「帰れって言いにきたんじゃないよ。たまにはあんたたちと話をしたいなと思って」 いつも、この時間にお茶菓子を持ってきてくれるメイドの代わりに、私服すがたのアミザが、茶菓子と紅茶を乗せたワゴンを運んできた。 「い、いつもおいしいお菓子をすみません。書斎に入らせてもらうだけでもうれしいのに……」 「アミザさん、スカート姿もいいですね」 女性を称賛することを忘れないケヴィンが、さっそく軽口をたたいたが、アルフレッドも、綺麗だと思った。今日のアミザはうっすらと化粧をし、ブラウスにカーディガン、シンプルなスカート姿だ。ツヤコとおそろいのエメラルドのブローチは、目の色と同じだということに、アルフレッドはやっと気づいた。 「たまにはこういう格好もしなきゃね――軍服ばっかじゃ、自分が女だってことわすれちゃうよ」 笑顔のアミザは、ほんとうにミシェルに似ている気がして、アルフレッドは頬を赤らめた。 彼女は、ふたりに菓子と紅茶を進めながら、ソファに腰かけた。 「どう――うちの書斎は。なんかおもしろい本、ある」 「なにか、どころじゃなくて、宝の山ですよ!」 ケヴィンは興奮冷めやらぬように、分厚い本を抱えたまま、ソファにすわった。 「アミザさん、バンクスさんの仕事が終わったら、あらためて、取材の許可をいただけませんか」 「ええ?」 「ちょ、ちょっと、ケヴィン!」 いくらアミザが気安くしてくれるからと言って、いきなりそれは図々しすぎるだろうとアルフレッドが止めたが、 「俺は、二千年前のイシュメルっていう戦士の話を、小説にしたいんです」 ケヴィンは熱心で真剣なまなざしを、アミザに注いだ。アミザは、その熱意を受け止めてくれた。 「二千年前のイシュメルの話ね――あたしも、ばあちゃんから何回も聞いた。そうだなあ――どうせなら、主人公は、マッケランの戦士、“サーミ”にしてよ」 「分かりました!」 「ア、アミザさん……、あの、」 「ン?」 置いて行かれたのはアルフレッドだったようだ。アミザは、この書斎の本をもとにして小説を書くことを、許してくれるのか。 「かまわないよ。出典さえあきらかにしてくれればね――でも、」 急にアミザの声が沈んだ気がした。 「もし、話を書きたいなら、今のうちにがんばって読んでおいて。――次の取材の保証はできないかもしれない」 「――え」 「あんたたちが、この書斎の本をじっくり読みたいって言うなら、かなえてあげてもいいけど――バンクスの本が出版されたら、多少、うちに混乱があるかもしれないからね。だから、そのころ、取材させてくれって言われても、無理かもしれない」 「……」 不穏な空気を感じ取って、ふたりは一時沈黙したが、ややあってアルフレッドがしずかに聞いた。 「――もしかして、だから僕たちを、今、書斎に入れてくれたんですか」 バンクスの仕事が終わって、ケヴィンたちがあらためてこの書斎に入りたいと願っても、それはかなわないかもしれない。 だから、だったのか。アミザにとっても、あまりよくない状況なのに、ふたりがこの書斎にくることを許してくれたのは。 「じつは、あたしも、小説家になりたいなーって、思っていた時期があったんだ」 アミザの夢見るような口調は、それが嘘ではないとふたりに確信させた。 「ばあちゃんの話、魅力的だろ? あたしとカレンは、いつだってばあちゃんの話が好きで、よく聞いていた。――あたしは、小説家になりたかった」 アミザの言葉はシンプルだったが、たくさんの想いがそこに秘められていた。ふたりにはそれがわかった。 「アミザさん、書斎に入れてくださって、ありがとうございます」 ケヴィンがいきなり真面目な顔で言った。 「俺、全身全霊で書きますから! “サーミ”の物語を」 ケヴィンに遅れないよう、アルフレッドも勢いこんで叫んだ。 「ぼ、僕は、ビアードとルーシーの物語を――」 ケヴィンとアルフレッドの宣言に、アミザがあたたかな目でうなずいたときだった。 「サーミ」 急に、ツヤコが目覚めた。なぜか涙を流していた。 「アラン」 ツヤコの口から出る名に、アミザが立ち上がった。 「アラン、アラン、アラン……」 なにかを探すように手を伸ばしたツヤコが、次には、顔を覆った。ケヴィンとアルフレッドも半腰になったが、ツヤコには近寄れなかった。 「ばあちゃん!」 アミザが駆け寄った。 「どうした! ばあちゃん!」 「アラン、アラン、ツヤばあちゃんを許してね……マッケランのために、あんたを見捨てた、ツヤばあちゃんを許しておくれ……「サーミの同盟」は、ばあちゃんも応援してあげたかった。アランは、悪くないんだ……アラン、」 アミザは絶句した――いや、絶句しているように、ケヴィンたちには見えた。 「……ごめん」 アミザが、唐突に言った。むせび泣き続けるツヤコを見つめたまま。 「今日は、失礼してくれるかな? 明日、明日は、――明日も、来ないで」 ケヴィンとアルフレッドは、うなずくしかなかった。ちいさな挨拶をして、しずかに書斎を出ていく。アミザはツヤコを見つめたまま、振り返りもしなかった。 その日の深夜。 作業のために待機していたふたりのもとに帰ってきたバンクスは、 「起きててもらったとこへ悪いんだが、今日の仕事はなしだ」 と缶ビールをあけた。彼がアルコールを手にしたのは、シャンパン以来だ。 「今日は俺も仕事をしない――すこし、眠る。頭を鎮めてえ。おまえらがツヤコさんに会ったことで、意外な展開になっちまった」 バンクスが、隈の消えない目元を、タバコくさい指でこすりながら言った。目だけがギラギラして、興奮を隠し通せないようだった。 「これでアミザさんの本懐が遂げられるかもしれねえ――」 バンクスのひとりごとは、ケヴィンにもアルフレッドにも分からない。 だが、あのときツヤコが口にした「アラン」の名――もしかしたら、ツヤコの口から、新しい事実が語られたのかもしれない。それを今日、アミザの口から、バンクスが聞いた。 |