ルナがふと気づくと、メリッサの目が赤かった。

「あのときはじめて、ピエトから手が離れる――という言葉に希望の光が差したんです。手が離れるということは――ピエトの死ではなくて――ピエトに新しい親ができることなんじゃないかって」

「……」

ルナも、もらい泣きしていた。隣でアズラエルが、どうして泣いているのか理解しがたい顔をしている。

 

「アズラエルさんとルナさんは、ご結婚はまだですし――このお話は、おふたりが結婚されてからでも、地球に着いてからでもいいと思っていましたが、カレンさんの降船が決まってしまったので」

ピエトの担当役員があたらしい役員に変わってしまうまえに、話を進めたほうがいいのではないかと、タケルは思ったのだった。

そこへ、アズラエルが自分から養子の話を持ち出してくれた。タケルにもメリッサにも、反対する理由は、もはやなかった。

 

ルナはティッシュで盛大に鼻をかみながらうなずいた。

タケルとメリッサが、自分たちをピエトの親として認めてくれたこともうれしかったが、アズラエルが、ピエトを養子にしようとタケルに掛け合ってくれたのがルナは嬉しかった。

ピエトがいっしょに暮らすことが決まった日は、すごく不機嫌で、ピエトを無視してすらいたのに。

 

 「今のところ、ピエトの親は、法律上タケルたちになってる」

 アズラエルは、いまだにルナが号泣している意味がわかってはいなかった。

 「ピエトになにかあったとき、一番に連絡が来るのはタケルとメリッサだ。一緒に暮らしてるのは俺たちで、たぶん、これから先もずっといっしょだ。なのに、いちいちタケル経由で連絡が入るのは面倒だろ――おまえ、なんでそんなに泣いてるんだ?」

 「ふぐっ、ひぐっ……あじゅは、」

 「あァ?」

 「あじゅは、ピエトが自分の子どもでも、いいの?」

 ルナはついにティッシュで鼻のみならず顔全体を拭いたが、アズラエルは眉を上げた。

 「今さら、なに言ってんだ」

 

 ルナはついにハンカチを取り出した。ティッシュでは涙をふくのに間に合わなくなったためだ。タケルとメリッサも笑いながら、それでも少し、目がうるんでいるような気がした。

 「では――ルナさんの承諾もいただけたと、考えていいでしょうか」

 タケルは微笑んだままいい、ルナは「――はい」と返事をした。

 

 問題は、山積している。

 ルナの親とアズラエルの親が、ふたりの結婚をみとめるかどうかも、難題なのだ。

結婚するまえから養子縁組というのも、あまりないケースだし、今のところアズラエルの養子ということになってはいるけれど、ルナとアズラエルが結婚すれば、ルナはピエトの母親になる。

原住民のピエトを養子にすることを、ルナの親がどう思うかは、ルナには容易に想像できた。

 

 しかし、楽観視はむずかしいルナとアズラエルの結婚については、ひとすじの希望がある。

おそらくアズラエルは、地球に着いてから、傭兵をやめる気なのだ。

 ルナのために。

 そして彼は、地球行き宇宙船の役員になろうとしている――。

 アズラエル本人からはっきりと聞かされたわけではないけれど、日常の様子や言葉の端々から、そんなニュアンスを受け取れた。

 アズラエルが傭兵家業をつづけていくのではなく、宇宙船の役員になるというのなら――ルナの親も、もしかしたら結婚を認めてくれるかもしれない。

 そして、ルナも。

 ぼんやりとだが、地球到達後の自分の行く先を、考えることがあった。

 

 (あたし――宇宙船の役員になって、K19区の担当役員に、なりたい)

 

 いままで、ミシェルにすら言ったことはなかったが、ルナの夢はだんだんはっきりと形になりつつあった。

 K19区の子どもたちが、なぜ早世してしまうのか、それも分からない。

 でもルナは、その謎も解きたいと願った。

 (うさこは、方法を知ってる)

 きっと、月を眺める子ウサギは、K19区の子どもたちを救う方法を、知っている。

 ルナには確信があった。

 そして、K19区の役員は、自分が担当する船客、つまりL4系や8系から乗る子どもを、自分の養子にすることになる。

 (ピエトが、あたしの、最初の子どもだ)

 ラグ・ヴァーダの武神との戦いもひかえ、先がどうなるか、まったく分からないルナだったが、必ず地球に着いて――K19区の役員になる。

 その夢が、今日のことで、はっきりと形を伴って来たような気がした。

 

 

 それから――ルナたちは、真っ赤な鼻と目のまま、ケーキセットを食べながら、ピエトが来るのを待った。

 「あっ! うまそうなもん食ってる!」

 教科書をつめこんだバックパックを背負って、ホテルロビーのレストランに現れたピエトは、ルナが胸いっぱいで半分残したケーキを見て、よだれが出そうな顔をした。

 「用事がすんだら、食べさせてあげるからね。ピエト、ここに座って」

 タケルとメリッサの間に、ピエトは座った。

 「今日は大事なお話があるのよ――ピエト、よく聞いてちょうだい」

 メリッサは、ふたたび目を潤ませながら言った。

 「あなたは今日から、アズラエルさんの子どもになるの。――いいわね」

 

 「えっ!?」

 ピエトは、先のルナ同様小さな身体を跳ねさせ、それから、メリッサ、タケル、ルナの順に見つめてから、アズラエルに目をやった。

 「アズラエルの――子ども?」

 

 「不服か?」

 肩をすくめたアズラエルだったが、ピエトは首をかしげ、

 「アズラエルの子ども? ルナとアズラエルの子どもじゃなくて?」

 と不服を隠しもせずに言った。

 大人たちは笑い、「まだふたりは結婚していないから。アズラエルさんとルナさんが結婚したら、ふたりの子どもってことに、なるわね」とメリッサが説明した。

 

 ピエトは、何か考え込むように俯き――それから小さな声で言った。

 「ほんとに――いいの」

 心細い声だった。ちらちらとアズラエルを見上げ、ルナを見た。

 「――お、俺を子どもにするって、ずっといっしょにいることだろ」

 ずっといっしょに、いてくれるの。

 ピエトは、消え入りそうな声で言った。

 地球に着いてからも、そのあとも、ずっと。

 

 「ずっといっしょに、暮らそうよ」

 ルナの声が一番早かった。ピエトは目を見張り、その大きな目には涙がいっぱい、浮かび始めた。だがピエトは大泣きしなかった。彼は歯を食いしばって、涙をぬぐった。

 「ピエトに異存がなければ」

 アズラエルは大きな手でピエトの頭をぐりぐりしてから、言った。

 「今から手続きしてくるぞ」