カレンが部屋に入ると、部屋中に電話の呼び出し音がひびいていた。カレンを追って部屋に入ってきたセルゲイに、カレンは即座に言った。

「セルゲイ」

「なに?」

「あたしはだいじょうぶ――セルゲイの部屋にも、電話が来てるんじゃないかな」

カレンの部屋の電話がいったん鳴りやんだと同時に、隣室から電話の音が響く。

「たぶん、義母さんたちからも、タケルや――あと、ララからも連絡が来てるかもしれない。一気に取れないから、セルゲイはタケルたちのほうに連絡してくれる? “あたしは今のところ、無事だって”」

そうして、セルゲイが手にしている一冊の本を目にし、ちいさく笑んだ。

「それ、もう売ってるんだ、――セルゲイは、読んだの」

「いや。私はまだ――カレン」

「その本の話はあと」

カレンはきっぱりと言った。

「その本の話は、ずっとあとにしよう。あたし今、アミザのことで頭がいっぱい。分かるでしょ」

ほんとうのところ、頭を占めているのは、アミザでもミラでも、ツヤコのことでもなく、なぜかあのガイコツ・タトゥだけなのだが。

 

「――ああ」

セルゲイは、それでも何か言いたげな顔をしたが、カレンを追いつめる気はもちろんないのだ。

「わかった。じゃあ、私はタケルさんに連絡しよう。カレンは、ミラ首相に、」

「OK――あたしは、義母さんに。ララにも連絡しておく」

カレンは冷静だ。セルゲイはそれをたしかめると、すぐ隣室に向かった。

セルゲイが部屋を出ていくのと同時に、カレンは電話に張り付く。室内の電話も、パソコンのほうも、履歴だらけだった。

L20の首相官邸、ミラ個人の携帯、ミラの秘書ソヨンの携帯、中央役所の番号、チャンにタケル、ララ、シグルスの番号――。

また室内の電話が鳴る。カレンは電話を取らずにキッチンに行き、水を飲んだ。

 

(アミザは“重症”――重体じゃ、なかった)

狙撃されたが、間一髪、急所は外れたのか。グレンたちがニュースを見続けてくれているはずだし、ミラに連絡すれば、アミザの容体は聞ける。

 頭の中は、真っ白かと思いきや、なぜかあのガイコツ・タトゥがぐるぐる巡っている。

 現実逃避でもしているのだろうか。

 カレンは自分の脳内を他人ごとのように観察しながら、室内電話を無視し、パソコンのテレビ電話を起動するキーを押した。ミラのそれにつながる。画面向こうには、すぐに、ミラと秘書ソヨンの顔が映った。

 

「義母さん!」

思わず大きな声が出ていた。カレンの声に、ミラが画面のほうを向いた。とたんに顔がくしゃくしゃに崩れる。

『よか――よかった。カレン、おまえが無事で――』

泣き崩れるミラを、秘書が支える。ソヨンはありがたいことに冷静だった。カレンが聞くまえに、ソヨンが言った。

『アミザ様は、心臓付近を撃ち抜かれたのですが、無事です。心臓は無事。それで、弾は貫通して――意識はまだもどっていませんが、明朝には目覚めるだろうって、医者が言っています』

カレンは鼻をすすった。

「うん――」

『アミザ様は、ブラッディ・ベリーの精鋭が守っています。犯人もすぐ見つかるでしょう。心理作戦部と、J/J(ジャンク・ジャム)と桃龍幇が、警察星の組織と連携して探していますから――』

「ああ。ソヨン。――義母さんを頼む」

『カレン様も、宇宙船内とはいえ、お気を付けください』

「あたしのほうはだいじょうぶ。ララも動いてくれてるし、あたしはメフラー商社の傭兵と暮らしてんだよ」

『アズラエルさんですか』

ソヨンはすこし、安心した顔をした。メフラー商社のネーム・バリューは、ずいぶんな効果だ。

 

『カレン――カレン』

涙をすこしこぼして落ちついたミラは、画面でカレンに向き合った。首相官邸である画面の向こうは、人が何人もごった返してパニック状態だった。ソヨンはミラを椅子に座らせると、カレンに目だけで会釈して、席を立った。

『あと三十分で記者会見だ。行かなきゃならない。――あんた、あの本を見た』

「読んだよ」

カレンははっきりと返事をした。とたんに、またミラの顔がゆがんだ。

『バカな子だよ――アミザ――あんな無茶な真似を――いいや、バカはあたしかもしれない――アミザの決意に気付いてやれなかった――』

それから、いつものあの目をした。カレンが傷ついていないか、苦しんでいないか、探るような目を。

 

『カレン、あたしは、姉さんが肺炎で死んだと思っていた』

アミザもカレンも、ミラからそう聞かされて育った。

まさか死因が、肺炎に見せかけた毒殺だなどということは、ミラもあの本を読むまで知らなかったのだ。

 

ミラは、今回逮捕されたマッケラン家の要人五人が、ドーソンと結託してアランの裁判判決をゆがめ、彼女にすべての罪をかぶせたことに対する、ふかい憎しみを長年抱え続けてきた。

彼らが裏で動いているのはわかっていたが、証拠がない。かつてミラは若く、力もなかった。けれど、マッケラン当主となり、首相になった今でも、彼らを更迭することは難しかった。元気だったころのツヤコに「まだ時期ではない」と何度も止められたし、彼らを更迭すれば、マッケランが真っぷたつに割れる。

マッケラン家でも権力を誇る五人を更迭するには、アランの裁判の裏をあきらかにし、逮捕投獄するしかなく、それをしたが最後、アミザとカレンに危険が及ぶことを知っていた。

だから、手が出せなかったのだ。

しかし、この五人が先頭を切って、カレンが当主の座につくのを反対しているとなれば、いつかは対立する日が来る。

ミラも、姉アランを悲劇的な死に追いやった彼らが憎くないわけではない。けれども、ミラはマッケランの当主である。軽はずみな真似はできない。

サルディオネからもらったアドバイスもあったことだし、そもそも、カレンが地球行き宇宙船からもどってくるかどうかも分からなかった。

ミラも、いつか真実をあきらかにし、彼らを更迭すべきときのために、用心深く機を伺っていたのだが、ついに、アミザが思い切った行動を起こしてしまった。

おそらく、アミザがバンクスに頼んで本にしようとした部分は、アランの裁判の背後に、ドーソンとマッケランの要人たちが関わって、事実をゆがめたというところだろう。

ドーソンのバブロスカ裁判のときのように、真実を本にし、世論を動かし、L55を介入させようとしたのだ。

自分の命が危うくなっても告発し、カレンが当主につくのに、邪魔な人間を排除しようとした――。

しかし、アミザにも予想外だったのは、呆けてしまったツヤコが、「真相」を語り出したことだった。

おかげで、アランに毒入りの風邪薬をのませたエルナン医師の存在があきらかになり、彼の自白により、マッケラン家要人たちの逮捕は、即座におこなわれた。

 

「――義母さん、アミザは、あたしを当主にするために、あんな真似をしたんだね」

自分の命が狙われていることを知っていながら――アランを死に導いた者たちの罪を裁き、マッケラン家の獅子身中の虫を更迭するために、アミザは自分の命を懸けた。

ツヤコが、カレンとアミザの命をひきかえにされ、ずっと表に出せなかった真実を、アミザは。

 

『カレン』

ミラは、訂正しようとした。言葉をさがし、それは違うのだと首を振りかけたが、長い付き合いだ。親子としてずっと暮らしてきたのだ。それが、ウソか本当かは、見分けることができた。

ミラは、カレンが、自分のために命を懸けたアミザのことで、自分を責めたりしないか、心配しているだけだ。

目を見て話せば、それがはっきりわかった。