「ノワの墓? K25区じゃなくて、かい?」

 ルナは、K25区の灯台のふもとにあるノワの墓には、行ってきた話をした。

 「う〜ん、……K19区にあるって話は、聞いたことがないねえ……でも、」

 ララは、しばし考え込み、それから大音声でシグルスを呼んだ。シグルスがいつもの優雅なしぐさで駆けつけると、

 「シグルス! ルーシーの頼みだ。ウチの社員を総動員して、K19区をくまなく探しな! ノワの墓だよ!」

 「かしこまりました」

 

 「待ってえええええ!」

 ルナはあわてて叫んだ。

 「そ、そんなことまでしなくていいの! ただ、ただララさんは知らないかなって聞いてみただけ!」

 

 「遠慮しなくていいよルーシー。探してあげるから」

 「い、いいの! いいのです! よけいなことをゆったあたしがばかでした!」

 「そうかい……?」

 ララは不満げだったが、やがて手を打った。ルナとミシェルはびくりとした。ララのプレゼントは規模が大きすぎて、いちいち身がすくむ。

 「じゃあ、ノワの絵をあげよう!」

 「ノワの、絵?」

 

 ララは、別の部屋へふたりを案内した。

ララの屋敷は、ルナたちが転居した豪邸の二、三倍はある広さのようで、ララがつぎの扉を開けるまで、ずいぶん歩いた。

長い廊下、らせん階段、いくつものドアを過ぎ、最後に観音開きの大扉をあけた先は、たいそうな大広間で、家具はすみっこにグランドピアノが置いてあるだけだった。窓はなく、壁一面に、たくさんの絵画が飾られている。

 ララはまっすぐに、「ノワの絵」に向かった。

 それは小さな額装だった。ノートパソコンを縦にしたくらいのおおきさで、ノワの絵、というわりには、ノワの姿が描かれていたわけではない。

 

描かれているのは、ただの星空だった。――月のない。

 

 「こいつは、そんなに身構えることはないよ。二束三文で買い取った絵だから」

 ララは壁から額装をおろし、ルナに手渡した。

 「あたしがK23区を散歩してたときに、道端で売られていた絵さ――。二十歳にもならんような女の子――美術学校の子かね――が描いて、道端で売っていた絵だ。ほかのは風景画がほとんどで、たいして目を引くものはなかったんだが、これだけはどうも気になってねえ」

 ララは、そのときのことを思いだすように、絵を見つめた。

 「K23区をぐるっとまわって――その日は、収穫はなかった。ま、たいていいつもそんなもんだが。区画の入り口にもどってきたら、その子の絵は、まったく売れちゃいなかった。それで、あたしがこの絵を買ったってわけさ。元の値にたしょう色はつけてやったが、それでも、まあ……」

 ララは言いかけ、

 「タイトルが『LUNA NOVA』だったから、『この絵は新月を意味してんのかい』って聞いたら、その子は、『これはノワを描いたものだ』といった。だから、あたしは気に入って、買った」

 「……」

 「ノワって、どんなひとだったんだろうね」

 ミシェルも、興味深げに絵をのぞき込んだ。

ノワの姿を映した写真は残っていない。だが、ノワを描いた絵画はある。L系惑星群の美術館に飾られている、昔の画家のそれは、この絵のような抽象的なものではなくて、大きなフードを被り、マントで身を覆い、杖を持ち、黒いタカを肩に乗せた旅人の姿だ。その姿も横から見た姿で、ノワの顔は、はっきりしない。

 ルナは絵をじっと見つめ――ノワという人物に、思いをはせた。

 

 「それより、ふたりとも。今日くらいは夕食をいっしょに……」

 ララがウキウキした顔で言いかけたとき。

 「ララ様、お時間です。L55の本社からお電話が」

 「シグルスゥゥゥウ!!!」

 巻き舌で怒鳴ったララだったが、仕事は、ララを待ってはくれなかった。

 

 

 

 ルナとミシェルが、ノワの絵と、大量の手みやげを持たされて、家路についているころ。

 ロビンは、真砂名神社の階段のまえに突っ立っていた。

 「……」

 やはり、足はぴくりとも動いてくれなかった。ロビンは腕を組んで、長い階段のてっぺんを見つめるだけだ。ロビンの横を、老若男女――あの祭りのときほどではないが、何人も上がっていくのを、ロビンは見送ることをくりかえした。

 「……」

 ロビンは、片足を上げた。上がる。だが、階段の上に乗ってはくれない。

 「……」

 そうっと、乗せようとしたが、やはりその気が失せてしまう。ロビンは、地面に足を戻した。

 ここに来てから、何度それを繰り返したか分からない。やはり、階段は上がれない。それがなぜか、分かる由もなかった。

 

 「もし」

 ロビンは肩を叩かれた。振り返ると、アロハシャツに股引に下駄、麦わら帽子といった、バカンススタイルの、白髭じいさんがいた。

 「あんた、今日で三度目じゃろ。祭りのときに一回来て、そのあと来て、今日、来た」

 「ああ」

 なんで知ってるんだとロビンが不審な顔をしたので、じいさんは説明した。

 「わしゃァ、そこの店主でな。毎日、ここにくる客は見とるし、」

 じいさんが指した店は、階段すぐ近くの、「紅葉庵」という看板が掲げられた、菓子屋と茶店がいっしょになった店舗だった。はためく店先ののぼり旗には、「白玉あんみつデラックスオブソルジャー! 好評発売中!」とでかでかと書かれていた。

 

 (……ソルジャー?)

 ロビンは首をかしげたが、じいさんが、ロビンの手に、なにかを押し込んできた。ロビンが手を開くと、そこにあったのは紙に包まれた黒飴だった。

 「――は?」

 「飴ちゃんあげるで、帰んなさい」

 「は?」

 ロビンは、怪訝としかいいようのない顔をしたが、じいさんは、背を向けて店に帰って行く。

 

 「ちょ、おい……!」

 ロビンが呼び止めると、じいさんはふりかえって、もどってきた。そして、自身を親指で差すと、怒鳴った。

 「わし! 今年二百六十歳! 還暦三回目!」

 「は?」

 どこか自慢げに聞こえるのは、ロビンの気のせいではない。ロビンはとにかく、年齢に突っ込むことはやめた。たしか、アズラエルの友人にも百歳越えの、濃いキャラのコンビニ店長がいた――今はそれどころではない。てのひらの飴と、帰りなさいの言葉。まるで、子ども扱いである。じっさい、二百六十歳からしたら、三十そこそこのロビンなど、赤ん坊かもしれないが。

 

 「年寄りのいうことは聞いといたほうがええ」

 じいさんは、重々しくうなずいた。

 「あんな階段、のぼらんでも、べつにいいじゃろ。おまえさんの人生に、何の影響もおよぼさん」

 「……」

 そのとおりだった。

 ロビンもそう思った。あの階段は、ロビンの人生には全く必要のないものだ。

 「いや、まあ、そうだ」

 ロビンはうなずき、「じゃァな」と言って、階段をあとにした。彼が大路入口の鳥居をすぎて、姿が見えなくなるまで、紅葉庵の店主は、じっと見守っていた。

 

 「ナキジン」

 ほかの店から、顔見知りの店主たちが、幾人かあつまってきた。

 「ありゃ、ダメか」

 ナキジンと呼ばれた、紅葉庵のじいさんはうなずいた。

 「ダメじゃ。――もしかしたら、また来るかもしれん。いまのとこは大丈夫そうじゃが、ウッカリ、なにかの拍子に、階段に足を踏み入れたらおしまいじゃ。よう見とってくれ」

 「イシュマールは知っとるんか」

 「わしが今行って、報告してくる。――ええか。わしも気ィつけて見とるが、みなも気ィつけてくれ」

 皆は、真剣な顔でうなずいた。

 

 「あいつはぜったい、階段を上がらせたら、いかんぞ」

 

 



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