――数ヶ月前にさかのぼる。

 

ケヴィンはL20のマッケラン家屋敷にいた――とルナが知ったら、やはりうさぎらしく飛び上がっていたであろう事実である。

L52にいるはずのケヴィンがなぜL20にいたのか。

 

ケヴィンはL52に着いたからといって、さっそく作家としてスタートできたわけではない。コラムや短編しか書いたことのないケヴィンは、小説らしい小説を書いたことがなく、さっそく行き詰まっていた。

地球行き宇宙船でたいした貯金もせず、ことごとく遊びと趣味ごとにつかっていたケヴィンだったので、所持金もすぐ底をつき、あとはバイト三昧の生活になった。

なかなか小説のネタも浮かばず、降りてこず、それでもネタを拾っては、なんとか物語らしいものを仕上げ、編集者に見せた。努力もむなしく、ボツがつづいた。せっかくOKをもらったネタでも、書きだしがうまくいかず、パソコンのまえで硬直する日々。

そんな日々を送っていたときだった。

編集者が連れて行ってくれたパーティーで、ケヴィンは軍事惑星群出身のジャーナリストだという男と出会った。バンクスと名乗った彼は、ケヴィンが地球行き宇宙船で連載していたコラムを読み、

「ノリのいい文章を書くじゃないか。このセンス、俺も欲しいところだな」

と褒めてくれた。

宇宙船であれだけ持ち上げてくれた編集者が、ここにきてからはケヴィンの作品にいい返事をかえしてくれたことがない。久しぶりの励ましに、自信をなくしていたケヴィンは救われる思いだった。

「長いものを書きたいんです」

ケヴィンはバンクスに悩みを打ち明けた。

「でも、俺の作品にはリアリティがないって、ダメ出しされてばっかり」

「リアリティね……」

俺は、ドキュメンタリーやルポルタージュしか書いたことねえから、小説は専門外だな、とバンクスは笑い、

「なんなら、今度俺の取材につきあってみる」

と軽いノリで言った。ケヴィンは、うなずいた。

 

それから、小説を書くことそっちのけで、ケヴィンはバンクスの取材についていくようになった。

小説も書かずにあちらこちらとうろつくことを、編集長は怒ると思いきや、そうでもなかった。

「バンクス君の取材に同行することは、いい経験になるだろうよ」と止めはしなかった。

バンクスに着いて回ることは、じっさい楽しかった。

取材先は軍事惑星群が主だったが、L8系の星々や、辺境惑星群に行くこともあった。

最初の取材は、助手という名目で、渡航費とホテル代を出版社が出してくれたが、それ以降はケヴィンが勝手にバンクスについていく形になった。バンクスもほとんど自費で取材をつづけているため、ケヴィンも自費で渡航費や滞在費を賄わなければならない。バイト代をバンクスの追っかけのために費やした。

ケヴィンは持ち金が許すギリギリまで、バンクスの取材に同行した。

そんな暮らしをつづけているあいだに、弟のアルフレッドが、ナターシャとともに宇宙船からもどってきた。

ケヴィンにくらべて、存外貯金があったアルフレッドは、ケヴィンほど頻繁ではなかったが、いっしょにバンクスにくっついて歩くようになった。

 

そんなある日のことだった。

バンクスが、「今回は取材費が出る」と言いだした。いつもクールな彼にしては、いささか浮き足立っているように見えた。

バンクスは取材費の出どころは言わなかったが、出版社からではないことは、ケヴィンにもわかった。

「今回は一ヶ月ほどの滞在になる。助手として行くか? なんなら、弟も」

ずいぶんな気前の良さだった。三人分の渡航費と滞在費を、バンクスが賄ってくれるというのだ。それに、バンクスから「一緒に行くか」と誘われたのは、最初の取材以来だ。ケヴィンに断る理由はない。持ち金が底をつきかけたアルフレッドも、あたらしく決まったバイト先を三日でやめて、ついていくことになった。

「今回は、ケヴィンにもアルにも、バイト代を払えそうだ」

バンクスは上機嫌だった。

 

移動先は、L20の首都マスカレード。

何度かバンクスについて赴いたことはあったが、L20の中核であるマッケラン家の屋敷に訪れたのは、ケヴィンもはじめてだった。

バンクスが連れて行く場所は、安全な場所ばかりではなく、銃を持たされたこともあったが、今回はべつの緊張がふたりを襲った。

こんなセレブリティな場所は初経験だったからである。

屋敷内に来客用のホテルまであるという、常識外れのひろさの邸宅は、来たとき同様、黒塗りのリムジンに乗ってしか、ここを出られない。

重厚なセキュリティと、いかめしい顔のボディガードが守った門をくぐったあたりから、ふたりの表情はこわばりつつあった。

 最初は緊張していたケヴィンとアルフレッドだったが、生涯二度と来ることはないだろう贅沢なホテルのサービスを受け、二日と経たないうちに緊張から解放され、慣れた。

 

助手という名目でついてきたふたりだが、ほとんどふたりの仕事はなかった。作業は深夜の集中コース――バンクスが受けて来たインタビューの原稿を、ワードにまとめる作業が主だ。あとは資料のまとめ。

バンクスがインタビューを受けてくるのは深夜の一時から三時。相手が多忙で、その時間しか取れないのだという。彼が持ち込んだメモとレコーダーの内容をすぐワードに起こすため、ふたりは毎夜バンクスを待ち、三時過ぎから明け方まで、テープ起こしの作業に取り掛かる。

それでも、肝心な箇所はふたりも関わることは許されず、バンクスが自らテープおこしをするため、けっきょくふたりの仕事は少なかった。

 

バンクスは、ほとんど一日じゅう、ホテルの自室にこもって原稿と向き合っていたが、ふたりは午前中を睡眠に費やしたあと、なにもすることがないのでホテルの施設を利用した。

自由時間が多いことは事実だが、まるで退屈はしなかった。

レストランのビュッフェに朝昼晩と百種類以上の料理が並び、ルーム・サービスも最高だ。

プールにサウナ、トレーニング・ルーム、図書館、観劇場やカジノの娯楽施設もある。ホテル駐車場から奥は、散策コースと名付けられた遊歩道で、森の中へつづいている。めぐって来れば、半日はかかるというひろさだった。

散策コースは案内板もあるし、迷いはしないが、そこから母屋――マッケラン一族が住む屋敷のほうへ行く道があるという話だ。そちらへは決して行かないようにと最初の日に念を押された以外は、二人の行動は自由だった。

 

ホテルは、不思議なほど、毎日多くの人間で賑わっていた。これだけの人数が、マッケラン家の来客であるということが、L20でのマッケラン家の権力を感じさせる一端だな、とアルフレッドは思った。

こんなぜいたくな暮らしは、地球行き宇宙船でもしなかった。このホテルはマッケラン家の客人専用のホテルなので、あらゆる設備の使用が自由だった。さすがにカジノで遊ぶ金は自腹だが――アルフレッドはカジノにいっさい興味がない。

おまけに、バンクスからバイト代がもらえるというのは冗談ではないらしく、ケヴィンはテンション高く遊びまわったが、アルフレッドはもともと、派手に遊びまわるタイプではない。

ホテル内図書館の蔵書も、アルフレッドが好む古書よりかは、何種類もの新聞や、最先端のファッション、経済、娯楽雑誌、あるいは流行のマンガやライトノベルが棚を占め、アルフレッドがやっと手に取った本は、子供向けの童話ばかりで、彼は読んだことのあるそれをためいきとともに書棚にもどし、外へ出たのだった。

プールやトレーニング・ルームはセレブの巣窟と化していて、オペラを観る気分でもない。一ヶ月ずっと、昼間から暗いシアター・ルームで映画を見続けるのも彼は嫌だった。

アルフレッドは、ゆっくりと、散策コースをまわるのが、日課となった。めずらしい花々を見つけ、鳥たちの声を聞いている方が、よほど心穏やかだった。