クラウドとエーリヒは、K29区に移動した。クラウドの持つカードでシャインを利用して。 クラウドが案内した先は、K29区の科学センターの一室にある、クラウドの研究室だ。 エーリヒは、クラウドの研究室にはたいして興味をしめさなかったが、シャイン・システムのカードについては、ひとこと言った。 「そのカード、私ももらえないかなあ」 「君が俺たちの任務に協力してくれるなら、貸してくれるところはあるかもね」 「任務?」 エーリヒの目が興味深く光ったが、クラウドは、「その話はあと」と言った。エーリヒがわずかに――ほんとうにごく、わずか――不満げな顔をしたのを、クラウドは見逃さなかった。エーリヒの顔色を変えさせてやる機会などそうそうない。クラウドは胸のなかだけでガッツポーズを決めた。 クラウドが研究室に入ると、自動的にさまざまなシステムが起動する。エーリヒは、ざっと眺め渡して言った。 「情報分析科の部屋に似てるな――ここは、君の遊び場かね」 「そう思ってくれていいよ」 クラウドはエーリヒにソファをすすめ、自分は回転いすに座って、メイン・コンピュータにディスクを読み込ませた。 数秒も経たずに、スクリーンが浮き上がる。 ディスクの中身が、再生された。 「――これは」 クラウドが目を見張ったが、エーリヒには予想通りの内容だったらしい。彼は言った。 「エンジニアは、“子どもが書いた童話のようなもの”だと言っていたが――なるほど」 「ああ――たしかに童話だ。でも、これは――」 ――むかし、むかし、マーサ・ジャ・ハーナは楽園の島と呼ばれていました。―― 最初に再生されたのは、「マーサ・ジャ・ハーナの神話」にある、船大工の兄弟の話だった。 一話目が終わり、二話目からは、「うさぎ」が主人公の童話になった。読み進めていくうちに、クラウドは確信した。 クラウドには、覚えがあった。この「童話」を、クラウドはすでに読んだことがある。 (――これは、ルナちゃんの“夢”だ) ルナは、セルゲイから鍵を預かったあと、さっそくジュリとカレンの部屋へ行った。 警察はいなかったが、部屋のまえにはテープが貼られていたり、立ち入り禁止のロープがあったりして、ルナは一瞬、立ち止まってしまった。だが、今日中に撤収しなければならないというなら、はいってもいいのだろう。 ジャックの死体があった場所は、しっかりとかくされていたが、ルナはなるべくそちらを見ないようにして、慌ただしく室内に入った。 カレンと共同の日用品や雑貨の数々は、すでにセルゲイが片付けておいたのか、部屋はチェックアウト時のホテルのように、すっきりしていた。 おとついまで、ここでカレンたちが生活していた気配は、微塵ものこっていない。 ルナはまた、急にさみしさが込み上げてきたが――そういえば、泣くつもりが、エーリヒの来訪のためにうやむやになってしまった――ちいさな頭をぷるぷると振って、ジュリの部屋のドアを開けた。 「わあ……」 ルナはぽっかりと口をあけた。 ベッドのうえのシーツはぐちゃぐちゃ、下着も靴もかまわず、脱ぎ散らかされている。転がっているカップラーメンの空、目にも見えるおおきなホコリ。部屋の中は惨憺たるありさまだった。 セルゲイもこの部屋を見て「うわあ……」と思ったのだろう。真っ赤なブラやヒモだけのショーツがほこりまみれになってゆかに転がっている。 ルナは、ふうとためいきをついたあと、腕まくりをして、「うさぎパワー発動!」と意味不明な気合をかけて、ゴミ部屋に挑んだ。 ベッドやゆかに放り投げられている衣類をかきあつめて、セルゲイが用意してくれたダンボールに入れた。一回、ぜんぶ洗濯してしまおうと思ったのだ。 クローゼットのなかはまさにゴミ箱で、ルナは異臭に鼻をつまんだ。 「これはたいへんだ!」 エプロンのポケットに入れておいたマスクを着け、完全防備になる。 クローゼットの中のものをいっさいがっさい外へ出すと、三分の二がゴミだった。買ったはいいが、紙袋から出してさえいない服や靴、バッグも結構あった。汚れすぎてもうどうしようもないもの以外はダンボールへ。ダメなものはゴミ袋へ詰めた。 ジュリが持っている唯一のトランクをクローゼットから引っ張り出し、(これは存外、大きかった。)無事な衣服を詰めはじめる。 ルナはトランクがいっぱいになると、洗濯ものをつめこんだダンボールを持って、ぺぺぺっと階下の自分の部屋へ走って行った。 ジュリの服は、ひどい汚れのもの以外はぜんぶ洗濯した。靴を磨いてバッグを拭き、一度もあけたことがない服や雑貨類も整理してダンボールにつめたら五箱にもなった。それらをリビングに避けて、シーツを洗い、いつのものかわからない、開けっ放しの袋菓子やかびたケーキやらが、クローゼットから出てきたのを処分し、埃だらけの部屋に掃除機をかけて拭き掃除までしたら、すっかり夕方になっていた。 「ルナ」 グレンが顔を出した。彼は車いすではなかった。ケガをした足のほうに、機械式の固定装置がつけられている。 「グレン、車いすやめたの」 「ああ――すげえな。あのゴミ部屋、掃除したのか」 グレンはすっかり綺麗になったジュリの部屋を覗き込み、あきれたような、感心したような口調で言った。 「ジュリさんにはこれから、お掃除のしかたを教えてあげなきゃいけないかも」 「そうだな。――ああ、ジュリが帰ってきたぞ」 ルナのうさ耳がぴこたんと揺れた。 「だいじょうぶだった?」 「だいじょうぶなわけはねえな」 グレンは、つかれきった顔をしていた。 「今、俺とセルゲイの部屋にいる――マックスもな。病院からずっと泣きっぱなしだ。カレンのところに行くって泣きわめいてるよ。ガキと一緒だ」 「……」 「セルゲイもマックスも、あれに付き合ってやってるんだからすげえよ――俺には無理だ。――ああ、そのゴミ、俺が出してきてやる」 グレンはルナが持っていた大きなゴミ袋を持ち上げた。おなじものがあと三つある。 「いいよ。グレン、足怪我してるのに、」 「平気だ」 補助装置を付けたグレンは、健常者と同じように歩いていた。両手にゴミ袋を持つと、部屋を出ていく。ルナもひとつ引きずりながら、グレンのあとを追った。 ジュリの部屋をすっかり片付けおわり、ピエトの帰宅を待って、ルナたちは夕食を食べにマタドール・カフェへ行った。メンバーは、ジュリ以外の全員だ。 ジュリはようやく泣きつかれて眠ったところだった。ジュリが眠ったのをたしかめて、マックスは帰った。 二階の個室に陣取り、パエリアやハーブソースのかかったチキン・ソテー、サラダやパスタなどが運ばれてきたあと、ほの明るいオレンジライトの下で、みなはワインで(ピエトはジュースで)しんみりと乾杯をした。このあいだのように派手ではない、ささやかなカレンのお別れ会だ。 「クラウドは、今日は帰らないって。あの、エーリヒさんっていうひとと大切な話があるみたい」 ミシェルはめずらしく、クラウドがいないことをつまらなそうに言った。 「じゃあ、おまえも引っ越しのことはまだ聞いてねえのか」 グレンが言い、ミシェルは「引っ越し?」といま目が覚めたような顔をした。 セルゲイが説明した。 「あそこは――その、もう住むことはできないんだ」 ピエトもいまはじめて聞いたようで、「じゃあ、どこに引っ越すの」と、大好きなカルボナーラで口周りを汚しながら、聞いた。 |