「ご、ごめんケヴィン! またあとででんわする!!」

『え!? ちょ、ル……』

あわてて切った。

だがもう、遅かった。カレンが、画面にくぎ付けになっている。

「カ、カレ――」

「ルナ」

カレンが、目をカッと見開いたまま、「悲劇の英雄、アラン・G・マッケランの物語」のタイトルを見つめていた。

「ルナ、あんたがどっからこれを手に入れたのか、聞かないよ」

カレンの必死な形相は、今度はルナに向けられた。

「お願い、あたしの部屋のパソコンにこのファイル送って」

「カレン、」

「お願い」

泣きそうな顔で懇願するカレンに、ルナは断れなかった。やっとうなずくと、カレンはあろうことか笑みを見せた。

「ありがと――それから、今日は夕飯いらない。セルゲイにも内緒にして――このことは。だれにも、ね。セルゲイには、カレンがめずらしく本を読んでるから、放っといてやってって、そういって」

カレンはそれだけ言って、部屋を飛び出して行った。

 

 

 

 

「あれ? カレンは」

夕食の席にいないカレンの所在を、最初に聞いてきたのはピエトだった。ルナはぎくしゃくと固まったまま、「カレンは、本を読んでいます」とだけ言った。

「めずらしいな、アイツが、ルナの味噌汁食わずに本なんか、読みまくってるなんて」

グレンがからかうように言ったが、ほんとうにそうだと誰もが思った。

カレンはK27区にきてルナたちと同居をはじめてから、ルナのごはんを愛するがゆえに、外食も控え気味になっていた。病院に行かなければいけない日以外は、まず、食卓にいないということがなかった。だから、皆はめずらしいとこぼしたのだが、セルゲイだけは、カレンにちいさな異変を感じ取っていた。

 

あのあと、ルナは迷いながらも、カレンの部屋のパソコンにファイルを送り、それからファイルを消した。ゴミ箱からも消去した。そして、ケヴィンにリダイヤルして、事情を聞いた。

ケヴィンが自分の書いた小説を送ろうとして、まちがってアランの話を送ったのは分かったが、問題はその先だった。

あの原稿を書いたバンクスが、L20のホテルで別れたきり、音沙汰がないのだとケヴィンは言った。今まで、こんなに長く音信不通だったことはない。

ケヴィンは自身のパソコンから、あの原稿を消した。バンクスから、非常時にはそうするよう言われていたのだそうだ。取材に関連したファイルはすべて消すように。それを間違えてルナに送ってしまったがために、あわてて電話してきたのだと言った。

すでに、書籍は本屋に平積みにされているが、ケヴィンを出版社に招いた編集者が、「もしかしたら、バンクス君になにかあったのかもしれない」などというものだから、ケヴィンは気もそぞろで落ち着かなくなってしまったのだった。

ケヴィンの書いた小説は、バンクスの消息がわかって、落ち着いたらメールする、といって電話を終えた。

ルナはケヴィンに言われた通り、ファイルを消した。カレンが読み終えたら、それをカレンにも伝えて、ファイルを消去しなくてはならない。

 

ルナは、みんなに夕食を食べさせたあと、こっそりおにぎりをつくり、味噌汁とだし巻き卵をつけて、お盆に乗せた。そして、それをセルゲイに渡した。

「カレンに、本を読み終えたら食べてっていって」

「ルナちゃん」

セルゲイは、お盆を受け取りながら、至極おだやかな表情で言った。

「ルナちゃん――カレンはほんとに、本を読んでいるだけ?」

「えっ……」

「カレンになにかあった?」

セルゲイは、カレンのことに関してはさすがに鋭かった。ルナは、ごくりと息をのんだが、本を読んでいる、ということに関してはほんとうだ。

ただ、その本が、娯楽小説ではないというだけだ。

カレンになにをもたらすのか、それすらも分からない本だけれども。

でも、読むのを邪魔してはいけない気がした。セルゲイに、本のことを言ってしまったら、彼は心配して、カレンの部屋に押し入るかもしれない。

 

「う、うん。本を読んでいます! 読んでいるだけです!」

(うそは、ついていません)

ルナはセルゲイの目を見返した。

セルゲイは、「……そうか。わかった。じゃあ、カレンの部屋の前に置いてくる」とお盆を受け取ってくれた。

ルナは、なぜかそわそわして仕方がなかった。

セルゲイが部屋を出て行ったあと、最近おやすみしているZOOカードのチェックをしようと、箱をあけたが、「月を眺める子ウサギ」も、いつも代打で出てくる「導きの子ウサギ」も出てこなかった。

ルナはカレンのカードである「孤高のキリン」も呼んでみたのだが、応答はない。

けっきょく、しばらくがんばってみたところで箱はうんともすんとも言わず、だれも出てこなかった。ルナはあきらめ、箱のふたを閉じた。

 

セルゲイは、カレンの部屋のまえに、お盆を置いた。鍵がかかっているカレンの部屋をノックし、「ルナちゃんがおにぎりを作ってくれたよ。ここに置くね」とだけ言った。

「……ありがと」

と小さな声が返ってくる。

夕食前にノックしたときは、「ごめん、本読んだら出ていくから、しばらく放っておいて」とだけ返ってきた。泣いている様子ではなかったので、セルゲイはほっとした。

以前、エレナの過去をマックスから聞いたあと、カレンは情緒不安定になって、しばらく部屋から出てこないことがあった。今回も、宇宙船をおりると決めたことで、なにかしら不安定になっているのではないかとセルゲイは心配したのだった。

セルゲイがドアを離れようとしたそのとき、

「セルゲイ……心配しなくていいからね」

カレンの声が、ドアの向こうから聞こえた。

 

そしてルナは、ついにウロウロうさぎになった。

ZOOカードの箱を抱えたままウロウロし、部屋中をさまよう挙動不審うさぎになっていたので、アズラエルは対策として仕事をあたえた。

「ルゥ、俺にもおにぎりつくってくれ。具はたらこ以外ならなんでもいい」

「あ、俺も」

「俺もーっ!!」

「俺はたらこでもいいよ。明太子があれば尚のこといい」

「ルナ、あたし、鮭フレークがいい。大葉とゴマまぜたやつ!」

アズラエルとグレンとピエト、クラウドとミシェルは、ルナのおにぎりとみそ汁とだし巻き卵を夜食に所望した。彼らは、ルナがこっそりつくっていたはずのカレンの夜食をしっかり見ていたのである。

ルナは「ええーっ」と口を尖らせたが、やがてZOOカードの箱を床に置き、キッチンに姿をけした。ルナがうろうろしなくなったことで、みなはようやく落ち着いて、新聞やらテレビやらに集中できるようになった。

しばらくして、ルナはふりかけを混ぜ込んだおにぎりをつくって持ってきた。誰のリクエストにも沿っていなかったが、そもそもウロウロうさぎを黙らせるためにした対策なので、だれも文句は言わなかった。相変わらずおにぎりは美味しかったし、味噌汁もだし巻き卵もなかったが、わかめ入りの卵スープはつけてくれた。

彼らが夜食をつまんでいるあいだ、やっと一所にとどまって、ぼーっとしていたうさぎはいきなり立ち上がった。