食卓が、静まり返った。ピエトも、さっそくシチューを口に運ぼうとしたところで、固まった。 「明後日……!?」 最初におどろきを口にしたのはミシェルで、ピエトも、「そんなに早く行っちゃうのかよ!」と叫んだ。 アズラエルたちはすでに聞いているのだろう。ちいさな嘆息をこぼしただけだった。ルナが驚いていないのが、カレンには意外だった。軽食を配ってきた際に、ヤンあたりから、聞いたのかもしれない。 「ごめん、急な話だけど、みんなにも危険が及ぶかもしれないから、あたしは明日の朝、ララの屋敷に移動する。で、そのまま、明後日には宇宙船を……」 カレンはそれ以上、言えなかった。ルナが、ぼろぼろ涙を流していたからだ。 「――ルナ」 「ふぎ、ふぎ……、ふぎ、」 おかしな声をあげながら、しゃくりあげている。 ルナの涙は、みるみる連鎖した。 「ほ、ほんとに急すぎるよ……」 ミシェルまで目を真っ赤にし、ピエトが、「俺は泣かねえ!」と叫びながら号泣しはじめた。 「やれやれ……湿っぽいのは、明日の朝まで待てよ」 アズラエルが呆れ声で、ルナとピエトの頭をなでた。 「シチューが冷めるだろ」 「たしかにね。熱いうちに食べよう。みんな――ほら」 驚くべきことはクラウドまで、真っ赤になった鼻の頭をごまかしながら、シチューを口に運んでいたことだ。 おかげで、みんな(アズラエルとセルゲイ以外)、泣きながらシチューを啜りだすという珍妙な光景となったため、カレンは吹き出してしまった。 「なに笑ってるのよう」 ミシェルの抗議が入ったが、カレンは笑い続けた。おかげで、せっかく用意していた別れのための演説も、せずに終わってしまった。 しかし、カレンが降りることはみんな悲しんでいるのに、セルゲイのことはだれも悲しんでいないのだった。すくなくとも、皆の意識の中では、セルゲイも降りるという考えはないらしい。 たしかに、急すぎたとカレンは思う。 今日の、アミザの狙撃と、ジャックの悪意ある訪問がなかったなら、カレンは一ヶ月後に降りるつもりだった。宇宙船で出会った友人たちとわかれの盃を交わす時間は、本来なら目いっぱいあったはずなのだ。 セルゲイを説得する時間も――いっしょに暮らしていた皆に、きちんと別れを告げる時間も。 もう、なくなってしまった。 カレンの心配をよそに、セルゲイは、「自分も降りる」ということは、食卓でいっさい口にしなかった。それを言わないセルゲイの心中は、カレンには分からない。 セルゲイはついてくるつもりなのか――ここに残るつもりなのか。 セルゲイのことだから、曖昧なままにしておいて、ついてくるのかもしれない。 カレンも頑固で、セルゲイも頑固だった。話し合いで解決しないとなれば、セルゲイはそうするにちがいなかった。 (だてに長年、つきあってきたわけじゃない) セルゲイのすることは、ある程度はわかるつもりだった。 半分泣き笑いの晩餐が終了したあと、みんなで後片付けをした。たわいのないことを話し、ふざけあい、いつもの会話をした。みんな、入浴のためにルナたちの部屋を後にし、アズラエルとピエトも浴室に姿を消すと、リビングは、ルナとカレンだけになった。 ふたりは、ソファに座った。しばらくは、なにを言うでもなかったが、やがてカレンが、ひとつ、おおきなため息をついた。 「ルナの味噌汁、うまかったなあ……」 今日の食事は、半分泣き笑いだったが、カレンは味わって食べた。ルナの味噌汁もごはんも、これかぎりにする気はないけれども、きっとまた、口にできるとしたら、何年さきのことになるだろう。 「鍋ひとつすっからかんにしたから、今日はもうなにも入んないよ……」 カレンは、驚くほどふくらんだおなかをさすって言った。ルナがそれを見て笑った。 「食いおさめだ!」とか何とか言って、カレンは大きな味噌汁鍋を、ほんとうに空にしたのである。 「今日は、怖い思いをさせたね」 カレンが言うと、ルナは首をぶんぶんと振った。 「ぜんぜんこわくなかった!」 「ほんとかよ」 「……というのはウソなんだけども」 ルナは正直に言った。 「でもね、この宇宙船に乗ってから、ほら――いっぱいいろいろあったから。レボラックにくらべたら、ぜんぜんこわくなかったよ」 たしかに、呪いを宿したレボラックは怖かった。カレンの一生の中で、あれほど怖いものを見る機会は、もう二度とないだろう。そうであることを祈る。 「あたしもさすがに、あのレボラックは、怖かったなあ……」 「それにあたしは、メルヴァと対決する日がくるかもしれないし、だから、怖いけど――うん、やっぱり怖いけど、つよくなるって決めたの」 「……頼もしいな」 ルナも変わっていく。ミシェルも。 カレンがはじめて会ったとき、アズラエルという傭兵に怯え、逃げ回っていたルナはもうどこにもいなかった。 やがてふたりは、かつてのことをぽつりぽつりと話した。 懐かしい話を。 カレンは、セルゲイに連れられてきたルナと居酒屋で飲んで、意気投合したこと。つくってもらったごはんが、本当に美味しかったこと。 ルナは、カレンに、アズラエルから「逃げろ」と言われたこと。そのあとすぐグレンにとっ捕まったこと。 「ああ……あたしとしちゃ、グレンとアンタがうまくいってくれたらなって思いがあった。ちょっとね。でも、けっきょくアズラエルとくっついちゃってさ。こんなにうまくいくんなら、逃げなくてもよかったんじゃないかと思ったよ」 「そうでもないよ。あのとき、椿の宿に行って、ほんとによかったと思う」 思い出話がおわると、またちいさな沈黙が訪れた。 「――ねえ、ルナ。あんた、夢ってある」 いきなり聞かれて、ルナは目をぱちくりとさせた。 「ゆめ」 今までは、そんなたいそうなものは持っていなかった。でも――。 この宇宙船に乗ったことで、ルナに、「なりたいもの」ができたのは、確かだった。 「わらわない?」 ルナは聞いたが、カレンは「笑わない。ぜったい」と真剣な顔で念押しした。 カレンが真面目な顔で言ったので、ルナはすこし頬を赤らめながら――告白した。 「うんとね――K19区の役員さん」 「え?」 「ま、まだね、だれにもゆってないの。アズにも、ミシェルにもね、」 ルナは説明した。メルヴァとの対決で生き残って、かならず地球に行って、地球行き宇宙船の役員になりたいと思っていること――そして、そのなかでも、難しい試験があるらしいが、K19区の役員になりたいということ。 K19区の役員は、ピエトのように身寄りのない子を、養子にすることができるということ。 「マジかよ」 カレンは、目を真ん丸にしていた。 「じゃあ――あたしの夢も、かないそうだ」 |