「メルヴァは今、ラグ・ヴァーダの武神に操られているだけです。ラグ・ヴァーダの武神の望むこと――世界の破滅か、メルーヴァ姫――ルナを手に入れることか。それを成し遂げるために利用されているだけです。メルヴァがL03で革命を起こしたのは、長老会に支配された腐敗政治を一掃するためのものです。彼はもともと賢い子でした。長老会がなくなった後の、今のような事態も予測していたはず。――メルヴァとは偉大なる予言師なのですから。だから、すべてがすめば、彼は必ずL03に戻ります」

 「――う、うん! ……うん!!」

 「よろしいですか、アンジェリカ。わたくしたちの目指すべきは、ルナの命も、メルヴァやシェハザール、ツァオたちの命をも救う道です」

 「ね、姉さん――」

 「彼らについていった者たちも、できうる限り救わねばならないのです。尊い命を散らしてはなりません」

 姉の言葉を聞いていると、身体の奥から力が湧き出るようだった。

 「ラグ・ヴァーダの武神さえ、滅ぼしたらよろしいのです。メルヴァたちが死ぬ必要は、どこにもない」

 アンジェリカは、涙に洗われた目で、姉を見つめた。

 「どうしたらいい――あたしは?」

 「わたくしたちにも、できることがあります。――アンジェリカ、あなたはまず、ZOOカードをつかえることができるようになるように、真名を乞いなさい」

 「……」

 やはりそれしか方法はないのか、とアンジェリカは俯いた。気ばかり焦って、祈りにも集中できないのだ。

 

 「ただし、真砂名の神ではなく、“月の女神”に乞うのです」

 「えっ!?」

 サルーディーバは告げた。

 「わたくしたちは、長くL03の、“本物ではない”真砂名の神に触れ続けました。ですから、わたくしたちが“真砂名の神”と祈りますと、どうしてもL03の真砂名の神に向かってしまう――それではおそらく、真名は見つからない。常に、“偽物”の真砂名の神の邪魔が入るでしょう」

 どうしたらいいの、と言いかけたアンジェリカを落ち着けるようにサルーディーバは言った。

 「ルナの回覧板にあった言葉は、月を眺める子ウサギが、あなたを助ける道を模索してくださっていると考えていいでしょう」

 「う、うん……!」

 

 ルナが回した回覧板は、ふたりも見た。アンジェリカは目を丸くしたものだ。そこに書いてあったのは、アンジェリカ本人のことだったのだから。

 『アンジェは、黒いタカさんが宇宙船に乗ってこないと、助けられないの。でも、黒いタカさんが乗ってくると、青大将さんも乗ってきてしまう。そうなったら、イマリはもうタイムアウトなのよ』

 月を眺める子ウサギがルナにそう言ったということが書かれていた。

 

 「ですから、月の女神に乞うのです。真名を」

 月の女神に祈るということは、アンジェリカには予想もつかないことだった。だが、じっさいに動いているのは月の女神の化身である“月を眺める子ウサギ”だ。

 「真名が降ろされるというのは、おそらく、神託に限りません。あなたがZOOカードをふたたびつかえるようになることで、自ら発見できるやもしれません。可能性はひとつではない」

 「――!」

 「月を眺める子ウサギが何をしてくださっているのかはわかりませんが、方法は知っているのでしょう。あなたを助ける道を。わたくしたちは、“英知ある黒いタカ”を待ちましょう。できうることをしながら」

 「う、うん!」

 「アンジェリカ、おそらく、“本物の”真砂名の神というのは、わたくしたちが考えているようなものではない」

 アンジェリカは目を上げた。サルーディーバは逆に、一度目を伏せると、決心したようにアンジェリカを見つめた。彼女のなめらかな額には汗が浮いていた。

 「アンジェリカ――あなたには、伝えておかねばならぬことがあります」

 決して他言してはならぬと言われ続けてきた、サルーディーバにのみ伝えられてきた真実を、アンジェリカに伝えるのだ。その教義をやぶることは、サルーディーバにとっては、死にも等しいこと。

 だが、サルーディーバは感じていた。今これを、妹に伝え置かねばならない。

 

 「これは、代々サルーディーバにのみ伝え継がれる、L03の真砂名の神の正体です。心してお聞きなさい」

 アンジェリカにも、姉の覚悟が伝わった。背を伸ばして体勢を整えた。

 「L03で真砂名の神と呼ばれるものは――その真名は――ラグ・ヴァーダの武神です」

 アンジェリカの喉がひゅっと鳴った。

 サルーディーバはまつげを震わせて、つづけた。

 「我々“サルーディーバ”は、真砂名の神を“父なる神”と申し上げます。常に神託は、男神の声でおろされる――ごくたまに、女神の声が。そのお方が、ラグ・ヴァーダの女王様なのでしょう」

 「じゃあ――姉さんは」

 「ええ。――知っていました。L03の真砂名の神が、ラグ・ヴァーダの武神だということは」

 

 けれども、カザマから神話を聞くまで、決して悪神だとは思っていなかったのだ。

 しかし、ずっと、かの神が「偽物」か「本物」かで揺れていた。だからこそ、アストロスの武神がよみがえる儀式のおり、アズラエルたちを助けに行くことを躊躇したのだった。

そのころ、神話のくわしい内容は知らなかったが、アストロスの武神がラグ・ヴァーダの武神と戦ったことがあるということくらいは知っていた。ラグ・ヴァーダの武神ちかく仕えていた自分が行けば、よくない作用があるのではないかと案じたのだった。

 

そして、ルナとメルヴァのカードが赤い糸で結ばれていた理由も、ようやく腑に落ちた。

それを見たとき、サルーディーバはまさかと思ったのだが、たしかにふたりを結ぶ赤い糸はあった。しかし、それはメルヴァとルナの間の糸ではなくて、ラグ・ヴァーダの武神とルナをむすぶ糸だったのだ。

あの時点で、ZOOカードにまで影響が現れるほど、メルヴァと武神は一体化してしまっていたのだろう。

アンジェリカがZOOカードをつかえるようになったら真っ先に確かめてみるつもりだが、おそらく、メルヴァからルナのほうへ一方的に糸が向かっている形になっているはずだ。

そんなことも見抜けず、メルヴァとルナが赤い糸で結ばれていると勘違いして、ZOOカードに細工をし、マリアンヌとメルヴァの禁断の愛をでっちあげ、アンジェリカをだましてしまった――。

サルーディーバが詫びると、アンジェリカは、「もういいんだよ、そんなことは!」と苦笑した。

 

 「アンジェリカ、わたくしは、ラグ・ヴァーダの神話とアストロスの神話を聞いて、いままでの価値観がすべて吹き飛んでしまいました」

 頼りにしていた真砂名の神が、偽物で、しかも悪神であったとは――。

サルーディーバは肩を落とした。しかしそれは、ずいぶんと軽くなった肩だった。肩に背負っていた積み荷が吹き飛んでしまった感覚だ。しかもそれは、運ぶ必要のない積荷だった。

 

 いままでカザマが自分にラグ・ヴァーダやアストロスの神話のことを話さなかったことも、サルーディーバはやっと理解できた。宇宙船に乗ったばかりのころに、この真実を突きつけられても、けっして納得できなかっただろう。

 サルーディーバがここまで悩み、真実を模索し続けたからこそ、納得できたのだ。

 アンジェリカも同様だった。

 

「もう一度探ってみます。あらゆる文献を探して。――イシュメルとはなんなのか。わたくしたちのルーツに、答えがあるのか――いちから、調べなおしですね」

 「姉さん」

 「ルナがイシュメルを生むことが、何よりも早い解決の道と思っていましたが、そうではなさそうです」

 アンジェリカもうなずいた。

 「姉さん、あたしたち、知らないことが多すぎるよ」

 「そうです――そうですね。知らないことが、多すぎます」

 分からないことだらけの今の状況で、メルヴァやルナを助けようとしても、うまくいかないことは、ふたりにもじゅうぶんに分かっていた。