「ハイ♪」

「セクシーなお兄さん。ヒマなら、あたしたちと遊ばない」

水着姿の、色っぽいお姉さま三人組が、アズラエルを見て口笛を吹き、声をかけてきた。

いつもどおりのナンパである。めずらしくもない。ルナがいっしょにいようが、アズラエルひとりだろうが、彼はよくナンパされるのだ。たいてい、平均的美女というやつは、ルナを見て、優越に満ちた顔でアズラエルをナンパする。かならず自分を選ぶとわかっている、大いなる自信で、だ。

だが、そんなことも数回繰り返せば、だんだん慣れてくる。アズラエルが選ぶのは、いつだって胸が特大スイカの美女たちではなく、アホ面を下げたうさぎなのだ。ルナは真剣に「なぜだろう」と悩んだこともあるが、とにかく最近は、あまり落ち込んだりすることもなくなってきた。

 

 「俺は子持ちだ」

 アズラエルはあっさり振り、美女たちは、一瞬えっという顔をした。ルナはそら見たことかとにっこり笑ったが、彼女たちはルナを見、納得したように去って行った。

 アズラエルは肩を揺らして笑っている。ルナは盛大にほっぺたを膨らませた。

 

 「あたしはアズの恋人です!」

 「おまえを、俺の子だと勘違いしたんじゃねえよ――ほら」

 アズラエルは左手を上げた。左の薬指には、指輪がはめてある。

 「あっ! あ! なんで!?」

 「なんでって、聞くのかおまえが?」

 「だって、あたしはないよ!? なんでアズだけ!?」

 「欲しい?」

 アズラエルの声が急に低くなったので、ルナは停止した。アズラエルが、甘い雰囲気の中で思わせぶりに聞く声と似ていて、ルナは真っ赤になって――「え、えと、えと――」と目をさまよわせた。

 

 「――指輪。俺からの指輪が欲しいのか? それって、どういう意味かわかってるよな?」

 「……ふぎ」

 ルナは気温が急上昇したように感じたが、ルナの体温が上がっただけだった。アズラエルがルナの左手をつかんで、薬指をそっとつまんだ。

 また、キスされる――と思って、ルナは目を瞑ったが、キスはなかった。

 

 「――あ、あれ?」

 「つづきは夜な」

 今日は、色の濃いサングラスにかくされて、アズラエルの表情がよくわからない。口元は笑っているが、どうなのか。

 「……」

 なんだかアズラエルに遊ばれている気がする。ルナはふたたび頬っぺたがふくらみはじめたが。

 「最近は、おまえを俺の娘とか妹とか、勘違いする奴はすくなくなった」

 「へ?」

 「おまえは、ちゃんと俺の恋人だって、見られてるよ」

 「そ、そうかな……」

 ルナはいきなり嬉しそうに、服のすそを整えてみたりなんかして、大人っぽい顔をしはじめたので、アズラエルはやっぱり笑った。

 「笑うの!? そこで笑うの!」

 ルナは怒ったが、アズラエルは謝りもしなかった。ルナがジュースを飲みきるまでしばらく、ぬるい潮風を浴びながら、ふたりでのんびり、海をながめた。

 

 「海まであるなんて、この宇宙船はすごいね……」

 「そうだな」

 「さっき、とれたてのおさかなを食べさせてくれるお店があったよ。ハーブとオリーブオイルで焼いたやつ……おいしそうだった。あっちの浜辺を見たら、漁師さんがいたの。この海は、おさかなも生息してるの」

 「イルカやクジラもいるかもな」

 「サメも?」

 「ああ」

 「シャチも?」

 「ああ――地球に着いたときに、こういう街に着くんだとしたら、ここが“地球生まれ”の乗客が住む区画でもいいと思うんだが、どうやらここは、“26歳から35歳までの若者が住む区画”なんだよな」

 「うん……」

 

 ルナも不思議に思った。そのわりには、それらの年代層の若者は、観光客ばかりだった。

 店の前に座っていたり、家を出入りしているのは老人ばかりで、道を歩いているカップルは、ここの住民という気はしない。若い人がいても、おそらく船内役員だろうことが伺えた。K06区のように、そろって同じ服を着ているからだ。

 こちらは、麻地を基調とした、白いシャツとベージュの服なので、私服と見間違うのだが、よく見ると同じ服の人間がちらほらと見える。

ここは居住区というよりか、ただの観光地のような気がした。

 

 「まァ、ここはバカンスにはいいかもな――あ、」

 アズラエルは、ルナの腕を取って席をあけさせた。

 「これは、すみませんな」

 「いや、俺たちはもう飲んだから。移動するぞ、ルゥ」

 「うん!」

 

 杖をついたお年寄りが、ヘルパーとおぼしき女性に支えられて、立っていたのだった。席を探しているようだったので、アズラエルはルナを伴って、席を譲った。

 老人は、帽子を取って、自ら礼を言った。

 「ありがとう」

ルナは驚いた。アズラエルもそうだったろう。

 帽子をかぶった、スーツ姿の彼は、立っているのも難儀なほどよろめき、ずいぶんな年寄りに見えるのだが、顔はずいぶん若かった。色白の丸顔で、頬っぺたが赤く、子どもがそのまま大人になったような顔をしている。

 その顔に満面の笑みをたたえ、アズラエルに礼を言った声も、おどろくほど明瞭で、はっきりしていた。

 

 「ありがとうございます」

 介添えしていた女性が礼を言い、おじいさんを椅子に座らせる。

 「いいえ。――行くぞ、ルゥ」

 アズラエルが促したが、ルナはなんだか気になって、何度も彼を振り返って見た。おじいさんは、にっこりと笑んだまま、ルナたちに小さく手を振った。

 

 なんだかとても、おじいさんが気になったルナだったが、ルナという生き物らしく、街のあちこちを観光するうち、すっかりいろいろな、あらゆることを忘れた。

海ではしゃぎ、アズラエルにキスされ、浜辺の、とれたての魚介類を食べさせてくれるところでもしょもしょとホタテを食べて、キスされ、街中に戻って、雑貨を見てまわっては感激し、アズラエルにキスされ、けっきょくホテルに泊まることになって、アズラエルにキスされ、――とりあえず、今日の出来事をこまかく日記に書くなら、アズラエルにキスされた、という一文が、数十回出てくるだろうほどに、それはまんべんなくキスされた。

ルナはそういえば、ピエトと出会って、セルゲイたちが越してくるまえは、アズラエルのキスの回数が、それはそれは半端ではなかったのを思い出した。

最近は、「あれでも」キスの回数が減っていたわけである。

 

「アズは、キスしすぎです!」

ついにうさぎは怒鳴ったが、とくにふたりが浮いているわけではなかった。

この界隈は、前述したとおり、色恋に頭が溶け切っているカップルばかりが生息している区画である。

「べつに目立ってない。キスをしてない恋人同士の方が、目立つくらいだ」

「そうかな!?」

アズラエルは肩をすくめて恋人を説得したが、人前でイチャつくのが苦手なうさぎは、なかなか納得してはくれなかった。

 それでも、夜ももちろんラブラブ極まりなかったわけだが、とある不思議な出会いは、ルナに大切なことを忘れたままにしておかなかった。

 「導きの子ウサギ」は一度だけ、といった。一度だけも何も、ルナは「彼」と、なにも会話をしていないのである。一方的に「ありがとう」と言われただけであって、邂逅は、まだなにもルナに、メッセージも、「白ネズミの女王を助ける手立て」とやらも、もたらしてはいなかった。

 



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