百三十九話 BRAVE T




 ――L52の首都、ラスカーニャ。

ラスカーニャでいちばんの大手出版社、バートン社では、階下ロビーの待合室のソファで、ケヴィンと、彼を宇宙船でスカウトした編集者――もと編集長が、真剣な顔でにらみあっていた。

 

 「ケヴィン君、それだけは、わたしも認めるわけにいかない。あきらめなさい」

 「――でも!」

 ケヴィンは、何度となく叫んで、それから周囲を見やって、声を低めることをくりかえしたか分からない。

 

 「でも! 俺は、L18に行きたいんです。――バンクスさんを探したい」

 

 バンクスは、もう一ヶ月以上音信不通になっている。彼に、なにかあったに違いないことは、ケヴィンにも、もう分かっていた。

 「何度も言うが、いまのL18は――軍事惑星は危険だ。ケヴィンくんがひとりで――いや、アルフレッドといっしょだったとしても、認められない。危険すぎる」

 このやり取りを何度くり返したかわからない。

 ケヴィンも、危険は百も承知だった。でも、ケヴィンは、このまま黙っているわけにはいかなかった。せめて、バンクスがアランの足跡を追ったように、自分もバンクスの足跡を追い、彼がどこで消えたのか、たしかめたい。彼の身になにが起こったのか。

 

 「――俺も、無理なこと言ってるって、分かってます」

 ケヴィンは、悔しげにうつむいた。

 「軍事惑星が、いま、すげえ危険なのも知ってる。だけど、俺、あれからずっと眠れないんです」

 ケヴィンは、隈のできた目じりを赤くしながら、言った。

 「バンクスさんが、怖い目に遭ってんじゃねえかって、心配で――あのひとは、俺に勇気をくれたひとなんです。俺に、いろんな経験をくれたひとだ。あのひとがいなくなっちまったら、アルの数少ない読者が、いなくなっちまうことになる。お願いです。危ない場所には行かねえし、下調べはじゅうぶんします。だからどうか、ガイドを手配してくれませんか。金のこともあるし、長い滞在にはなりません――どうか」

 

 ケヴィンが座っていたのはソファで、ガラステーブルがあったために、土下座とまではいかなかったが、それに近いことにはなった。ケヴィンは頭頂をガラステーブルにぶつけた。さっきから、何度それをしたか分からない。

 「今行動しなかったら、俺、ずっと自分を責め続けることになる! バンクスさんを見捨てたって気持ちが消えない。こんなんじゃ、小説だって書けやしない。だから――お願いです!」

 編集者は、苦い顔を隠しもせずに、ずっとケヴィンのうなじを睨みつけていたが――やがて、おおきく息をついた。

 

 「バンクス君も、罪作りなことをする」

 編集者は、ぜったいにほどくまいとしていた、腕組みを解いた。

 「わかった」

 ためいきまじりのひとことに、ケヴィンはがばっと顔を上げた。

 「ちゃんと約束してくれ――ほんとうに、危険な場所には行かない。自分の足での調査が無理だとわかったら、世話人にまかせること。滞在は、一週間だ。往復ふくめてね――金は出ないよ。いいね?」

 「はい! わかってます!」

 ケヴィンはやっと、顔を輝かせた。

 

 「それから、君が行くのは、L18じゃない。L22だ」

 「――え」

 ケヴィンの顔から輝きが失せ、わずかな失望があらわれたが、編集者はゆずらなかった。

 「L18は危ない。ケヴィン君、君がかつてバンクスについていったときより、状況は悪くなってるんだ。だから、L18だけは行かせられない。――アーズガルド家の主を紹介するよ。ピーター・S・アーズガルドといって、彼はわかいが、なかなかの人物だ。バンクスは、彼の仲立ちで、うちの出版社に来たんだよ」

 「ほんとですか」

 「おそらく、アーズガルド家でも、バンクス君のゆくえを追っている。君は、一番近いところで、バンクス君の消息を聞くことになると思う。わたしが協力できるのはそのくらいだが――そのあたりで、おさめてほしい」

 

 「……わかりました」

 ケヴィンは、しばらく考えるように、自分の膝がしらを見つめたが、やがてうなずいた。

 「俺、行ってきます!」

 「気を付けるんだよ。かならず、世話人の指示にはしたがうことだ。――出航はいつにするね?」

 「できるなら、明日にでも、出発しようと思います」

 「わかった。あちらに連絡しておこう」

 アーズガルドに連絡がついたら、あらためてケヴィンに知らせてくれると編集者は言った。ケヴィンは、何度も頭を下げて彼に礼を言い、来たときとは真逆の、軽やかな走りで、社を出た。

 

 

 

 「――ほんとうに、ガイドをつけてくれることになったの」

 「ああ! だから俺、行ってくるよ」

 ケヴィンの話を聞いて、アルフレッドの頬にも赤みが差した。ケヴィンも今夜は、ひさしぶりにゆっくり眠れそうだった。彼は、この一ヶ月、ほとんど眠れていなかったのだ。

 「そう。よかったわね」

 ナターシャも、ひさしぶりの休暇で、アパートにいた。休暇といっても、彼女はケーキの研究に時間を割くことがほとんどだったが、今日は珍しくキッチンではなくリビングに座っていた。ケヴィンの帰りを、アルフレッドと一緒に待っていたのである。

 ナターシャも、バンクスの話を、ふたりからよく聞いていた。バンクス本人にも、一、二度、会ったことがある。

 彼女も、彼が行方不明になったことを心配していた――それ以上に、ケヴィンが彼を探しに行くというのを、心配し、当初は反対していた。ケヴィンに危険がおよぶかもしれないことは明白だったからだ。

 だがここ一ヶ月、心配のあまり、ケヴィンが憔悴していくのを間近で見続けたナターシャは、なんとか安全な方法でバンクスを探しに行けないか、彼女なりに考えた。そして、提案したのだった。

 「出版社の編集長さんに頼んで、ガイドを手配してもらったら?」と。

 

 「滞在期間は一週間なのね――お金はだいじょうぶなの」

 ナターシャが聞くと、ケヴィンは通帳をかかげてみせた。

 「バンクスさんが振り込んでくれたバイト代が、とんでもねえ金額だったからな」

 「まるで、そのお金で俺を探しに来いって言ってるみたいね」

 ナターシャは肩をすくめた。それを見て、アルフレッドが、申し訳なさそうにつぶやいた。

 「ナターシャ……ごめんね。その……僕は、あのお金を、君の出店資金に取っておこうとしたんだけど……」

 「なにいってるの」

 ナターシャは目を丸くし、首を振った。

 「アルのお金を、あたしはそんなふうに思ったことはないわ。――そんなことより」

 ナターシャは、手のひらサイズのポーチを、ふたりのまえに差し出した。

 「アルも、行くんでしょ」

 「え?」

 双子の兄弟は、そろって同じ顔で、同じ驚きかたをした。ナターシャは笑った。

 「アルも、バンクスさんからもらったバイト代があるのは分かるけど、あっちじゃ、なにがあるか分からない。だから、いざというときは、これをつかって」

 ケーキのワッペンが付いたポーチの中身は、通帳だった。ナターシャが、いつか自分の店を出すときのために、すこしずつ貯めこんできた出店資金だ。

 

 「だ、ダメだよ! これは受け取れねえ!」

 ケヴィンがあわてて突き返したが、ナターシャは、強引に押しつけた。

 「まだあまりたまってないし、足しにもならないかもしれないけど。――きっと必要になるわ。あたしがお店を出すのは、もっと、もっと先。でも、バンクスさんのことは、今しかできないでしょ」

 「……」

 「ケヴィン一人で行くなんて、あぶないわ。アルも行って。あたしのことは心配しないで――ケヴィンが一人で行っちゃうことを考えたら、そっちのほうが持たないわ。あたしの心臓が心配でつぶれそう。――分かってるでしょ。あたしが、ノミの心臓なのは」

 兄弟は顔を見合わせた。

 確かにナターシャは、ふだんの声すら店内のBGMにかき消されるほどおとなしかった。ずいぶん、変わったと思う。――ルナと出会ってから。L52に来てからは、さらに。

 

 「ノミの心臓の持ち主が、思い切ったことするよ」

 ケヴィンが冗談を言い、アルフレッドもナターシャも大笑いした。

 ケヴィンは、受け取った通帳を神妙に見つめ、

 「これをつかうまえに、バンクスさんを見つけて、帰ってくる」

 決意に満ちた声で言った。

 ナターシャも、「そうして」とうなずいた。

 アルフレッドも、おずおずと、言った。

 「僕は、ケヴィンのストッパーだ。ケヴィンが危険な場所に行きそうになったら、僕が止めるよ」

 アルフレッドも、バンクスをさがしに行きたがっていたことを、ナターシャはとっくに見抜いていたのだ。

 「ふたりとも気を付けて――かならず、一週間後にはもどってきてね。それから、毎日、かならず一回は連絡をちょうだい」

 「ああ」

 双子はしっかりと、うなずいた。

 



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