ホテルに滞在して一週間ほどたった日のことだ。

舌が肥えそうな昼食にも、だんだん飽きがきたころ――アルフレッドは豪勢な料理に目移りしなくなり、パンとコーヒー、サラダと卵料理だけを皿にとってたいらげたあと、腹ごなしにいつもの散策コースへ向かった。

ケヴィンは午前中から部屋にいなかった。きっとプールだろう。ケヴィンはおそるべきことに、あっという間にセレブ一色の環境に溶け込み、良家の子女をナンパした。彼らしいとアルフレッドは苦笑いしながら、ホテルを出て、澄んだ木々のにおいをかいだ。

アルフレッドが、木漏れ日さす明るい森の中ほどまで来たとき、前方に車いすを見つけた。道の真ん中にぽつんと車いすがたたずみ、乗っている人間も微動だにしない。

介添えの人間は? あたりに、ほかの人間の気配はない。

アルフレッドは不審を感じて、あわてて駆け寄った。

 

「あの――だいじょうぶですか?」

車いすに乗っているのはずいぶん高齢の女性だった。

彼女は眠っていたようで、アルフレッドの声に、しょぼしょぼと目を開けた。

ブルネットが白髪と化したボブヘアに、ずいぶん老齢の、枯れて痩せた身体だったが、身体は大柄だった。彼女がわかいころは、恐らくアルフレッドより背が高かっただろう。上品な白ブラウスに、目を見張るような、大きなエメラルドのブローチをつけている。

ホテルではめずらしくもない、身分の高い女性のようだった。

宝石を身に着けた車いすの老女を、こんなところにひとり、放置しておくなんて。

軍事惑星は治安がわるい。ここはマッケラン家の屋敷内だから安全かもしれないが、それでも、あぶないに決まっている。

 

「あの、」

「――アミザかい?」

老女は、アルフレッドを見てそう言った。

「い、いえ、僕は、アルフレッド……、」

「悪いねえ、ばあちゃん、寝ちまってたよ。散歩はもうやめよ。ほらかえろ、ほら、……。ナグザ・ロッサの海戦の話をしてあげるから……」

まるでおやゆび姫の話をしてあげる、とでもいうように、どこかの戦争の話などするものだから、アルフレッドは(軍事惑星ってやっぱり、俺たちの星とはちがうな)と少々鼻白んだ。

それにしても、この品のいい老女は、アルフレッドをだれかと勘違いしているらしい。

 

「あの、僕は、アルフレッドといいます」

アルフレッドは、はっきりと聞こえるように、声高に言ったはずなのだが、老女は、口をもぐもぐと動かしたあと、また眠ってしまった。

アルフレッドは、戸惑った。付添人もいない様子の車いすの老女をここに置いていくわけにもいかなくて、困ったようにしばしたたずんだ。

携帯電話でホテルの従業員を呼ぼうとして、電話を部屋に忘れてきてしまったことに気付いた。地球行き宇宙船での携帯をつかわない生活の癖が抜けなくて、L系惑星群にもどってからも、あまり携帯電話を携帯していない。

アルフレッドは、放っておくわけにもいかず、しかたなく、その全自動の車いすを押して、ホテルへ戻ろうとした。

 

「どこ行くのさアミザ、こっちだろ」

アルフレッドがもどりかけたのを、老女の声が引き留めた。そっちではない、こっちだと、老女が明後日の方向をさす。アルフレッドは仕方なく、老女の散歩につきあうことにした。

老女の言うままに車いすを押してきたアルフレッドだったが、大きな屋敷が見えてくるにしたがって、歩みが遅くなった。

 

「あの、……ここはまずいです。まずいですってば」

アルフレッドは何度も告げたが、彼女は、「早く行け」といって聞かない。しかも、この老女の声は存外厳しくて、アルフレッドはなぜか従わされてしまっていた。

まるで、元帥か大将軍に命令されているような、逆らい難さだった。ここはアマゾネスの星だし、戦争の話を子どもか孫に聞かせているだけあって、この老女はもしかしたら、往年は元帥だったかもしれなかった。

しかしさすがに屋敷が完全に見えるところまで来ると、アルフレッドは立ち止まった。

「この先は、立ち入り禁止だってホテルのひとに言われてるんです。もどりましょう」

アルフレッドは、この老女がホテルの客だと信じ切っていた。

「なに言ってるんだい。自分のうちに入るのに、立ち入り禁止だなんて、あるもんかい」

老女は怪訝な顔をしたあと、

「――ああ、悪さして、シナコに怒られたんだねえ。心配いらないよ。ばあちゃんがいっしょに謝ったげるから――ほら、行こう、アラン」

 

アルフレッドはぎくりとした。

今度はアミザではなく、アランと呼ばれた。

アルフレッドはここでようやく、「アミザ」の名も思い出し、この老女がホテルの客ではなく、この屋敷の持ち主であるマッケラン家の人間なのだということに気付いた。

アラン――おそらく「アラン・G・マッケラン」。

アルフレッドは、今、まさにその人物の生涯をワードにまとめているのだ。

まさか、この老女はアランの祖母なのか。

 

バンクスのインタビュー相手は「アミザ・M・マッケラン」。

首相の娘であり、マッケラン家の次期当主と噂されている、バンクスをこの屋敷に“呼びつけた”人物――取材費の出どころでもある。

 

「あの、僕は――僕は、その、」

アルフレッドは状況にひるみ、自分の手に負えない事態になることをおそれて踵を返しかけたが、それを止めたのは、「ばあちゃん!」という若い女性の大声だった。

 

「ばあちゃん! ずいぶん探したんだよ! またひとりで抜け出したね――」

アルフレッドは、目を見張った。老女が、――半ばボケているにせよ、アルフレッドと彼女を間違えた意味がわかったからだ。老女をさがしにきた、鮮やかな青の軍服姿の女性は、背の高さこそ多少の違いはあれ、アルフレッドと同じ茶髪をみじかく刈り込んだヘアスタイルで、後ろ姿であれば、見間違えるかもしれなかった。

アルフレッドは、彼女の声が、ミシェルにも似ている気がした。

 

「あんたは? ばあちゃんを、連れてきてくれたの」

立ち入り禁止地区にはいったことを咎められることなく、不法侵入者だと疑われる心配のなくなったアルフレッドはほっとして、言いつのった。

「す――すみません。僕、ここが立ち入り禁止って知ってたんですけど、その、おばあさんが道路の真ん中で寝ていて、放っておけなくて――」

慌てた様子のアルフレッドに、茶髪の女性は、破顔した。

「あァ分かってる。珍しいことじゃないんだ。ばあちゃんは、いつも勝手にひとりで抜け出しては、遊歩道に行くんだ。まあだいたい、じぶんひとりで帰ってくるんだけど」

アミザは手をだし、アルフレッドと握手をした。

「連れてきてくれてありがとう。あたしはアミザ。――あれ、あんた」

アミザは、アルフレッドの顔を覗き込んだ。

「もしかして、――バンクスの助手?」

「あ、は、はい。そうです」

「……」

アミザは戸惑ったように一度黙した。何となく、気まずさを感じさせる表情だった。

 

「いや、ありがとう。あとで礼をするよ。バンクスにシャンパンでも持たせるから、――」

「アミザ、アミザ、ばあちゃんのお話を聞かせてやるから、おいでな」

さっきまで眠っていたようだったのに、急にいきいきとした表情を浮かべて、老女はアルフレッドを誘った。

「ばあちゃん、アミザはあたしだってば」

アミザが呆れ声で訂正するが、老女は、アルフレッドをアミザだと言ってきかない。アミザが強引に車いすを反転させ、連れて行こうとすると、老女の悲しそうな目が、アルフレッドのそれとぶつかった。アルフレッドは、そんな目をされてはもう終わりだった。