「最初の店で、ワインを買い占めていったオッサンがいたろ」

 グレンは、二番目のワインを紙コップに注いだ。そして、ルナの紙コップにアイスワインを注いでやった。

 「あいつは、中央区の高級レストランのシェフだ。――あいつの料理を食うためだけに、宇宙船に乗る、金だけは有り余ってるヒマ人が大勢いる。L系惑星群の富豪のあいだじゃ、有名な男だ」

 ルナは口をぽっかりあけた。グレンは今何と言った?

 レストランの料理を食べるためだけに、宇宙船に乗る?

 「それは、ララさんみたいな株主じゃなくて?」

 「ルナ」

 グレンはなぜか気の毒そうに言った。

 「世の中には、なぜか金だけは大量に持ってて、それを持て余してるやつがいるんだよ」

 「ようするに、ここは美味いワインの店の、穴場だってことか?」

 アズラエルが聞くと、グレンは「単純に言えば、そういうことだが」と前置きした。

 「たとえば、こういうワイン農家がある。つくるワインは美味いんだが、個人経営で、大量に生産できない。一部のレストランや、金持ちの愛好家におろすだけしかつくれないというやつだ。だから、そのワインは一般の店舗には出荷されていない。――つまり、幻のワイン」

 「まぼろし!」

 ルナは叫んだ。

 「そのプレミアがつくワインを、宇宙船が買い取って、この宇宙船内で販売させる。出店は毎年じゃない。一度出店したら、数年は見合わせる。だから、こだわりのつよい農家も、一度だけなら、という感じで出店を受けるんだろうな。宇宙船がその年のワインを買い上げるわけだから、バカ高ェ出店料も農家に入るだろうし――だから、情報を聞きつけたシェフやデレクみたいなやつが買い付けにくる。一回逃せば、次はそのワインの醸造元が来るのが、何年先になるかわからねえからな。毎年、毎月、同じ店が出店してるわけじゃねえ」

 「なるほど」

 アズラエルはやっと腑に落ちた顔をした。

 

 「大規模な醸造元でも、貴腐ワインやこのアイスワイン、ヴィンテージ、めずらしい醸造方法でつくった新作があれば、宇宙船が買い付ける。あたらしくワイン生産を始めたところも、売り出しのためには、この宇宙船で販売するのが一番だ。なにせ、この宇宙船は、“最高”をあつめた場所なんだからな」

 ルナは、世界最高の美術館と銘打った、美術館を思い出した。こんな市場でも、プレミア品が売られているなんて。


 「なるほど――ようするに、シェフとデレクが回った場所が、プレミアワインの店で、そのほかが、ワイン農家をはじめたばかりの、売り出し中の店だってことか」

 アズラエルは納得した。グレンは、うなずいた。

 「この宇宙船で販売したい出荷元はたくさんある。最高をあつめる宇宙船にみとめられたってだけでも、すぐ有名になるからな。宇宙船の厳しい審査に合格して、ここで売ることができるようになるのは、チケットが当たるくらいの高確率だろうが――まァ、ようするに、ここは、まずいワインは売ってない。だが、ララに贈るワインだったら、プレミアのほうがいいだろ」

「安い理由は?」

 「こっちは予想だが、宇宙船が買い取って、一般客の口に入る値段に抑えているのか、醸造元がとくべつに、この値段で出しているか、どちらかだ。すくなくとも、宇宙船から出店してくれという依頼が来る以上、宇宙船までの旅費はE.C.P持ちだろうし、相手に損はねえだろう」

 グレンは、新聞紙でくるまれ、巻きつけられた紙ひもの先についているワインのラベルを見ながら言った。

 「俺たちが今紙コップで飲んでいるこいつが、プレミア品のうえ、数年たったらますます高級品になって、数百万の値がつく。どうだ? ララへの手土産に不足はねえだろ」

 「すうひゃくまん!」

 うさぎの耳は勢いよく立ち、それからぺたんと垂れた。

 

 「たしかに、ララなら価値がわかるかもな」

 アズラエルは瓶を持ち上げ、ながめてから、遠慮なくだばだばと、そのプレミアワインを紙コップに注いだ。

 ルナは、甘いロゼワインを手に取り、まじまじと眺めた。これらが、数年後には百万円を超える。店で売っているのとは違い、何のラベルも着いていない瓶に入っていて、新聞紙でくるまれたワインが、だ。

 「ぷふー……」

 ルナは、へんなためいきを吐いて、甘いワインをこくりと飲んだ。そのとき、ロゼワインの瓶に、手書きのラベルが貼られているのが見えた――新聞紙のすきまから。

 

 「あっ……」

 ルナは思わず声を上げた。

 「これ――LUNA NOVAって名前だ」

 

 アイスワインの瓶には、「LUNA NOVA」の名がついたラベルが。

 

 「そうだ――おまえ昨日、“ノワ”の話をしてたろう」

 グレンが意味深に笑った。

 「そいつは、ノワがワインの作り方を教えた、原住民がつくったワインだ。この三本の中で、いちばん希少だぜ?」

 

 

 

 ルナたちがララ邸に顔を出したのは翌日だった。

 ララは大喜びで業務を放り出し、ルナとミシェルの相手をした。

ミシェルが作ったグラスを手にしたララは、「はわ……あわわ……ミシェルのグラス……」と、意味不明の奇声を漏らすほど感激し、特大の宝石でも押し戴いたように崇め奉り、箱を丁重に開け、「粗品」とかいた熨斗ですら、粗末にはあつかわなかった。グラスを取り出し、また奇声をあげたあと、三百六十度から熱心に観察して写真を取らせ、指紋を丁寧にふき、宝石箱とおぼしき箱を持ってこさせてしまいはじめたので、ミシェルをドン引かせた。

 そして、ルナからのプレゼントも、「こりゃァ、いいワインじゃないか!」と喜んで受け取り――いたずらっぽく、ニヤリと笑った。

 

 「こいつは、ルーシーが選んだんじゃないね?」

 「ばれた!」

 「そりゃバレるさ」

 ララはおかしげに笑い、

 「どれもこれも、貴重なワインだ。金を出せば飲めるってシロモノじゃない。とくにこのアイスワイン――LUNA NOVAは、レストランで飲めば、グラス一杯50万デルはするよ」

 「瓶じゃなくて!?」

 ミシェルが鼻から紅茶を噴くところだった。瓶でもたいそうな価格だが、グラス一杯50万デルとは。

昨夜はミシェルも、「このワインおいしいね〜!」とか言いながら、残りをルナとセシル、レオナと分け合ったのだ。そのあたりのカクテル缶と同じように、ガブ飲みした。

 

 「だれが選んだ? アズラエルかい、それともクラウド」

 ララはシグルスを呼び、宝石のようにチョコレートがならんだ冷蔵ケースを持ってこさせ、なにか耳打ちした。そして、ルナからもらったワインを、ワインセラーに持っていくよう指示した。

 「……グレンです」

 「なるほど。そうか、ドーソンのお坊ちゃまもいたんだっけね」

 ララは、シグルスが持ってきたスパークリングワインを手ずからフルートグラスに注ぎ、ルナとミシェルに渡した。

 「飲んでごらん。これは、LUNA NOVAをつくってるところの、スパークリングワインだよ」

 ルナとミシェルは、恐る恐るといった感じで一口飲み、当然のように「おいしい!」と叫んだ。

冷蔵ケースからチョコレートもいくつか出され、金細工の皿にのせてルナたちのまえに置かれた。

 ララはグラスを揺らしながら、言った。

 

 「LUNA NOVA……原住民のアフリタリ族がつくってるアイスワインだ。なぜLUNA NOVAって名がついたかっていうのは、ノワが、彼らにアイスワインのつくりかたを教えたから」

 ルナは、きのうグレンに教えてもらった逸話を、思いだしていた。

 「アフリタリの居住区が、星の気候変動のせいで寒冷地になってしまって、せっかくできたブドウが、収穫前に凍ってしまった。嘆いていたところに現れたのがノワ。ノワはかれらに、凍ったブドウを使ってつくる酒の製造法を教えた。その酒が信じられないほど美味で、ほかの村や原住民、地球人にも売れたために、アフリタリ族は、飢饉からすくわれた。ノワは恩人だ。だから、ノワの名を、ワインの名前につかった――」

 ララは、そこまで言ってひといきに飲み干した。

 「いまでは、アフリタリは葡萄酒づくりの原住民って言われていて、アイスワインのほかにも、さまざまなワインを手掛けてる。アフリタリの居住区も広いし、L系惑星群全土に散らばってるからね。でも、“LUNA NOVA”の名は、さいしょに、ノワが訪れた村でつくったアイスワインの専売特許だ。それ以外の村でつくられたものは、LUNA NOVAとは呼ばない」

 

 「……」

 ララの話は、グレンから聞いた話と同じだった。ルナは、聞いてみた。

 「あのね、ララさん」

 「うん?」

 「K19区に、ノワの墓があるって聞いたの。ララさんは知ってる?」



*|| BACK || TOP || NEXT ||*