その日、ルナは久々にのんびりした時間を過ごした。

 ピエトは学校、ミシェルは絵を描きに行き、クラウドは久々にピアノをひいていたバーに顔をだし、アズラエルとグレンはなかよく(?)特訓という名のマラソン、セルゲイとカレンは、めずらしくふたりでデート(?)だった。

 ルナはレイチェルとシナモンと、リズンでお昼を食べ、久方ぶりに料理の本を引っ張り出してきたりなんかして、ぼーっと過ごした。最近、ごはんのメニューがマンネリ化している。しかしルナは、本を開いたまま、メニューを考えるでもなくぼーっとした。テレビをつけたら、お昼のドラマの再放送が。このドラマをみたのは、何ヶ月ぶりだろう。

 ルナはぼーっとし続け、やがてソファでうとうとした。夕方ちかくなったころ、急に電話が鳴り響いて、ぴーん! とうさ耳を立たせつつ受話器を取ったのだった。

 

 「もしもし! ルナです!」

 『あ、ルナさん。俺です。ヤンです』

 電話の相手は、ヤンだった。

 

 

 ルナが取った電話は、このあいだ二軒目に行こうと思っていたバーに、明日の夜でもいかないかという、ヤンのお誘いコールだった。

『マジで、うまい酒を出すバーなんだ。カクテルもかなり種類があるよ。ラウも来るし、アズラエルさんたちもいっしょに』

 「うん、アズたちにも聞いてみるよ。――たぶん大所帯になっちゃうけど、いい?」

 ルナの言葉に、ヤンの声が明るくなった。

 『いいよ。バーベキューに来るいつものメンバーだろ。大歓迎だ』

 何人くらいになる? と言われて、ルナは名前を挙げていった。いつも食事をしているメンバープラス、レイチェルはともかくも、エドワードたちにも一応声をかけてみるかと考えて、その四人のことも。

 『じゃあ、ミシェルさんにクラウドさん、アズラエルさんとグレンさんと、カレンさんとセルゲイさんね――レイチェルさんたちも来るかもしれねえ、と。ところで、ピエト、どうすんの』

 そのバーは、未成年客は入れないのだとヤンは言った。

 「ピエトはね、一週間に一度、タケルさんたちとごはんするからね――明日はいないから、だいじょうぶ」

 『そうか、わかった。予約しとく』

 「ありがとう」

 

 そこで不自然な間がおとずれた。それは互いに、同じことを言おうと思ったからなのだが――。

 「あの、」

 『あの』

 ルナとヤンの声が被った。

 『お、お先にどうぞ』

 ヤンの焦った声。ルナは、相手がヤンだとわかったときから、聞きたかったことをたずねた。焦りのあまり、声が半分裏返っていたかもしれない。

 「ご、ごめんね、あの――たいしたことじゃないんだけど――あのね――こ、このあいだ、助けた女の子!」

 ルナはイマリの名を出さなかった。

 「ど、どうだった?」

 『……』

 ヤンが、急に黙った。テレビ電話ではないので顔色はうかがえない。やがて、少し長めの沈黙の後に、ヤンが言いにくそうに口を開いた。

 

 『あのとき暗かったからな――やっぱルナさん、顔見てねえんだろ』

 「え?」

 『いや、俺もあの人を中央役所まで連れてってから気づいたんだけど、あのひと、最初のバーベキュー・パーティーでさんざん引っ掻き回してった奴らのひとりだぜ』

 今度はルナが息をのむ番だった。

 ヤンは、最初のバーベキューにも来ていた。でも、イマリの顔を覚えているとは思わなかった。

ルナがナターシャとアルフレッドと一緒にイマリたちのもとへ押しかけたときも、ヤンはコンロに待機していたはずだった。

ルナが絶句していると、

『あの女な、ヴィアンカさんが持ってきたビールの箱勝手に開けて、持ってったんだ。さすがに俺、注意したんだけど、酔っ払ってて無視しやがんの。ヴィアンカさんも言ってたけど、役員じゃなかったら、怒鳴ってたトコだったぜ。忘れねえよ』

ルナはヤンが見ていないことをいいことに、頭を抱えた。

 なんということだ。イマリの自業自得もいいところだった。

 『ちょっぴり、かわいい子だな、とは思ったよ――気付かなかったうちはな。でも、バーベキュー・パーティーのときに本性見てっからな。――実はあのあと電話番号聞かれたんだ。でも教えなかった。あんた、俺たちのバーベキューメチャクチャにしてったひとだよなって言ったら、顔色変わってたから。間違いねえ』

 「……」

 『危なかった。中央役所まで連れてくうちに思い出さなかったら、とんでもねえ女とつきあってたかもしれねえもんな』

 

 ルナは「――そうだったんだ」とやっとの思いで言った。イマリだったことには、気づかないふりをした。

 あれは、うさこが結んでくれた縁ではなかったのだろうか。

 ルナはなんとか、失望を声に出さないようにして、ヤンが言いかけたことを聞いた。

 「ヤン君は、なにを言おうとしてたの」

 『え? ああ――このこと。ルナさんがせっかく気ィつかって帰ってくれたのに、うまくはいかなかったよって話。まさかよりによって、あいつらの一味だとはなァ。俺、女運ねえや。しばらく、女と付き合うことは、考えねえようにするよ』

 ヤンの苦笑。ルナは動揺したまま、みんなの予定を聞いてから、夜にでもまた連絡すると言って、電話を切った。

 

 「うさこーっ!!!!!」

 受話器を置いてすぐに、ルナはぺたぺたぱたぱたとリビングを駆け抜け、寝室においてあるZOOカードの箱をぱかりと開けた。

 『なあに』

 月を眺める子ウサギがひょこっと出てきた。

 「うさこ! イマリとサイさんはうまくいかなかったよ! サイさんがバーベキューのことでイマリがウサギだけれどもヤン君は、」

 『落ち着いて。ルナ』

 月を眺める子ウサギはルナの膝上に乗った。ぽふんと、もふもふの両手を合わせ、縁の糸で結ばれたカードを展開する。ちいさなウサギの手をひょいとあげると、ひと組のカードがピックアップされたように、高く浮いた。

 『“生真面目なサイ”さんと、“真っ赤な子ウサギ”さんね――あら、このふたり、だめね』

 

 ルナが見たのは、怒り顔でそっぽを向いているサイと、がっかりと肩を落としている真っ赤な子ウサギのカードだった。ふたりをむすぶ糸も、ずいぶん色あせて赤褐色になり、今にもなくなりそうなくらいか細くなっていた。

 

 「だめねじゃないよ!?」

 ルナは叫んだ。月を眺める子ウサギのあっさり加減にだ。

 「うさこが結んだんでしょ!? ふたりがうまくいくように、ステーキ屋さんの外で、」

 『でも、だめなものはだめよ。――無理だわ。このサイは生真面目だからね。ひとに迷惑をかけるような子は許せないのよ』

 「でも――」

 『ルナ、ひとつだけ覚えておいて』

 急に、月を眺める子ウサギの声が厳しくなった気がして、ルナは思わず怯んだ。

 『わたしは、縁を結ぶわ。けれど、それを生かすか殺すかは、本人次第』

 ルナは何か言いかけて、口をつぐんだ。

 

 『ルナ。わたしたちは精いっぱいやったわ。これが限界』

 「じゃあ……イマリは、“華麗なる青大将”に出会ってしまうかな」

 月を眺める子ウサギは一拍置いた。

 『出会って、どうなるかは、イマリの選択次第よ』

 「うさこ、」

 『ルナ、あなたもそうだった。迷って、間違って、失敗して、そうして選んできたの。これ以上はわたしもどうにもできない。みんなそうなのよ。イマリだけ、特別扱いをするわけにはいかない』

 

 ルナの言葉を待たずに、月を眺める子ウサギは消えてしまった。ルナはもう一度「うさこ!」と呼んだが、誰も出てこなかった。

 しかたなくルナは箱のふたを閉じかけたが、ふいに思い立って、“華麗なる青大将”を呼んでみた。返答はなかったし、出ても来なかった。“導きの子ウサギ”も出てきてくれない。

ZOOカードボックスは、まるでただの箱にもどってしまったかのように、銀色のきらめきをなくし、沈黙を保ったままだ。

ルナは盛大にためいきを吐いて、箱をクローゼットにしまった。

 

 (だいじょうぶかな……イマリ)

 心配する義理は、まったくもってないのだが、どうにも気になって仕方がないルナだった。