手続きは、用紙一枚に記入するだけですべてが済んだ――それ以前の様々な手続きは、アズラエルとタケルで済ませていたからだった。ピエトの生体認証システムは、入船時に終えているし、アズラエルの認定傭兵の証明書も、すでに提出済みだった。

 アズラエルは滞りなく、ピエトの養父としてみとめられた。人格的にも経済的にも問題ない、という認可だ。

 ピエトが通っている学校への手続きもおなじく、済んだ。

 ピエトは、用紙に書かれていた自分の新しい名前――「ピエト・L・ベッカー」という名を、ずっと見つめていた。

 

 「ベッカーは、アズラエルさんの姓よ。あなたのミドルネームは、ルナさんにしておいたわ。ピエト・ルナ・ベッカー。これから、それがあなたの名前よ」

 「……」

 メリッサの説明を聞きながらピエトは、何度か、口の中でその名前をくりかえした。

 ピエトの両親は、ピエトが物心つかないうちにアバド病で死去した。ピピが生まれて間もなくだ。ピエトは、両親の顔も覚えていなかったし、名前すら知らなかった。

 ピエトは、この宇宙船に乗るまで、戸籍そのものがなかったのである。印鑑代わりの生体認証システムの登録のために、タケルとメリッサの養子となり、はじめて戸籍ができたのだ。

 けれども、ピエトにタケルたちが親だという意識はなかった。

 物心ついたころには、親とも兄弟とも言えぬたくさんの大人たちに囲まれ、ピピを守って暮らしてきたピエトには、あまり「親」を持つという感覚がない。

 でも、ルナとアズラエルと、ずっといっしょに暮らせるというのは、とてもうれしかった。

 (ルナはルナで、アズラエルはアズラエルだよなあ)

 「俺って、これからルナを母ちゃん、アズラエルを父ちゃんって呼ぶの」

 アズラエルは少し考えてから、「好きにしろ」と言った。それは、ピエトにとってはひどく助かった。なんとなく、ふたりをそう呼ぶのは、面はゆい感じがした。

 

 「……なあ」

 ピエトは不安げに聞いた。

 「俺がアズラエルの子どもってことは、ピピもそうなの? ピピも、アズラエルの子ども?」

 大人たちは一瞬、かたまったが、アズラエルが、「ああ、そうだ」とあっさり言ったので、事なきを得た。

 ピピは宇宙船に乗った時点でタケルの養子になっている。タケルの子、ということで、埋葬を済ませた。故人を養子にする法律はない。

 書類上はもはやどうにもできないことだったが、タケルが、「ピピ・A・ベッカーという名前はどうだろう。ピピ・アズラエル・ベッカー」と提案したので、ピエトの顔から、やっと不安が消えた。

 「うん!」

 

 手続きが済んだあと、ピエトはさっそくケーキを食べたがると思ったが、そのまえに、ピピの墓に行きたがった。

 「俺、ピピに新しい名前を教えてあげたい」

 そういって聞かなかった。

 中央区の墓地は、そう離れてはいないし、シャイン・システムで一瞬だ。大人四人とピエトは、花束を買い、墓地へ向かった。

 そういえば、ピピの墓にきたのは、クラウドたちとピエトの荷物を取りに来た日が最後だ。

ルナたちと出会うまえは、頻繁にここへ来ていたピエトだったが、あれきり来ていない。さみしくはなかったのだな、と考えたルナは、ほっとして、ピエトの手を握った。

 墓地は相変わらず、綺麗に清掃されている。ルナはひとり遅れてマリアンヌの墓へ向かい、花を置いてから、ピピの墓に来た。

 ピエトはピピの墓の前にうずくまり、何度もピピに、新しい名前を教えてあげていた。

 「ピピ・A・ベッカーって言うんだぜ。俺の名前はピエト・L・ベッカー。忘れんなよ」

 

 ピエトが立ち上がるころには、夕日が傾きかけていた。

 時間も時間なので、さっきのレストランで五人そろって食事をし、その場で解散することになった。

 別れ際、

 「俺、二人の子どもじゃなくなったけど、また遊びに行っていい?」

 とピエトが聞くのに、メリッサは喜んだし、ついにタケルの目まで潤んだ。

 「あたりまえじゃないか」

 タケルはピエトを抱きしめて言った。

 「君は、ずっとわたしたちの子どもでもある。親が四人いると思ったって、いいんだ」

 ピエトは、おずおずと、タケルを抱き返した。メリッサにもそうした。

 「よかった。――じゃあな、おやすみ!」

 ピエトは元気よくあいさつし、ルナとアズラエルのもとに戻った。三人がシャイン・システムに入るのを見送ってから、タケルとメリッサも帰路に着いた。

 

 すっかり暗くなった帰り道、リズンそばの公園のシャイン・システムから出て、家路につく三人は、ピエトを真ん中にして、のんびり歩いていた。

 相変わらず、宇宙に散らばる、星々のきらめきが天空にある。

 

 「なあ」

 ピエトが今、思いついたように言った。

 「なんで、アズラエルとルナは結婚しねえの?」

 

 ピエトには、ふたりがいっしょに暮らしているのに結婚していないのは、理解しがたいことだった。

 「明日にでも結婚すれば、俺、二人の子どもになれるよ?」

 大人二人は立ち止まってしまった。

 ルナも、なんだかもう結婚していてもいいような気がしていたのだが、どうやらふたりが結婚していないほうが現実だった。

 アズラエルとルナは顔を見合わせた。

 「う、う〜ん……とりあえずはね、あたしもアズも、親に、結婚するって、許可を取らないとね」

 「アズラエルの親と、ルナの親?」

 「うん、そう」

 そういって、ピエトと手をつなぎ、再び歩き出したルナだったが、アズラエルがついてこない。ふたりが振り返ると、アズラエルは右手で顔を覆ったまま、うずくまっていた。

 「そうだな――よく考えたら、“歩く冷蔵庫”に、許可取らねえといけねえんだよな……」

 急に現実を突きつけられたアズラエルは、彼にしてはらしくもなく青ざめてしまった。

 「歩く冷蔵庫?」

 ピエトの疑問形は、ルナによって解決された。

 「あたしのパパ。傭兵だったころ、そう呼ばれてたんだって」

 「ルナの父ちゃんも傭兵なのか!? すげえな!」

 「う〜ん、あたしは、傭兵スタイルのパパなんて、想像できないけど……」

 ずいぶん、怖いひとだったみたいだね、とルナが他人事のように言うと、ピエトが小声で耳打ちしてきた。

 「セルゲイより、怖い?」

 耳打ちだったが、しずかな住宅街の道路では、アズラエルにもその言葉は聞こえた。

 

「ピエトの一番怖い人って、セルゲイなの!」

 

 ルナとアズラエルは、思わず噴き出した。

 セルゲイのくしゃみが、ここまで聞こえてくるようだった。