「本屋さんにいってきます!」

ルナの突然の行動は今に始まったことではない。だが、この挙動不審うさぎをひとりで外に出すのはあぶなくて、おとなたちはついていくことにした。

ピエトは「俺も行きたい!」といったが、十時を過ぎていたので、子どもは夜食を食べたあと、ちゃんと歯を磨いて就寝することが義務付けられた。

「なにか、新刊出てたっけ」

ミシェルが何気なくした質問だったが、ルナはめずらしく、「うん……」と気難しい顔をするだけでこたえなかった。

 

K27区のショッピング・センターは、0時閉店なので、まだ煌々とあかりがついている。大きな書店前に車をとめると、うさぎとネコが飛び出して行った。

ネコはまっしぐらにマンガコーナーに向かったが、うさぎは単行本のほうに向かった。アズラエルとグレンがついていくと、「きちゃだめ!」とルナがほっぺたをぷっくりさせて拒絶した。

「なんだルナ。エロ本でも買う気なのか」

「俺たちには見せられねえ本なのか」

「そうです! あたしはこれからエロ本を買います! だからついてきちゃだめ」

アズラエルとグレンは顔を見合わせた。からかうつもりで言ったのだが、そろそろこのふたりも、ルナのほっぺたぷっくりの恐ろしさは承知してきたころだ。ここで引き下がらないと、こんどはおにぎりの具を納豆にされるかもしれない。

ルナは、ふたりが別の方向に行ったのを確かめて、単行本の新刊コーナーに向かった。

歴史関連の新刊付近はひとがすくなかった。だから、それはすぐルナの目に留まった。さがす必要もなかった。

そこには、「悲劇の英雄、アラン・G・マッケランの物語」が平積みにされていた。

 

(あった)

ルナは、恐る恐る、その本を手に取った。

著者はやはり、バンクス・A・グッドリー。

(ほんとにあった。この本、出版されてたんだ……)

 

ルナが分厚い書籍の表紙を見つめていると、ルナの真上から、「え?」という声がした。

ルナが目を上げると、ちょうどその男性の胸から腹のあたり。青い猫がプリントされたTシャツは、ミシェル中毒のクラウドのものだ。クラウドも、ルナの隣にいて、本を手に取っていた。

「え? まさか――ウソだろ。そんな、」

クラウドも混乱しているようだった。そして彼は、すべてを察した。

「もしかして、ルナちゃん。――カレンが読んでる本って」

 

「なんだ、こりゃ。冗談だろ」

ルナが答えるまえに、筋肉質な傷だらけの腕が、平積みになった本にのばされていた。

「……グレン」

グレンまで来てしまった。ルナは青くなったが、もうごまかすことはできそうになかった。

グレンは本を取り上げ、パラパラとめくり、「――冗談だろ」もういちど、言った。

 

「カレンが読んでる本って、まさか、これか?」

ルナの後ろで、アズラエルまで気難しい顔で本を睨んでいた。

クラウドが、速読のプロだということを、ルナはすっかり忘れていた。彼は、本をぺらぺらとめくるだけで、内容を把握できるのだ。クラウドはページを中ほどまでめくり、眉間にしわを寄せた。

「発刊はいつ――二週間前だ。知らなかった。こんな本が出てたなんて――これじゃ、」

「ああ。――マッケランに、ひと悶着起きるぞ」

「バンクスのヤツ、どこでこんな情報仕入れてきやがった。そもそも、よくマッケランが許したな……」

グレンとアズラエルはクラウドほど中身を読めてはいないが、タイトルで、ある程度の事情を察したようだった。

 

「辺境惑星群や軍事惑星群は、L5系にくらべて一ヶ月から二週間ほど、新刊の発売が遅れる――L52の出版社が刊行した本だし、今日本屋に並んだのかも」

クラウドは、近くにいた店員を呼び止めた。

「この本は、いつからここに置いていますか」

「今日からですよ。この新刊コーナーは今日発売の本ばかりです」

クラウドの推測は当たった。ならば、軍事惑星群でも、今日あたりからこの本が書店に並んでいる――バンクスの本は軍事惑星では発禁扱いになっているから、定かではないが。

 

「あとがきを見て」

クラウドがあとがきのページを指した。

「アミザがバンクスに話したんだ。――ヤバイよこれは」

クラウドの表情が一気に緊迫感を増した。

「あとがきを読めば本の内容がぜんぶ分かるようになってる。ニュースにはまだ何も出てないけど、ほんとうに、なにか起きるぞ。――これは、告発本だ」

「こくはつ?」

「セルゲイは知ってるのか――ルナちゃん、まさか、この本を買いにきたの」

クラウドのターゲットは、ルナに絞られた。ルナは明後日の方向を向いたが、明後日の方向は、アズラエルの黒いTシャツにさえぎられた。そこからまた後ろを向くと、グレンのへんな漢字Tシャツにぶち当たった。

筋肉に囲まれたルナは、しかたなく言った。

「――ほんとうにあるかどうか、確かめようと思って」

ルナは、男三人につまみあげられるようにして、本屋のカフェに連行された。そこで、もと心理作戦部の尋問官にすべてを白状させられた。

 

 

 

 

――カレンは、すべてを読み終えた。

 

目頭が熱い。目が疲れているようで、それとは違う気もする。

でも、読んでいる最中は、まぶたが熱くなっても、ひとしずくも零れてきはしなかった。

カレンは、椅子の背もたれに身を預けた。

(――かあさん)

やっと、カレンの頬を涙が伝った。だがそれは、母親の悲劇的人生を追ったことによる、かなしみの涙ではない。

むしろ、晴れやかな気持ちだった。

こんな気持ちになったことは、今まで、なかった。

カレンは、ミラの面影を思った。いつも泣いていた義母さん。カレンの母親であり、ミラの姉であるアランを見捨てたと、いつも嘆いていた、義母さん。

 義母さんは、知っていたのか。

 

 この本に書かれていた話は、ミラが話してくれたアランの像とは違った。アランを疎んだ、身内の者が話した内容とも違った。

 どうしてこんなことを、ミラも知らなかったことを、アミザが知っていたのかカレンにもわからない。

 ただひとつだけ、カレンにも分かったことがある。

 

(――あたしのかあさんは、“英雄”だった)