「あ、あのう……」

アミザが振り返る。

「僕、もうすこし、おばあちゃんとお散歩してきましょうか。仕事は夜しかないし、今のところ――ヒマなんです」

アルフレッドの身元は、アミザには分かっている。怪しいものではないことは、知れただろう。アミザは、さっきアルフレッドの正体に気付いたとき同様、すこし戸惑った顔を見せたが、

「う〜ん……あまり長いこと、ばあちゃんを外に出しておくのはね」

と苦笑した。そして、しばらくおばあさんを見つめた。なにか迷っているような、複雑な表情だった。

アミザが悩んでいる間に、アルフレッドは二度ほど、「やっぱりいいです。僕はこれで失礼します」といいかけたが、おばあさんの無垢な目がじっとこちらを見据えるたびに、口から出かかった言葉が引っ込むのだった。

アミザも、そんなおばあさんの様子を見てか、やっと決意したように言った。

「ばあちゃんは、たぶん何かひとつ話をし終わったら寝るから。じゃあ、なかで話に付き合ってやってくれる?」

アルフレッドは、恐る恐る、うなずいた。

 

アルフレッドがあとをついてくると、老女は安心したのか、またおとなしくなった。アミザが彼女の車いすを押すうしろを、二歩分ほどさがってアルフレッドはついて行った。

屋敷の壁ぞいに細い小道を歩み、突き当たりの小ぢんまりとした庭先の門をあけ、入った。こちらは裏口らしかった。

「まあ――まあ! ツヤコさま!」

狼狽した様子のメイドが、あわてて駆け寄ってくる。

「また、遊歩道にいたらしいよ」

「門のカギもちゃんと閉めておきましたのに、いったい、毎度、どこから出てしまわれるのやら……! アミザ様、ほんとうに申し訳ありません」

メイドはアミザに何度も頭を下げたが、アミザは苦笑するだけで叱りはしなかった。

 

「あの、アミザ様、この方は?」

メイドのいぶかしげな視線を浴びたアルフレッドは首を竦めかけたが、怪しいものではないとわかってもらうために、なんとか背筋を伸ばした。

「あたしの“後輩”。書斎にお通しして。ばあちゃんと一緒にね――それから、お茶を」

「かしこまりました。お茶菓子はスティーヴン様からいただいた木苺のマドレーヌがありますの」

「いいね。あたしの机にも置いといて」

「はい。アミザ様、お客様がホテルの会議室でお待ちですわよ――それと、サンディ中佐がお帰りになられて」

「わかった」

メイドは、アミザの手からツヤコと呼ばれた老女の車いすを預かると、ゆっくりと押ししながら屋敷に入っていく。

アミザはすっとアルフレッドと肩を並べると、小声で言った。

「――この屋敷の者に、君の正体をたずねられたらこう言ってくれ。アミザがL55に留学していたときの後輩だと」

アルフレッドは跳ねるように彼女の顔を見たが、アミザの顔は正面を向いていた。

「君は、バンクスの名を絶対に出しちゃいけない。屋敷の者には、彼のことを話さないでくれ――学生時代のことを根掘り葉掘り聞かれそうになったら、すぐ『時間だ』といって席を立つこと――いいね?」

「は、はい――」

アルフレッドは、ごくりと喉を鳴らした。

 

それからのアミザは、ほんとうに、アルフレッドを友人としてあつかった。彼を書斎まで連れて行く途中で、ツヤコの正体も教えてくれた。

「ツヤばあちゃんは、あたしのひいおばあちゃんだ。もう百歳を超えてる。最近はちょっとボケが入ってきちゃってるけど、もともとすごく頭のいい人だったんだ」

「そうなんですか」

先ほど、アルフレッドが思ったことは正解だった。

アランは、アミザの叔母で――アミザの母、ミラの姉だ。そのアランに対して、ツヤコは自身を「ばあちゃん」と言っていたのだから、ツヤコはアランとミラの祖母――つまり、アミザの曾祖母にあたる。

「書斎の本を、若いうちに全部読んじまって、その話をまだ覚えてる」

「それは……すごいですね」

アルフレッドは素直に感嘆した。

 

案内されて入った書斎は、ずいぶん広い。まるで小さな図書館だった。百畳以上もある部屋の側面は、ふたつの大きな窓をのぞいて書棚で埋め尽くされ、ドア付近にコの字型のソファとテーブルがある以外は、天井まで届きそうな書棚が部屋を埋めていた。

(この書斎の本を、ぜんぶ?)

「うわあ……」

アルフレッドがおもわず歓声を上げたのに、アミザは肩を竦めた。

「本は好き? 好きそうだね。ばあちゃんの話は、一時間程度で終わるだろうから、そのあと、本を読んでいてもいいよ。でも図書館じゃないけど、五時まえにはこの屋敷を退室してくれ――五時以降は、どっと屋敷内に人が増えるから。あまり、君の姿を人に見られたくない」

「あ、は、はい!」

アルフレッドは、この蔵書をぜんぶ読み、そして覚えているというツヤコの記憶力に感嘆したのだが、本の多さに感激していると思われたようだ。じっさい、本は好きなので、あながち間違いでもなかったが。

「じゃあ、ごゆっくり」

アミザは、重厚なドアを開けて、出て行った。

アルフレッドはさっそく、窓際のツヤコのそばにいき、窓の桟に腰かけて、笑顔を向けた。

「おばあちゃん、話を聞かせて」

 

 

 

 

アミザのいったことは本当だった。ツヤコおばあちゃんは、かっきり一時間、話をすると、あとは電池が切れたように居眠りを始めた。

 アルフレッドは、まったく退屈などではなかった。彼女の話は、とても臨場感にあふれていて、アルフレッドはあっという間に引き込まれていた。惜しむらくは、もっと聞きたかったのに、話の途中で彼女が眠ってしまったことだった。

 (これからがいいところだったのに)

 ツヤコの話は、彼女が遊歩道で言っていた、「ナグザ・ロッサの海戦」の話だった。

生々しい戦争体験かとアルフレッドは多少気構えていたのだが、彼女の口から出てくる話は、ファンタジーとも歴史ともいえぬ、英雄譚だった。

舞台はあの「アストロス」。

アルフレッドが地球行き宇宙船に乗っていたなら、立ち寄るはずだった最後の観光惑星だ。

話の内容は、三千年前、アストロスで戦った、マッケラン軍とロナウド軍の話で、主人公の名は、マッケラン始祖と仰がれているミカレン。

 ミカレンの乗った巨大戦艦が海に沈んでいくシーンを話し始めたところで、ツヤコは眠ってしまった。