(――あれは?)

 ルナは、なんだか気になった。まわりをキョロキョロ見回し、誰もいないことを確かめた。

 「……」

 今日は、ジーンズで来てよかった。だれも見ていないのをいいことに、ルナは不法侵入を開始した。鉄製の扉の横の、煉瓦造りの壁はそう高くない。ルナはよじのぼり、中に侵入した。

 常に薄暗がりのせいか、地面は湿っている。

 ルナは、チケット売り場からこぼれた紙をひろったが、それは遊園地のチケットだった。半分壊れかけたチケット売り場の中を覗くと、受付の窓口と、室内にチケットがばらまかれていた。けれども、それらはすっかり風雨にさらされて溶けくずれ、原型をとどめていない。

 (このチケットは、ここから飛んできたはずだけど)

 ルナが拾ったチケットは、ぼろぼろではあったが、まだ原型をとどめている。

 円形の天井を持つ入口の壁に、同じく風雨にさらされて、半分以上ちぎれ飛んだポスターが貼ってある。ルナは奥を見つめた。動物の形のベンチやら、果物の形の建物やらが見えるが、すっかり廃墟だった。

 (この遊園地は、つくりかけで止まってるんじゃない。ちゃんとできて、運営もしていたのかもしれない)

 まるで、一年くらいまえまで運営していて、急に誰もいなくなって、廃墟になったよう。

 (でも、遊園地を出たトコにあるお店のおじさんは、お店を構えたころは、遊園地はやってないって、ゆってた……)

 相当前から、遊園地は運営していないのだ。

 ピチョン、ピチョン、とどこからか、水が落ちる音がする。ルナは薄気味悪くなって、やっぱりもどることにした。

 あたふたと壁をよじのぼり、遊園地から離れた。

 

 (――あ)

 壁をよじ登るとき、無意識にチケットをポケットに突っこんだまま、持ってきてしまっていた。ルナは、遊園地の敷地から飛び出し、海の近くまで走ってようやく息をついて、そのことに気が付いた。

半分に破れかけたチケットをよく見ると、冠をつけた、白いネズミのキャラクターが風船を持って、はしゃいでいるイラストが描かれている。ネズミの横には、でかでかと、「シャトランジ!」と書いてある。

シャトランジ、はこの遊園地の名前だろうか。ルナはもう一度振り返って、遊園地を見つめた。そして、やっと気づいた。どこにも看板がない。

 ふつう遊園地には名前があって――リリザでも、フェリトン・ブルートス・ランドとか――ルナたちが行った遊園地の名だが――K15区の海のそばにある遊園地も、ウォーター・ワールドとか、とりあえず名前があって、看板があるはずなのに、この遊園地はない。どこにも、遊園地の名をかかげる看板が、なかった。

 

 (――“シャトランジ”?)

 ルナは口をぽっかりあけたマヌケ面のまま、しばらくチケットを見つめたが、考えてもさっぱりわからなかったので、ていねいにそれを、財布にしまった。

 それから、潮風を嗅ぎながら、歩いて大通りの方へ向かい、バスに乗ってK25区に移動した。

 K25区は、K19区とK18区の隣であり、海辺の街だ。K25区、と書かれた、海風にさらされてすっかり錆びきった、自動車標識のような丸い案内板をすぎると、急に目に入る光景が、白と青の二色になった。

 

 「わあ……!」

 ルナはさいしょにバスが止まった停留所で降りた。街は、どの建物も白い土壁でできている。丸い屋根に、青のペイント。金具や窓枠は飴色、白い石畳。

 コバルト・ブルーの海がめのまえに広がっている。海に向かって段々畑のように街がつづいていた。

 

 「素敵な街……!」

 ルナは、いちばん高い場所にあって、いちばん広い道路を、海を見ながらまっすぐ歩いた。ぬるい潮風が、真正面からルナを撫でていき、麦わら帽子を持っていこうとする。ルナはあわてて帽子を押さえながら、てってってとリズムよく歩いた。

だいぶ歩いたところで、突き当たりは大きな駐車場だった。ここはバスの転回場所なのか、さっきルナが乗っていたバスが、もどるところだった。

 駐車場から、海のそばに降りることができる。砂浜が見え、ビーチはたくさんの若い男女でにぎわっていた。ビーチのずっと向こうには、森と海を背景に、大きなホテルがある。

 そちらのほうに、真っ白な灯台が立っていた。このあいだの不動産パンフレットに載っていた写真は、ここからとった風景だろうか。

 

 (ここが――ツキヨおばあちゃんの育った街なんだ)

 正しくは、その街を模してつくられた街だが。

 砂浜にも行きたかったが、街中も見てみたい。ルナは挙動不審になり、あっちにいったりこっちにいったりうろうろしたが、やがて砂浜とは逆の方向へ歩いて行った。白い岩をけずってつくられた階段を、ルナは海に向かって降り、街中に入っていく。

 やがて、見晴らしの良い展望台にたどりついた。ここはだれでも入れる休み場で、青いパラソルが日陰をつくっている。こういうスペースは、街のいたる所にあった。

 

 腰を落ち着けたルナは、海を眺めてちょっぴりはしゃいで、

 (――アズと、ここでデートがしたいなあ)

 とひさしぶりに思ったのだった。

 

 夏、海、バカンス。

 これほどこの言葉がしっくりくる区画もほかになく、ルナはここに来るまで、ウミツバメと同じ数くらいのアツアツのカップルとすれ違って来たのだった。

 ルナのうしろ席のカップルも、イッチャイッチャラッブラッブ、会話も残暑にアタマがやられてしまったような溶けた会話を繰り返している。

 そのせいというわけではないが――ルナは、ぼんやりと思った。

 子持ちになってからというもの、アズラエルとふたりきりはほとんどなくなってしまった。たまに、夫婦でないということが、不思議な感じすらしてくる。最近は、アズラエルもふたりきりじゃないからどうとか、あまり言わなくなってきた。

 (これが、倦怠期ですか!)

 ルナははっとしたが、それなりにえろいことは、ふたりきりになればしているので、なにか違う気がした。

 アズラエルのことを考えたら急にさみしくなって、唇をとがらせてサンダルの足先を見つめたうさこたんだったが――。

 

 「おひとりですか」

 めずらしくも、ナンパされた。

「ひとりだったら、俺とデートしねえ?」

 

ルナは、アズラエルのことを考えていたので、「ナンパは、いりません」と顔を上げたが――。

「デートしよう。なァ。かわいいうさちゃん――ジュースおごるから」

ルナは大口を開けた。そこにいたのは、愛するダーリンであったからだ。

「ジュース!」

喉が渇いていたルナはジュースに飛びつきかけたが、アズラエルはひょいとトロピカル・ジュースを持ち上げた。

「デートする?」

「する!」

「OK。それならやる」

ルナがジュースを受け取ったのと同時に、ほっぺたにキスが降ってきた。

 

「――あじゅは、ペリロッロひゃんのところに、特訓にいったとおもってた」

「ルゥ。飲むかしゃべるか、どっちかにしろ」

アズラエルのことを考えていたくせに、アズラエルよりジュースを優先した不届きなうさぎは、ようするに、ずいぶん喉が渇いていたのだった。

「俺は、買いだしに付き合ってただけだ。帰ってきたら、おまえはいねえし、どこにいったとレオナに聞いたら、K25区なんぞに行ったというから、」

「ここ、地球で、ツキヨおばーちゃんが暮らしてたところとそっくりなんだって!」

「おまえ、それでここに来たのか……」

苦笑しながらも、アズラエルもこの景色は気に入ったようだ。蔓を編み込んでつくった椅子の背もたれに身を預け、海を眺める。

 

「おまえとふたりきりだったら、ここでもよかったかもなァ」

「え?」

「住む場所だよ」

 ルナは、ストローから口を離した。すかさずアズラエルが、あいた唇にキスを落としていく。ルナはすっかり忘れていたが、L18の男のキスの頻繁さと隙を狙うくちばしのすばやさといったら、猛禽類にも劣らないのだった。

 

いつもTシャツとジーンズのアズラエルにしてはめずらしく、タンクトップに半袖のシャツとハーフパンツだ。シンプルなスクエア型のサングラスをかけた姿は、ルナは我が彼氏ながらイケメンすぎて、おもわずストローからちいさなお口を離して、アズラエルを見つめた。

 



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