それは、バーガスとレオナが引っ越してきた翌朝だった。 ルナはみんなのなかで一番早起きだが、今日も一番に起きて、キッチンに飛び込んだ――はずだった。 「おう! おはよう、うさこちゃん」 「……おはようございまひゅ?」 びっくりして、ルナは噛んだ。なぜならそこには、グレーストライプのエプロンをつけたバーガスおじさんが、フライ返しを持って立っていたからだ。 「早起きだなァ」 「バーガスさんこそ!」 大きなテーブルには、すでに美味しそうな朝食がスタンバイされていた。 真っ白なワンプレートのお皿に、形よく整ったオムレツ、ベーコン、サラダにフルーツが、彩りよく盛られている。大鍋には湯気を立てたオニオン・スープが。みっつのパンかごにはトーストとバーガスの拳ほどもある丸パン、バゲットが山盛りになっていて、ふたつのコーヒーサーバーにもたっぷり、香ばしいコーヒーがつくられている。 「おいしそう!」 ルナが思わず絶叫すると、バーガスが「だろう?」と胸を張り、さらに何か言おうとしたルナを、「OK、OK。わかってる」と制した。 「うさちゃんの仕事を取り上げたりしねえさ。そこに、美味そうなライスが炊きあがってる。そっちはうさちゃんに任せる。だけど、こんなに大勢の分を毎日つくるんじゃ大変だ。これからは俺を、副料理長だと思ってくれれば。うさちゃんが、シェフだ。OK?」 ルナはぽっかりと口をあけ、「バーガスさんがシェフでいいよ!」と叫んだ。 「じゃあ、ここはふたりの店だ」 バーガスとルナはがっし! という感じの握手をし、キッチンは俺たちの手で守るぞという、なんだか熱い誓いをした。 「とっても、おいしそう……」 そして、うさぎはうさ耳をぴこぴこさせて、テーブルの上の朝ごはんを見つめた。ルナは和食派だが、こんなにおいしそうな朝ごはんなら、パン派に変わってもいい気がした。 そもそも、ルナが実家にいたころの朝ごはんは、毎日パンだった。 「さァて、俺のほうは終わった。うさちゃんの手伝いをするか。俺は何をすればいい?」 「じゃあ、だいこんをいちょう切りにしてください!」 「まかせとけ」 ルナはエプロンをつけて、威勢よくキッチンに立った。 K27区で暮らしていたころは、和食派とパン派と半々だったために、ルナは両方用意していた。アズラエルも手伝ってくれていたが、彼は毎回キッチンに立つわけではない。 もしかして、これからは、バーガスもいっしょに料理をしてくれるのだろうか。だとしたら、とても助かるルナだった。バーガスの料理上手は、以前ホーム・パーティーを開いたときに、分かっている。 「おはよう――! 二人とも早起きね」 セシルが慌ただしく飛び込んできた。そして、テーブルの上を見て目を丸くする。 「うわあ、すごい……!」 「もう少しゆっくり寝ていても良かったんだぜ、セシル」 バーガスが鼻歌交じりで大根を刻む。みそ汁の具だ。包丁の速さに、ルナもまた口をぽっかりあける。 「こんなにすごい朝食つくられたんじゃ、参るよ。あした、あたしがつくったヤツ、みんなが食べてくれなかったらどうしよう」 セシルが困り顔でエプロンをつけた。 「なに言ってんだ。俺がつくったのは、卵を焼いたヤツと葉っぱを混ぜたのと、ベーコン焼いただけだろ」 「まるで、ホテルの朝食みたいじゃないか」 セシルの意見にルナは同意した。バーガスは、ルナがつくっただし汁に、手際よく刻んだ大根を入れ、呆れた口調で言った。 「セシル、おまえきのう、ハムエッグなら作れるっていったじゃねえか。それでいいんだ、それで」 「セシルさんも作ってくれるの!?」 ルナは驚いて聞いたが、セシルは、「口を滑らせた気がするね」と肩を落とした。 「セシル、バターとジャムと、ヨーグルトを、冷蔵庫から出してくれ」 「はいはい」 「ルナちゃん、魚はどうする? 焼くか?」 「どうしよ……バーガスさんのつくってくれたプレートがあるからじゅうぶんって気もするけど、みんなけっこう、食べるんだ」 K27区で住んでいたころも、和食と、パンがメインの朝食と、両方つくったが、いつも余らなかった。それを言うと、 「だろうな。俺も一応、多めにパンを用意したが、足りるとは思ってねえ。魚は――冷蔵庫のコレを焼けばいいのか?」 「うん」 「おお、やってンな」 アズラエルが、あくびをしながらキッチンに顔を出した。 「おまえも起きて来たんなら、手伝え」 「俺は、明日の朝担当だろ」 バーガスは、アズラエルにも手伝うようにいったが、彼はすぐに洗面所の方へ姿を消した。それを皮切りに、みんながぞろぞろと起きてきて、キッチンを覗き、テーブルの上に並んだ朝食に目を見張って、洗面所に駆け込んでいった。 「いっただっきまーす!」 食卓にみんなそろったところで、賑やかな朝食がスタートした。ピエトとネイシャと、ミシェルのあいさつがひときわ大きかった。 「なにこのオムレツ! おいしい!」 ミシェルが、真っ先に歓声を上げた。 「え!? バーガスさんがつくったの。すんごい旨いよ!? どうやってつくったの」 「生クリームとハーブソルトを入れただけだよ、お嬢ちゃん」 バーガスがフォークを指先で回しながら、笑顔で説明すると、レオナは憤慨した。 「また、凝った朝メシつくりやがって。うちじゃこんなのつくらなかったろ! ルナちゃんとミシェルちゃんのまえでいい顔しようとしたね! このスットコドッコイ!」 「イデデデデ!!」 レオナに耳をひねりあげられたバーガスは、悲鳴をあげた。 あいかわらず騒がしい食卓だった。それは、K27区に住んでいたころと変わらない。こんなにうるさい場所にいるのに、レオナの赤ちゃんはまったく起きず、グースカ眠っている。 そう――レオナはベビーベッドを担ぎながら、屋敷中を移動する。その光景に、ルナも最初は口をあけたものだ。 「このベーコン、うめえ!」 ピエトは、分厚いベーコンに齧りつき、満足げに叫んだ。 「こんな朝メシ、これから毎日食えんの」 ネイシャは、めのまえにオムレツのプレートと、ごはんとみそ汁、焼き魚、ほうれんそうのお浸しと、ジャムつきのトースト、ミルクと、ありったけ引き寄せながら、幸せそうに言った。 「今のうちに目いっぱい食っときな。あしたの朝メシは、母ちゃんのハムエッグだからね」 セシルは、熱々のオニオン・スープに舌鼓を打ちながら、がっかり顔で言った。 「えー!?」 こちらも、ネイシャの、はっきりわかるほどのがっかり顔。 「ハムエッグの何が悪いの」 クラウドが不思議そうに尋ねる。「俺、ハムエッグ好きだけど?」 「あたしも」 「ハムエッグに罪はないです……」 ミシェルもルナも言った。 「ミシェル姉ちゃんも、ルナ姉ちゃんも、毎朝ハムエッグだけだったら、分かると思うよ……」 ネイシャは、オムレツを大事そうに食べながら言った。 「朝も昼も夜も! 一日ぜんぶとか、一週間ずっとハムエッグのときがあったから」 「? 俺もイモばっか食ってたぜ」 「ピエトのワイルドライフは特別だっていっただろ」 ネイシャはためいきまじりに言った。 「金がないのはわかってるから、贅沢は言えなかったけど、コーンフレークとかでも、たまにはいいと思ってたのに、母ちゃんはヘンなとこで手作りにこだわるから」 「だって、毎日レトルトも良くないだろ」 「……ハムをベーコンに変えるとか、目玉焼きとソーセージにしてみるとか、そういう選択肢はなかったのか」 グレンが食卓にソーセージがないことを暗にほのめかしたが、気づいたのはルナだけだった。 「あ。――そういえば、そうだね」 セシルは、はっと気づいた顔をした。 「じゃああした――あしたは、ベーコン・エッグに挑戦してみようか」 「その意気だよセシル!」 レオナが励ましたが、セシルも大概ヌケているということに、誰もつっこまないのだろうかと、みんなは思いながら、朝食を続けたのだった。 |