百二十八話 模索と真実と




 

 「……」

 ペリドットはバインダーをながめ、中身を読むまえにしばし絶句した。

 数あるカラーバリエーションの中の「いちごミルク」を選択したのは紛れもなくルナだったが、いちご模様のピンクのバインダーに、かわいらしい丸文字で情報が書かれている、便せんが挟まっている。なにか香ると思ったら、バインダーからたしかにいちごの匂いがするのだった。

 「……」

 ペリドットは甘ったるい匂いを嗅ぎ、やっと文章を読んだ。

このあいだ、花火のときに聞いた、「アンジェは、黒いタカさんが乗ってこないと助けられないが〜」という内容だ。

 

 「……」

 ペリドットは、無表情でその一文を読んだ。無表情なのは不機嫌なのではなく、すべき表情が分からなかったためである。

 便せんの一番下には、ルナがかいたであろうウサギのイラスト。ウサギの横の吹き出しには、「読んだらサインしてね! 次のひとに回してください!」と書かれていた。

 クラウド→カザマ→アントニオ→ペリドット→ルナ。

 最後がルナだということは、ペリドットはこのままサインして、アズラエルたちにもたせてやればいい。今日もふたりは、K33区に来ていた。

 

 (――俺も一応、パソコンはつかえるし、メールの存在を知らんわけじゃないんだが)

 ペリドットのメールアドレスはクラウドもアズラエルも、アントニオも知っている。てっきり、メールが来るものだと思っていたペリドットは、ずいぶん古典的な回覧板に一瞬だけ動揺したのだった。

 おまけに、このピンクのいちご柄のバインダーが、世界を揺るがす情報を載せてあちこちを回るのかと思うと、どうしようもない気持ちさえこみ上げてくるのだった。

 

 一度咳払いして複雑な気持ちをおさめたペリドットは、アントニオのサインの下に、アンジェリカのサインとサルーディーバのサインがあったことに目を留めて、

 (ははあ。なるほど)

 この中で、コンピュータを扱えないのは、サルーディーバだけだ。

 ペリドットはサインをし、それから、思いついたようにへたくそなトラのイラストをすみっこに描いた。

 “真実をもたらすトラ”は、ペリドットの肩に乗ったままイラストをながめ、冷静に、「おまえに絵の才能はない」という真実をもたらした。

 「そういう真実は、もたらさんでいい」

 

 

 

 「ペリドットさん、絵がじょうず!」

 ルナはかえってきた回覧板を見て叫んだが、アズラエルは肩をすくめた。

 「ずいぶんなお世辞だな」

 「お世辞じゃないよ! こういうのは味があっていいってゆうんだよ!」

 「――すごいシュール」

 ミシェルも回覧板を覗き込み、ペリドットがかいたトラを見てそう言った。

 「こういうの、古代の壁画とかにあるよね」

 「うん! あるある」

 ルナとミシェルがペリドットの絵を褒めているようには、どうしても思えなかったアズラエルだが、彼はペットボトルの水をひと息に飲み干して言った。

 「ルゥ。メシは好評だったが、無理はするなよ」

 シンクには、すっからかんになった特大弁当箱が置いてあった。ルナは今日、それにおかずをたっぷりつめこんで、アズラエルたちに持たせたのだ。

 回覧板には、「おいしかったよ! ありがとう」というニックのサインと、ルナには読めない言語で、おそらく「ありがとう」か「美味しかった」とでも書かれているベッタラの筆跡もあった。

 「うん! 無理はしないよ。できないときは、しないから」

 ルナは元気よく言い、回覧板を引き出しにしまった。

 

 

 

 こちら、K05区。

 アンジェリカは、すっかりがらんどうになってしまった部屋を眺めた。家具がそっくり運び出された部屋は、信じられないほど広い。

 だが、さみしいというよりかは、この部屋にZOOカードを一面並べてみたら、ものすごく壮観なんじゃないかというポジティブな気持ちさえ沸き起こっていた。

 心配ごとがひとつ減るというのは、ずいぶん心を軽くするものだ。

 最近は食欲も出て来たし、食い遅れかと思うほどよく食べている。今度は太る心配をしなくてはならないくらいだ。

 

 「アンジェリカ、アンジェリカ、これはどこに運べばよろしいですか」

 「……姉さん!? そんなでかいダンボール、ひとりで持たないで!」

 自身が入りそうなくらいの大きなダンボールを――服ばかりはいっているからまだ軽いとはいえ――持とうとしているサルーディーバを、アンジェリカはあわてて止めた。

 「引っ越し業者を頼んだから、姉さんはこれ以上動かなくていいの」

 「アンジェリカ、わたくしは、これから何もかもを自分でできるようにならねばなりません」

 使用人を全部帰してしまった今、サルーディーバは、衣装を着るのも、掃除をするのも、料理も、全部自分一人でできなければならぬと意気込んでいる。

 「うん、それはそうだけど、一般人でも引っ越し業者はつかうよ。だから、姉さんは黙っていてもいいの。荷物を詰めるのは、あたしと一緒にやったじゃん」

 「そうなのですね……」

 サルーディーバはため息を吐いた。物を知らない自分に対する呆れのため息だ。だが、サルーディーバは勤勉なうえ、素直だということは間違いない。これから、スポンジが水を吸収するように、いろいろ覚えていくだろう。

彼女はダンボールを取り上げられてしまったので、箒をとって、すっかり綺麗になった廊下を掃くそぶりを見せた。

 アンジェリカはそれを見て苦笑する。サルーディーバは、掃除の中でも箒で掃くしぐさが気に入りだ。

 「姉さん。掃除はもう十分したでしょ」

 アンジェリカは、カップを数個残してあるキッチンに目を向けて、姉を誘った。

 「バターチャイ飲もうよ。業者が来るまで、のんびりしよう」