敷に置いておくことはできない。わかるよね? 姉さんやあたしの動向を、逐一メルヴァに知らせていたのはあんただ)」

 「(どうか、どうかお許しください! おふたりのもとを離れては、わたくしは生きていられません!)」

 「(L03にお戻り。ユハラム)」

 アンジェリカは、感情をこめない声で言った。

 「(悪いようにはしない。現職のサルーディーバ様に、あたしから手紙を書こう。王宮におつかえできるように)」

 

 もしもそれがかなえられても、ユハラムはスパイではなくなったのだ。王宮に潜むメルヴァのスパイに消されるか、いまでも数知れず起こっている、小さな政変に巻き込まれて死ぬだろう。アンジェリカには、彼女の哀れな末路が容易に想像できた。

 良くも悪くも、長老会というおおきな抑止力をうしない、たくさんの王宮護衛兵がメルヴァについていき、いなくなった王宮は、惨憺たる有様になっていた。たよりのL18も動けず、かわりに派遣されてくるL20の軍隊も及び腰だ。現職のサルーディーバの命さえ、あやういと言われている。食べるものにも事欠いているのだ。生き神とされるサルーディーバでさえも。

原住民に支配される街も多くなってきた。メルヴァの改革は正しかったのか、こんなひどい生活になるのなら、長老会を追い出すなどしなければよかったのだという怨嗟の声も大きくなっている。

 そんなところへ彼女を帰せばどうなるか。アンジェリカには分かり切っていた。

 

 「(心配しなくても、おまえだけじゃない。付き人はすべて、L03に帰す)」

 「(えっ!?)」

 ユハラムが、涙に溶けた顔を上げる。

 「(帰るのはおまえだけじゃない。みんな帰す――でもこれは、おまえのせいでもなく、だれのせいでもない。以前から、サルーディーバ様とお話していたことなんだ。王宮護衛官がほとんどいなくなってしまった今、ひとりでも多くの戦士を、現職のサルーディーバ様は必要としておられる。だから、一人でも多くの助けがいる――おまえも、いざというときは夫の傍にいてやりなさい。いいね)」

 それは、このユハラムが、日々沈痛な面持ちで願っていたことだった。いざというときは、夫の傍にいたい――けれどもL03に帰れば、命の危険があることを知っていたから、アンジェリカもサルーディーバも、ユハラムを引き留めていた。

結果として、それをかなえることになってしまったけれども。

 「(サ――サルディオネ様!!)」

 彼女の悲痛な声がアンジェリカにすがったが、アンジェリカはだまって彼女を見下ろした。

 

 アンジェリカが姉のもとを離れていたのは、結果としてはよかったのかもしれない。その間に、スパイがあぶりだされた。

 アンジェリカが屋敷から消え、人を疑うことを知らないサルーディーバだけとなった屋敷内で、スパイたちは徐々に油断し、あっけなくその正体を見せた。

 ひさしぶりに戻った屋敷で、ユハラムが、こっそりと人目をはばかるようにでかけるのをアンジェリカは不審におもい、姉に聞いた。姉は、彼女がコソコソしているとは思わなかったようだが、真砂名神社の祭りがはじまってから、毎日のように中央区に出かけていると言った。

姉の手紙を、L03に届ける役目があるわけでもないのに、いったいどうして。

「夫が心配なのでしょう。彼に、手紙を送っているのでは」

サルーディーバはそう言ったが、アンジェリカは疑った。ただでさえ、蟄居中のサルーディーバには長老会の監視がつけられていた。

王宮から送られた者は、だれひとり信用できなかった。

サルーディーバを害するわけでないにしても、こちらの情報をどこかしこに送ることは、じゅうぶん考えられる。

 

 アンジェリカはあとをつけ、彼女がどこに郵送物をおくったかまで調べた。彼女は、真砂名神社の星守りを、L03に送っていた――シェハザールとつながりのある、王宮護衛官に。夫ではなかった。彼は、アンジェリカも知っている、メルヴァとともに、革命に立ち上がったひとりだ。

 届け先が夫であったなら――アンジェリカも彼女のスパイ行為を見破れなかったかもしれない。彼女の夫もまた、メルヴァの信任あつき護衛官だった。しかし、届け先は、まったく夫とは無縁の、メルヴァの軍の幹部だった。

人妻であるユハラムが、彼に連日手紙と星守りを送っている。不貞でなければ、――あとは、ひとつしかなかった。

 メルヴァが、あの星守りを欲しているのか。

 アンジェリカはすぐに予想がついた。

 なににつかうために。それはわからなかったが、ユハラムを問い詰めても分からないだろう。彼女も、おそらく目的は知らない。ただ、送れと言われたから送っていただけのことだ。

 しかし、彼女がメルヴァの部下とつながりがある、それはスパイだということを確定づけた。

 メルヴァと別行動を取っている幹部と連絡をつけているくらいだから、彼女が夫との手紙のやり取りで、こちらの情報を流していることは、まず間違いがないだろう。やさしいサルーディーバは、みなの手紙を検閲しない。覗き見ることもない。

 

 アンジェリカは、なんとか、目を瞑ろうとした。

彼女は、スパイ行為だとは思っていなかったかもしれない。アンジェリカたちは、面と向かってメルヴァと敵対したわけではないのだ。メルヴァは長老会に対しては敵だろうが、サルーディーバたちに敵対したわけではない。

メルヴァがルナを狙っているということは、ユハラムたちはあずかり知らぬこと。この作戦自体は、L03の革命とは関係のないことだ。

メルヴァに元婚約者と、その姉の近況をつたえることは、――百歩譲って、スパイ行為ではなかったとしよう。

しかし、先の彼女の動揺ぶりは、彼女が「スパイ行為」だとわかっていて、それをしていたことをあきらかにした。彼女には、うしろめたさがあったのだ。

 

(メルヴァは、やはり、なにか大きなことを企んでいる)

アンジェリカは今こそそれを確信した。

ユハラムの動揺は、彼女が、この屋敷にいるからこそ手に入る、ちょっとした情報――アントニオやペリドットたちが、ルナを守るために立てている計画のかけら――をも、彼らに流したからこその動揺だった。

ユハラムは、自分のしたことの恐ろしさを、すべてではないにしろ、自覚している。

 

ユハラムらスパイの存在を、アントニオやペリドットも知っていたかもしれない。だから、アンジェリカたちは、メルヴァを迎え撃つ計画の概要を、ほとんど教えてもらえずにいるのか。

アンジェリカが体調を崩す前からだった。

サルーディーバも自分も、蚊帳の外にいるような気がしていた。肝心なことを教えてもらえない――そんな気がしていた。

アンジェリカが真のZOOの支配者になれば、はじめて役割が与えられるのか、分からなかったが。

 

メルヴァは、ルナだけを狙うのではなく、L系惑星群の戦火を拡大させている。もしかしたら、この宇宙船にすら、危機をもたらそうとしているのかもしれない――。

 

アンジェリカは、「それをお貸し」と、彼女が持っていた星守りを取り上げた。ユハラムは、もうあきらめたように、それをアンジェリカに渡した。

ユハラムだけではなく、スパイはもうひとりいる。確信はなかったが、予想はついた。だが、言及はしない。あきらかになったとたんに、彼が自決することも考えられた。アンジェリカは、彼を暴くことはしない。そのかわり、みんなそろってL03に帰らせる。

ユハラムから取り上げたところで、彼がすでに、星守りを送っているかもしれなかった。いまさら遅い。アンジェリカは星守りを握りしめ、ユハラムに返した。

 

「(――あんたに、真砂名の神のご加護がありますように)」

 

L03での暮らしが過酷なものにならぬよう――アンジェリカがそう言って返すと、ユハラムは震える手で受け取り――号泣してうずくまった。お許しください、お許しください、とくりかえし、地面に頭を打ち付けるように泣いた。