百三十六話 エーリヒ、襲来



 

ルナは、泣き始めたところでインターフォンが鳴ったので、あわてて涙を拭いた。

アズラエルたちが合鍵を持っていかなかったわけはないが。グレンやセルゲイたちには合鍵をわたしてあるから、勝手に入ってくる。それに、レイチェルたちとリズンに行くことは、さっき断った。ルナに来客の当てはなかった。

ルナは赤くなった目と鼻をこすりながら、「……はい」と小さな声で返事をして、ドアを開けた。

先日の今日である。物騒な訪問があったばかりである。

アズラエルがルナの不用心さを知ったなら、これ以上はない雷が落ちていたところである。ルナには怒ったことがないセルゲイも、雷(物理)を落としていたかもしれない。

だがルナは、カレンのことで頭が一杯だったせいもあって、まったくも不用心に、ドアを開けてしまった。

 

「やあどうも――あれ?」

ルナの目の前に立っていたのは、白シャツに黒いスラックスに革靴、髪を後ろへなでつけたヘアスタイルの、無表情な成人男性だった。

特徴と言えば、真っ赤な大輪のバラの花束を手にしているというくらいの。しかし、したしげな口調とは裏腹に、顔の皮膚はまるで仮面かとおもうくらい、ぴくりとも動かない。

ルナは見たことがない男性だ――だが、なんとなく、懐かしさを感じた。はじめて会った気がしないような――もっとずっと――相当の昔から、知り合いだったような。

ルナは彼に、まるでミシェルを相手にしているような、親近感を持った。

 

「あれ? 部屋を間違えたかな」

「エーリヒ!」

無表情の男が、無表情に首を傾げたそのときに、クラウドの声がした。

「俺の部屋はこっちだ!」

「やあクラウド――ひさしぶり」

エーリヒと呼ばれた男性は、やはりにこりともしない顔で、クラウドに手を挙げた。そして、すぐルナに視線をうつした。

「ああそうか――では、君が」

エーリヒは、背をかがめた。アズラエルほど体格がいいわけではないが、エーリヒもそれなりに背が高い。

「君がうさこちゃんか。“ちっちゃなピンクのうさこちゃん”」

ルナは目を見開いた。

「はじめまして。私はエーリヒ・F・ゲルハルト。もと、クラウドの上司で――」

エーリヒは無表情でウィンクし、ルナに真っ赤なバラを手渡した。

「“英知ある黒いタカ”というのだが――どうぞ、よろしく」

 

 

 

「俺は、ZOOカードのことを、一度でも報告書に書いたっけ――それとも、君のことだから、知らないことがないだろうって、勝手に決めつけちゃってもいいのかな」

「ZOOカードというものは、私は知らない。君は報告書に、“ZOOカードという占術をあつかうサルディオーネ”と宇宙船で出会ったことは書いた。それから、決めつけないほうがいい。なんでもね――私は、知らないことだらけさ。だから、この宇宙船に自分が乗らざるを得なかったのだが」

 

マタドール・カフェに連れてこられたエーリヒは、ざっと店内を見回し、「なかなか素敵な店だ」といささか外れた鼻歌を歌った。――無表情で。

「いつ宇宙船に?」

「ついたのは、一昨日の深夜さ――昨日一日は、乗船後の手続きで一日がつぶれた」

クラウドは、ウィスキーとコーヒーだけのアイリッシュ・コーヒーを注文した。エーリヒはミルクセーキを頼んだあと、「そうそう、バラの話だが」と自分から切り出した。

 

「わたしとベンの担当役員だが、ソフィーという、そう――あれくらいある、巨躯の女性でね」

クラウドは、エーリヒが指さした方向を見た。そこには、アズラエルの父親のアダム級の大男――縦は二メートル超え、横もプロレスラーぐらいあるスーツ姿の男性――がちょこんとスツールに乗っかっていた。

エーリヒは、無表情のまま、いささか頬を紅潮させて、携帯に撮影した彼女の写真を見せてくれた。クラウドは、言葉を失った。

そこには、先日ベッタラがバトルを繰り広げたレボラックの親戚のような女性が映っていた。丸太のような腕は、ミシェル等身大分くらいありそうだった。

 

「かわいいだろう」

クラウドは、何かコメントを残すべきか迷ったが、エーリヒは返事を求めていないようで、助かった。

「もとハイパーレスキュー隊員だったという話だが、私もベンも、あっというまに捻りつぶせそうな女性でね――そう――脳みそまで筋肉でできていそうな感じが、また私の好みで、」

クラウドは絶句した。それから、恐怖のあまり、聞いた。

「まさか」

「そのまさかさ」

エーリヒは肩をすくめた。

「だが、今回のフラレ方は歴代でもマシなほうだ――さすが“奇跡の起こる”地球行き宇宙船。私は、ガッカリはしたが、ノーダメージだ。彼女は私を傷つけずに、丁重にお断りくださったよ。頬さえ赤らめていたから、きっと悪い気はしなかったんだ。そう――彼女は独身じゃなかった」

「うそ」

「君が信じられないのは、どちらかということは聞かないでおく。私がぺちゃんこにつぶれてないってことか――彼女が独身ではなかったということか。すくなくとも、彼女は申し訳なさそうにはにかみながら、左手薬指の指輪を見せてくれたよ――」

 

「君、ヴィアンカは」

クラウドは、聞いても詮無いことを聞いた。聞くしかなかった――これ以上、このレボラック似の女性の話をつづけないようにするためには。

「彼女はね、美しいし、かしこいタイプの女性だろう。憧れはするが、私はきっとつきあえない」

エーリヒはストローでミルクセーキを啜った。

「ダメなんだよ。中途半端にかしこい女性は。私が勝てないと思うほど、徹底的に賢い女性か、底抜けのマヌケか。どちらかでないと、私はダメなんだ。女性として魅力を感じない」

「……」

エーリヒよりかしこい女などいるわけがない。それともここは、“奇跡の起こる”地球行き宇宙船だから、奇跡が起こるだろうか?

「……」

さすがのクラウドも現実逃避しかけ、そして我に返った。会話の着地点を見失ってはダメだ。エーリヒと話していると、いつのまにかエーリヒのペースで話を持っていかれる。

 

「ベンは? ベンは一緒じゃないの」

クラウドは、やっと、自身が聞きたいことを聞くことができた。

「ベンは、この宇宙船に乗ってからは別行動。彼には彼の任務がある。そして、私にもやるべきことがね」

そうだ、とエーリヒは付け加えた。

「君、ここのチップはどうしたの」

エーリヒは、頭をつついてみせた。クラウドが聞きたいことはまだまだあったのだが、エーリヒが乗ってきた以上、急ぐこともあるまい。

「――もうとっくに取り出したけど」

「やっぱりね」

エーリヒは特に驚かず、淡々と言った。

 



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