彼のいうチップとは、心理作戦部に入隊する際に、脳内に仕込まれたチップのことだ。これがあるかぎり、エーリヒもクラウドも――そしてベンも、心理作戦部と完全に縁を切ることはできない。

心理作戦部の隊員が機密漏えいした起きた場合や、漏らしてはならない情報をかかえたまま逮捕された場合、脳内のチップが爆破する。――この世とはオサラバとなる。

クラウドは、地球行き宇宙船に乗ってすぐ、チップは手術でとりだした。チップは、脳に組み込むときに手術した医者しかとりだせないわけで、隊員が勝手に除去手術はできない。勝手に取り出そうとすればセンサーが反応して、爆破する。

クラウドは、心理作戦部本部にあるセンサーとつながっている脳内のチップの端末を切り、外科手術をして除去した。

それもこれも、世界最先端の科学技術と、医療技術が結集しているこの地球行き宇宙船のおかげである。

 

「私にも、その端末除去できるシステムと、脳外科の名医を紹介してくれるだろうね?」

「かまわないけど――それじゃ君ももう、心理作戦部にもどる気はないんだ」

 

チップを取り出すということは、二度と心理作戦部にはもどれないということだ。

L18の心理作戦部の入り口にはセンサーがあって、脳内のチップの暗号を読み取り、心理作戦部隊員だと認識される。部署外の人間が心理作戦部に入室するには、隊員といっしょか、それなりの手続きを踏まなければ、なかへ入れない。

端末を頭に入れていないのは、ユージィンくらいだ。

 

「いや、一度は帰ることになるだろう。その際も、一度きりだ、なんとかするさ。――まァおそらく、心理作戦部もなくなる。私が帰るころにはまだあることを祈るよ。私の予想としては、二年が限界といったところか。――勝手とは思ったがね、この混乱に乗じて、機密書類はほとんどL20の心理作戦部へおくった」

「なんだって!?」

クラウドは顔色を変えた。

「軍法会議ものだぞ!?」

「うんまあそうだろうね」

あっさり返ってきた。

 

クラウドは絶句したあと、エーリヒに質問をしようとしてやめた。今は、軍事惑星群の行く先を議論している時ではない。

だが、クラウドの予想を超えて、L18の崩壊は早そうだった。L18の軍部は混乱を極めたまま、壊死していっているのではないかという結論に達した。

混乱に乗じて、とエーリヒはかるく言ったが、心理作戦部内の機密書類をほとんど――どの程度か分からないが、他所におくるなど、いくらエーリヒといえど、今までの状態であればできるわけがない。

ユージィンが無理やり、心理作戦部の隊長におさまった時点で、L18の軍部は、加速度的に崩壊を始めたとクラウドは見ていた――チップも入れていない人間が心理作戦部の隊長など、いままでは、いくらドーソン一族であっても不可能だった。これでは、心理作戦部の機密もなにも、あったものではない。

規則が規則でなくなる――崩壊のきざしである。

 

(――L18も、終わりなのか)

クラウドはここにいたって改めて、L18の終末を想った。政治形態は、アーズガルドの尽力もあってなんとか保っているが、軍部はおそらく――。

エーリヒが自分を見つめていることに気付いて、クラウドはなんとか平静を保とうとした。故郷の衰亡を想像して、センチメンタルになっている場合ではない。

 

「機密情報を、L20にね」

クラウドは、らしくない失言をした。

「君のことだから、ロナウド家に送るかと、」

「――クラウド」

エーリヒは、無表情で声を低め――しかし口調はおもしろがっているように聞こえた。

「君がそれほどまでL19を“信用”するのは、オトゥールがいるからかね。それともバラディア氏?」

クラウドは、答えに窮して、口をつぐんだ。

「私情をはさまん方がいいよ、クラウド! 彼らはじつに善い人間だが、星をひとつ丸ごと背負っていること忘れてはいけないよ。オトゥール坊ちゃまの正義感は、まるで、太陽のごとくなのだよ。彼の危うさは、暗がりを知らんということだ」

「……」

「L19は“暗部”をつくることをよしとしない。暗がりも明るみも一緒くたにしようとする。それがどれほど恐ろしいことか――君は、考えてみたことが?」

「……エーリヒ、君の失業後は、L19に居場所をもらったのではないんだな」

「さあ。それはまだ分からない」

エーリヒは、ほんとうに、なにも決めていないようにみえた。とにかく、クラウドに、この男の考えていることは分からない。

 

「まずはチップの除去からだな。そのときには、君もベンに会えるだろう」

「――ベンも、心理作戦部には?」

クラウドが聞いたが、エーリヒはうなずいた。

「もどらない。彼は彼で、任務を終えたら、別の星に向かうだろう――地球に行く気はないようだ」

「今、ベンのチップを取り出してしまったら」

クラウドは懸念事項を吐露した。

「彼は任務を放り出して失踪するってことはない?」

エーリヒは、取り合わなかった。

「それはないよ。彼の、貴族軍人であるプライドが、任務放棄を潔しとはすまい――だけど、君は気をつけたほうがいいとおもうよ」

「……うん。それはすこし、心配してた」

クラウドは正直に言った。

 

かつてクラウドは、ベンに命を狙われたことがある。ベンの過去を調査したときだ。ベンはよほど、カイゼルの事件を掘り返されたくなかったのか、容赦なくクラウドの命を狙って来た。

あのときは、メフラー商社にたのみ、破格の雇い賃で(あのころは、メフラー商社に大きい仕事が来ず、デビッドも退屈していた)デビッドに護衛をしてもらったが、今はこれといってボディガードらしきものはつけていない。

デビッドのネームバリューのおかげで、大事になるまえにベンは引き下がったが、彼が執念深いのはクラウドも知っている。任務を完遂したら、今度はクラウドの命も狙いだすかもしれない。

 

「まァ、ベンの行動は逐一私が把握する。あやしい行動を始めたら、君に教えるぐらいはするさ。彼は、君たちの前にはあまり顔を出さないだろうが、」

「――ああ、そっちはなんとなく分かる」

ベンは、厳然たる傭兵差別主義者だ。傭兵であるアズラエルやメフラー商社の連中、あるいはロビンと、食卓を囲んだり、バーベキュー・パーティーをするなどというのは、根本的に無理だろう。

 

「ベンがグレンのボディガードで入る件は、なくなったの」

「そっちはなくなった。バーガス・B・ブダシェンコといったかね。君の報告書によると、メフラー商社のブダシェンコ夫妻がグレンのボディガードについているなら、それはそれでいいだろうとオトゥール坊ちゃまが仰って」

エーリヒは、ズズっと音を立ててミルクセーキを飲みほし、

「それよりコレ」

と、持参の黒いブリーフケースからディスクを一枚取り出し、クラウドに渡した。

「これは?」

クラウドの質問には、「ストロベリー・ソーダをひとつ!」とカウンターへ呼びかけてから、こたえた。

「“マリアンヌの日記”」

エーリヒのこたえに、クラウドは絶叫しそうになったのを、すんででこらえた。

 

 



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