「だから、カレンのもとに連れて行くことはできないけれど――エレナちゃんのもとにはね」

 「えっ?」

 「マックスさんが、エレナちゃんと連絡を取ってくれた。ジュリちゃんの憔悴があまりにひどいようなら、そちらに連れて行ってもいいかと」

 「エレナさん、なんて?」

 聞いたのは、ミシェルだった。セルゲイはうなずいた。

 「エレナちゃんは、もちろんうなずいてくれたよ。ルーイのご両親も、ルーイもね。ジュリちゃんのことをひどく心配しているようだった」

 「そ、そっか……そっかあ……」

 また、ミシェルの目に涙が浮かんだ。複雑な涙だ。ジュリまで降りてしまうのはさみしいが、恋人と、あこがれの王子様を、一気にそばからなくしてしまったジュリのショックは、このままではなかなか癒えないだろう。

 やはり、姉妹のようにそだったエレナのそばにいるのが、一番いいのかもしれない。

 

 「――なあ」

 大人たちの会話に、なんとなく置いてきぼりにされていたピエトは、さっきからずっと間取り図を眺めていたのだが、いきなり言った。

 「これって、10部屋もあるんだから、みんなで暮らせばいいんじゃねーの」

 「「「「「「あ」」」」」」

 大人たちは、そろって口をあけた。

 

 

 

 クラウドとエーリヒが、日記6冊分のディスクを観終わったときには、深夜を過ぎていた。

午前中から来て、深夜過ぎまで鑑賞会。映画だって、こんなに見続けたことはない。たった6冊分とはいえ、膨大すぎる量だった。

 

 「いやはや……」

 エーリヒが、ぴくりとも動かない仮面顔の、目だけを二、三、パチパチと瞬いた。

 「これが、13冊! あと倍以上あるのか」

 クラウドもさすがに「ふう!」と深呼吸して椅子に伸びた。

 「これを流れるようなスピードで読むのか――倍の量を。さすがの俺も、無理かもしれない」

 「頼りないことを言うね」

 「いや、ほんとに」

 クラウドは苦笑して言った。読めることは読めるだろう。三回の一時停止で、休みながら読めばなんとか――でもあまりにも膨大な内容を、一気につめこむことになる。

 (消化不良をおこすか、脳がイカレちまうな)

 クラウドは、今でもズキズキといたむこめかみを押さえながら、頭痛薬を飲んだ。今読んだ話の中で、エーリヒはポイントしか記憶していないだろうから、集中して読んだ疲れが残っているだけだ。だがクラウドは違う。クラウドの脳は、すべてを記憶しようとしてしまう。おかげで脳がエマージエンシーを起こしているのか、ひどく痛い。

 

 「エーリヒ。文章が流れる速度って、このくらい?」

 クラウドが、画面を早送りした。エーリヒは「もうすこし速い」と言った。常人では、文字を追えない速度なのだと。

 「……」

 クラウドは、額にいやな汗が流れるのを止められなかった。

 (マリー、俺を買いかぶりすぎだ)

 エーリヒが「このくらいだ」と言った速度で文章も文字も追える。読めることは読めるが、なにしろ、文章量が膨大すぎる。この集中力を、どれだけ持続できるか。

 

 (鍛えておくべきかもしれない)

 クラウドは、かつてこれほどの情報量を一気につめこんだことはなかった。さらに、文章を読み、読解する能力と集中力も、いままで以上に必要だ。

 (このままじゃ、俺のアタマがパンクしちゃう)

 ユージィンが持っているディスクが手に入ることはないかもしれないが、もし、読む機会がきたときのために――。

 

 「読んでみて、なにか感想は」

 エーリヒの問いに、クラウドは別のスクリーンに、画像を映し出した。

 「これを見て」

 クラウドが開いたデータは、ルナの見た夢を、文章化して蓄積したものだ。

 

 『昔々、海が見えるお屋敷に、うさぎさんとパンダさんと、ライオンさんの兄妹が住んでいました。毎日、執事のキリンさんが、あついミルクティーを持ってきます』

 

 エーリヒが、つぶやいた。

 「……これは、“マリアンヌの日記”になかったかね」

 「ああ。4冊目後半にあった話だ」

 クラウドは次に、「マリアンヌの日記」のほうを再生した。このディスクは、何のロックも施されていないから、巻き戻しも早送りも、再生も停止も自由だ。

 

――うさぎさんは、幸せでした。

 目の前の海は、確かにです、碧がかった、鮮やかな青。それはグラデーションによって地平線の彼方は群青、間近に打ち寄せる水は濃く深く、下が見えない海です。たまにこんな荘厳な光景に目を奪われることがありました。岩肌に打ち寄せる波はたしかに白いしぶきで、浅い個所では散らばった石の見える、そんなところにうさぎさんはすんでいました。

 うさぎさんが一番幸せなのは、この海が見えるベランダで、夕日が沈むのをパンダさんとライオンくんと見ることです。

パンダさんはうさぎさんのお兄さん、ライオンくんはうさぎさんの弟でした。――

 

「この二つの話は、まったく同じものだ」

エーリヒは記憶を自分の脳内から探り出そうとしていた。

「この童話を、わたしは読んだことがないが、世に出ている書籍なのだろうか?」

「いいや」

クラウドは首を振る。

「これは、マリアンヌが残した童話だ。真砂名の神に見せられた“記録”」

 

クラウドは、ふたたび別のスクリーンに、ルナの夢の記録を再生した。

「こっちの記録は、夢で見た内容を、ルナちゃんが昔話調に記録したものだから、内容が分かる程度のものだ」

「ルナちゃん? ――ピンクのうさこちゃんかね」

エーリヒが目を光らせる。

「ああ。ルナちゃんは、俺みたいな記憶力の持ち主じゃないからね――たとえ、夢でこの童話を読んでいたとしても、文章そのまま、覚えていられるわけじゃない。だが内容は、おなじだ」

 

『昔々、戦争があった時代です。その国には美しい四匹の姉妹がいました。一番上の姉は、賢い青い猫、二番目の姉は、奔放な真っ赤な猫、三番目の姉は、何でも器用な七色の猫でした。そして末の妹が、桃色のうさぎです』

 

クラウドは、ふたたび「マリアンヌの日記」で見た、同じ話を別スクリーンで再生する。

 

――むかしむかし、あるところに、美しい四匹の姉妹がいました。

 一番上の姉は、賢い青い猫、二番目の姉は、奔放な真っ赤な猫、三番目の姉は、何でも器用な七色の猫でした。そして末の妹が、桃色のうさぎです。

 三匹の姉と、桃色ウサギ、そして、褐色の大きなライオンさん。

彼ら兄妹は、とても仲がいい兄妹でした。三匹の猫とライオンさんは、うさぎさんとはとても年が離れていました。うさぎさんは、父親の後妻の子だったのです。もちろん、兄や姉たちとは、半分しか血がつながっていません。ですが、三匹の姉たちとライオンさんは、うさぎさんをとても可愛がっていました。――

 

エーリヒは、彼らしく無表情で、思案の顔を見せた。

「いったいこれは――なんなのだろう?」

「前世の物語だよ」

「なんだって?」

 「……ひとりの少女の、かなしい、輪廻転生の物語だ」

 

 



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