百三十五話 いってらっしゃい、カレン



 

食卓が、静まり返った。ピエトも、さっそくシチューを口に運ぼうとしたところで、固まった。

「明後日……!?」

最初におどろきを口にしたのはミシェルで、ピエトも、「そんなに早く行っちゃうのかよ!」と叫んだ。

アズラエルたちはすでに聞いているのだろう。ちいさな嘆息をこぼしただけだった。ルナが驚いていないのが、カレンには意外だった。軽食を配ってきた際に、ヤンあたりから、聞いたのかもしれない。

「ごめん、急な話だけど、みんなにも危険が及ぶかもしれないから、あたしは明日の朝、ララの屋敷に移動する。で、そのまま、明後日には宇宙船を……」

カレンはそれ以上、言えなかった。ルナが、ぼろぼろ涙を流していたからだ。

「――ルナ」

「ふぎ、ふぎ……、ふぎ、」

おかしな声をあげながら、しゃくりあげている。

ルナの涙は、みるみる連鎖した。

「ほ、ほんとに急すぎるよ……」

ミシェルまで目を真っ赤にし、ピエトが、「俺は泣かねえ!」と叫びながら号泣しはじめた。

 

「やれやれ……湿っぽいのは、明日の朝まで待てよ」

アズラエルが呆れ声で、ルナとピエトの頭をなでた。

「シチューが冷めるだろ」

「たしかにね。熱いうちに食べよう。みんな――ほら」

驚くべきことはクラウドまで、真っ赤になった鼻の頭をごまかしながら、シチューを口に運んでいたことだ。

おかげで、みんな(アズラエルとセルゲイ以外)、泣きながらシチューを啜りだすという珍妙な光景となったため、カレンは吹き出してしまった。

「なに笑ってるのよう」

ミシェルの抗議が入ったが、カレンは笑い続けた。おかげで、せっかく用意していた別れのための演説も、せずに終わってしまった。

 

 しかし、カレンが降りることはみんな悲しんでいるのに、セルゲイのことはだれも悲しんでいないのだった。すくなくとも、皆の意識の中では、セルゲイも降りるという考えはないらしい。

 たしかに、急すぎたとカレンは思う。

 今日の、アミザの狙撃と、ジャックの悪意ある訪問がなかったなら、カレンは一ヶ月後に降りるつもりだった。宇宙船で出会った友人たちとわかれの盃を交わす時間は、本来なら目いっぱいあったはずなのだ。

 セルゲイを説得する時間も――いっしょに暮らしていた皆に、きちんと別れを告げる時間も。

 もう、なくなってしまった。

 カレンの心配をよそに、セルゲイは、「自分も降りる」ということは、食卓でいっさい口にしなかった。それを言わないセルゲイの心中は、カレンには分からない。

 セルゲイはついてくるつもりなのか――ここに残るつもりなのか。

 セルゲイのことだから、曖昧なままにしておいて、ついてくるのかもしれない。

 カレンも頑固で、セルゲイも頑固だった。話し合いで解決しないとなれば、セルゲイはそうするにちがいなかった。

 (だてに長年、つきあってきたわけじゃない)

 セルゲイのすることは、ある程度はわかるつもりだった。

 

半分泣き笑いの晩餐が終了したあと、みんなで後片付けをした。たわいのないことを話し、ふざけあい、いつもの会話をした。みんな、入浴のためにルナたちの部屋を後にし、アズラエルとピエトも浴室に姿を消すと、リビングは、ルナとカレンだけになった。

ふたりは、ソファに座った。しばらくは、なにを言うでもなかったが、やがてカレンが、ひとつ、おおきなため息をついた。

 

「ルナの味噌汁、うまかったなあ……」

今日の食事は、半分泣き笑いだったが、カレンは味わって食べた。ルナの味噌汁もごはんも、これかぎりにする気はないけれども、きっとまた、口にできるとしたら、何年さきのことになるだろう。

「鍋ひとつすっからかんにしたから、今日はもうなにも入んないよ……」

カレンは、驚くほどふくらんだおなかをさすって言った。ルナがそれを見て笑った。

「食いおさめだ!」とか何とか言って、カレンは大きな味噌汁鍋を、ほんとうに空にしたのである。



「今日は、怖い思いをさせたね」

カレンが言うと、ルナは首をぶんぶんと振った。

「ぜんぜんこわくなかった!」

「ほんとかよ」

「……というのはウソなんだけども」

ルナは正直に言った。

「でもね、この宇宙船に乗ってから、ほら――いっぱいいろいろあったから。レボラックにくらべたら、ぜんぜんこわくなかったよ」

たしかに、呪いを宿したレボラックは怖かった。カレンの一生の中で、あれほど怖いものを見る機会は、もう二度とないだろう。そうであることを祈る。

「あたしもさすがに、あのレボラックは、怖かったなあ……」

「それにあたしは、メルヴァと対決する日がくるかもしれないし、だから、怖いけど――うん、やっぱり怖いけど、つよくなるって決めたの」

「……頼もしいな」

 

ルナも変わっていく。ミシェルも。

カレンがはじめて会ったとき、アズラエルという傭兵に怯え、逃げ回っていたルナはもうどこにもいなかった。

やがてふたりは、かつてのことをぽつりぽつりと話した。

懐かしい話を。

カレンは、セルゲイに連れられてきたルナと居酒屋で飲んで、意気投合したこと。つくってもらったごはんが、本当に美味しかったこと。

ルナは、カレンに、アズラエルから「逃げろ」と言われたこと。そのあとすぐグレンにとっ捕まったこと。

「ああ……あたしとしちゃ、グレンとアンタがうまくいってくれたらなって思いがあった。ちょっとね。でも、けっきょくアズラエルとくっついちゃってさ。こんなにうまくいくんなら、逃げなくてもよかったんじゃないかと思ったよ」

「そうでもないよ。あのとき、椿の宿に行って、ほんとによかったと思う」

思い出話がおわると、またちいさな沈黙が訪れた。

 

「――ねえ、ルナ。あんた、夢ってある」

いきなり聞かれて、ルナは目をぱちくりとさせた。

「ゆめ」

 

今までは、そんなたいそうなものは持っていなかった。でも――。

この宇宙船に乗ったことで、ルナに、「なりたいもの」ができたのは、確かだった。

 

「わらわない?」

ルナは聞いたが、カレンは「笑わない。ぜったい」と真剣な顔で念押しした。

カレンが真面目な顔で言ったので、ルナはすこし頬を赤らめながら――告白した。

 

「うんとね――K19区の役員さん」

「え?」

「ま、まだね、だれにもゆってないの。アズにも、ミシェルにもね、」

 

ルナは説明した。メルヴァとの対決で生き残って、かならず地球に行って、地球行き宇宙船の役員になりたいと思っていること――そして、そのなかでも、難しい試験があるらしいが、K19区の役員になりたいということ。

K19区の役員は、ピエトのように身寄りのない子を、養子にすることができるということ。

 

「マジかよ」

カレンは、目を真ん丸にしていた。

「じゃあ――あたしの夢も、かないそうだ」

 




*|| BACK || TOP || NEXT ||*