百三十七話 新しい生活のはじまり



 

九月に入ったが、まだ暑さはおさまらない。人工太陽光線が肌をやく夏は、残暑ともいうべき季節になり、秋にはまだ遠かった。

カレンが降船して、入れ違いのようにエーリヒが乗ってきて――それからしばらく、おだやかな日が続いた。

九月のおおきなイベントといえば、引っ越しと、レイチェルたちの出産予定日がちかいということ。そして、エーリヒとジュリが結婚前提でつきあいはじめたこと。

どれも、新しい生活のはじまりで、おめでたいことであるのは間違いない。

 

「うわあ〜! ほんと、ひろいねえ!」

 

引っ越し先の、K38区の庭付き一戸建てをこの目で見たルナたちは、感嘆符の連続だった。

入ってすぐの、大広間のようなリビング。三階まで突き抜けている、まるで王宮のような吹き抜けを、ルナたちはあんぐりと口をあけて見つめた。

一階は、入り口すぐの大広間と、左手に応接室。奥が、書斎にできそうな大机と書棚がならんでいる部屋だ。

右手のほうは、大浴場とトイレ、そしてあまりにひろいダイニングキッチン。

二階は5部屋、三階は6部屋あって、二階の廊下から、駐車場のうえにある、恐ろしいひろさのテラスへと出ることができた。ここで、いつものメンバーが勢揃いしてバーベキューをしたって、余裕がある。

プール付きではない家を選んだために、駐車場は地下と一階と二ヶ所あり、自家用車が6台置ける。

三階の各部屋には、星空が見えるロフトつきだ。

 

これから一緒に暮らすことになったセシルとネイシャも、口をぽっかりあけて、高い吹き抜けを見つめていた。

「こ――こんな家が、アパート程度の値段で借りられるって? ウソでしょ」

セシルはなかなか信じようとしなかった。当然である。理由をカザマから聞くまでは、ルナたちも信じられなかった。

「お家賃は安いです。でも、維持費はそれなりにかかりますよ。定期的に芝生を整えたり、庭木の手入れをする役員が参りますし、お屋敷も広いですから、いちおう、クリーニングサービスはございます。プールがある家は、清掃員もうかがいます。暖炉は旧式の薪ストーブですので、それらのメンテナンスも」

「だって、プールはないし、掃除はみんなでするとして、それでもずいぶん破格だよ」

クラウドの呆れ声に、カザマは微笑んだ。

「いい物件なのですが、必要とされなくて。大勢でルーム・シェアのような生活をなさっているルナさんたちにはちょうどいいかと思いましたの」

「ミヒャエル、じつはここでバーベキュー・パーティーしたくて、紹介したんじゃないの」

クラウドは、バーベキューセットが完備されているテラスをながめながら、カザマを振り返った。

「あら。バレましたか」

カザマのオトボケ顔に、皆が笑った。

 

この庭付き一戸建てのお屋敷は、K38区にあとふたつある。この家の隣と、そして向かいだ。

もともと、貴族階級の乗客や、富裕層向けに建てられた物件だったが、貴族には貴族の区画があるし、富裕層は、宇宙船の西地区に富裕層の区画があつまっているので、みなそちらへ行ってしまう。

よって、この新婚夫婦が暮らす区画には、ほとんどこういった「お屋敷」をもとめる乗客はいなかった。

そのため、価値がどんどん下がって、今の家賃になったわけである。

二年目に入り、乗客も降りる人間が多くなってきた今、あきれるほどK38区は閑散としていた。おそろしくしずかな住宅街である。

「ここはだいたい、新婚旅行で宇宙船に乗って、という方が多いですから、一年持てばいいほうなんです」

カザマは、近所の住人がまったくいない周辺を見遣って、「ちょっとさみしいかしら」とつぶやいた。

 

「騒ぎながらバーベキューやっても、近所迷惑にならねえから、いいだろ」

「なあ! 花火! 花火できる!?」

ピエトが大興奮で、飛び跳ねながら叫んだ。セルゲイが、「もちろん」というと、ネイシャとハイタッチをして、大広間を走りだした。

「こら! 家の中で走っちゃだめだよ!」

セシルがどなるが、子ども二匹は聞いてもいない。

「次のバーベキュー会場は、ウチに決定だね」

「あとでバーガスとロビンが手伝いに来るって言ってたが、あのふたりも目の色変えそうだな」

「あいつらまでここに住むっていったらどうする?」

アズラエルの台詞に、グレンは「それはカンベンしろ」という顔をした。

「グレンは、実家を見てる気分じゃない?」

セルゲイが言ったが、グレンは、

「いや? 実家はこれの三倍くらいか? 俺も入ったことねえ部屋がたくさんあるしな」

「三倍!?」

ミシェルとピエト、ネイシャが顎を外した。

 

「長いあいだ空き家でしたから、急ぎとはいえ、ある程度手直しはしていただきました。今日からでも入れますよ」

ピエトとネイシャが、大広間のはじにある大きな暖炉へ突進し、中をのぞいていると思ったら、バタバタと廊下を走って二階へあがって行った。

「探検しよ! ネイシャ!」

「うん!」

「暴れてものを壊さないでね!」

あせったセシルの大声が子どものあとを追う。

「薪ストーブか。冬が楽しみだな」

クラウドもこぼれる笑みを止められない。

 

「セシル、おまえだいじょうぶか。家賃はアレだが、ほんとに維持費はかかりそうだぞ」

アズラエルが気にかけたが、セシルは首を振った。

「維持費だって、みんなで割り勘すれば、平気だよ。あたしはもう、呪いもとけたから、どこででも働けるし。それより、あんたのほうこそ、あたしら親子がいっしょでも、いいのかい」

「俺はかまわねえよ。できるなら、10部屋、知ってるやつで埋めておいた方が精神衛生上いい。空き部屋があると、またよけいな来訪者があるかもしれねえからな」

アズラエルが言っているのはエーリヒのことだ。アズラエルの嘆息に、セシルは笑った。

「お金のことは、前ほど心配しなくてもよくなったんだ。カレンさんが、L20にもどることがあったら声をかけてくれともいってくれたし、レオナさんが、傭兵グループのJ/Jに紹介してくれるって」

「おまえほどの実力だったら、自分で傭兵グループつくるのもアリだろ」

セシルは、目の弱さや、なによりも「呪い」というハンデを抱えながら傭兵をつづけてきた。その強さには、アズラエルも感嘆するところがある。彼女なら、自分で傭兵グループをつくってもやっていけるように思えた。

アズラエルの台詞に、セシルは目を見開いたが、

「それは、ネイシャに任せるかな」

と微笑んだ。

 

セシルの目は、すこしずつだが、悪くなっていた。たまにいっしょに食事をするアズラエルたちにも、最近、それがよくわかるようになった。

この宇宙船の眼科の名医に手術をしてもらうのもひとつの手だが、セシルの場合は両目とも義眼にしなくてはならないらしい。その手術代は――というより、最先端の義眼が法外な金額で、とてもではないが、セシルには手が出なかった。

ちなみにベッタラとは、まだいっしょに暮らす、暮らさないの話ができるほど距離が縮まってはいない。

ベッタラとセシルはまだたがいに遠慮があって、一緒に暮らそうとは言えないらしい。

ネイシャがあいだに入って、いろいろがんばっているそうなのだが、呪いが解けたとはいえ、まだまだ癒えてはいないセシルのトラウマも、ベッタラの生真面目も、互いの距離を埋める足かせになっているようだ。

 



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