それにしても、ユージィンは、グレンを消すことに、異様な執念を燃やしてはいまいか。それがなぜなのか、クラウドにもまだ確証はつかめない。

(だとしたら、まだ用心するべきだ)

クラウドは思った。

アンダー・カバーの目的も、今いちはっきりとはわからない。グレンのためにも、降りてもらうのが一番だ。

 

 「アンダー・カバーの、ルパートという男について、なにか分かった?」

 クラウドが思い出したように尋ねたが、チャンは首を振った。

 「そっちには、怪しいところはなにもありません。ルパート・B・ケネスという、アンダー・カバーのメンバーは、たしかに存在します。乗船前に大怪我を負い、二度と任務ができない身体になったというのも虚偽ではない」

 「……」

 クラウドは、自分の携帯端末のデータ・ベースにある、ルパートの写真を表示させた。

 

 みじかい黒髪に、メガネ――。

 乗船した当時はケガが治り切っていなかったのか、顔にいくつか傷がある。

 

 (心理作戦部……)

 ジャックが言おうとしたことはなんだったのか。

 (まさか、なァ……)

 

 彼のメガネを取り、髪をもうすこし伸ばせば、この顔が、クラウドの知る「心理作戦部の誰か」に似ていなくもない。

 ジャックは、その心理作戦部の隊員の顔を見たことがあった。だから、船内で偶然見たルパートの顔を見、心理作戦部の隊員だと思ったのかもしれない。

 「チャン、」

 「なんです?」

 「エーリヒとベンは、まもなく、乗ってくるんだよね?」

 「はい。おそらくここ数日以内には」

 「……チャン。たぶん、アンダー・カバーは、グレンを消す気はない」

 「……」

 「だが、ユージィンが、なにがなんでもグレンを始末したい気でいることは確かだ。それとはべつに、アンダー・カバーの任務が、心理作戦部関連だということも分かった」

 チャンは目を見張った。

 「アンダー・カバーには宇宙船を降りてもらいたい。グレンの安全のためにも。だけど、強制降船だと、L18に送還される。それだと、彼らの身にも危機が及ぶ。だから、自主的に降船するよう、仕向けてはもらえないか」

 「――できるかぎりのことはしてみます」

 チャンはうなずいた。クラウドは「ありがとう」といって、会話を終わらせた。

 (グレンは、死なせない)

 

 メリーは、タケルについて部屋を出て行こうとする間際、振り返ってだれかの姿を探した。ルナの顔を見つけると、「コーヒーごちそうさま。美味しかったよ!」とウィンクした。

 「あたしが作ったパイ、全部食べてくれてありがとう!」

投げキッスを寄越した彼女が、ホーム・パーティーのとき、パイを焼いてくれた女の子だと、ルナはやっと気付いた。

 「こ、こっちこそ、ごちそうさまでした! すごくおいしかったよ!」

 ルナが叫んだときには、もうメリーは車に乗せられたところだった。

 

 

 

 

 カレンの部屋は現場検証のため、警察官たちに明け渡され、カレンはセルゲイの部屋のソファに、寝転がっていた。

 

 (ほんとうに今日が、命日になるところだった……)

 

 あの不思議な夢がなければ。

 タトゥの正体を思い出すまでだいぶかかったが、あのままジャックを怪しむことなく、普段通りに迎え入れていたら、カレンは今頃、命はなかった。

 真正面から心臓を撃たれて、即死だったろう。

 そう考えたら、急にエアコンも温度が下がったような気がし、カレンはソファの上で、自分の身体を抱きしめた。

 

 (あの、ピンクのウサギが、教えてくれなかったら)

 

 あれは虫の知らせとか、そういった類のものだろうか。先日見た、真っ赤な空の、銃声が鳴り響いた不吉な夢も。あれは、アミザの狙撃を意味していたのか。

――自分も狙撃されたけれども。

 

 アズラエルとグレンのおかげで、自分のケガはまったくなかった。

 グレンときたら、このあいだ、真砂名神社で負った大怪我がやっと治ったというのに、また病院行きだ。

「どうして俺ばかりこんな目に遭うんだ」という、グレンのしかめっ面が容易に想像できて、カレンは小さく笑った。

(ほんとに悪かったよ……あんたのおかげでケガしなかった)

グレンには、あとで直接礼を言わねばならない。グレンのことだから、照れ隠しに「うまいソーセージとビールを用意してくれたら許す」とかいって病院で宴会をはじめようとするにちがいない。

 

 リビングの外には、ヤンとラウが控えている。彼らだけではない。ララが手配した傭兵や、元警官隊の役員たちが、アパート周辺を厳重に固めている。しばらくこの付近は厳戒態勢に置かれるのだ。

 (レイチェルたちも怖いおもいしただろうな……ごめん)

 彼らには、もう直接、謝ることはできない。

 カレンは、明日、ララの屋敷に移動する。カレン自身の安全と、ルナたちの安全のためだ。送り込まれた組織が、もうないとは言い切れない。

 

 そうして、明後日にはもう――カレンは、宇宙船にはいない。

 

 (ジュリ……)

 ジュリは、連れて行けない。これからカレンが歩む道は茨の道で、これまで宇宙船でしてきたような、のんきな生活ではない。これから何度も、命の危機に遭うだろう。そんな世界に、ジュリを連れて行くわけには行かなかった。いきたくもなかった。

 ジュリにはかわいそうなことをしたと思う。

 おそらくジャックは、グレンの情報をつかむために、ジュリに接触していたのだろう。かわいそうなジュリ。

 (今度こそ、本気で愛せる人ができたと思ったのにね)

 ジャックは、利用するつもりでジュリに近づいたのだろうが、すくなくとも、ジュリはジャックが大好きだった。ロミオより、好きになっていたかもしれない。

 恋人の頭がめのまえで吹っ飛んだジュリは、衝撃のあまり気が狂ったようにわめきつづけていた。安定剤をうたれて落ち着いたが、トラウマにならなければいいが――。

 

 カレンも今すぐ駆けつけたいところだったが、安全のために、勝手な行動は慎まなければならない。

 ジュリは、あとでルナとミシェルが見舞いにいくと言ってくれたし、マックスが、駆けつけてくれたそうだ。

ルナやミシェルにもけがはないし、ピエトは学校へ行っているから無事だ。

しかし、さすがのクラウドも、ジャックをヘルズ・ゲイトの残り一人だとは、予想できなかったのだ。あのメモがあったから――そして、ふだんから、ルナの見る夢の不可思議さに触れていたから、見破ることができたのだ。

 そうでなければ、たかが夢で見たタトゥの模様を、あそこまで本気に考えることはなかっただろう。