ラグ・ヴァーダの武神を身に宿した瞬間から、ドクトゥスにはすべてが見えるようになっていました。 イシュメルは、姉のアミに殺されたのでした。 アミはイシュメルを愛していました。彼の妻になりたいと願っていました。けれども、一族の者がイシュメルの妻にと望んだのは、幼馴染みだったレシカントという名の、銀色のトラさんでした。 レシカントももちろんイシュメルを愛していましたが、彼の姉のアミが、どれほどふかく彼を愛しているか知っていましたから、第二夫人でいいと思っていたのです。 自分がイシュメルの妻になるのは、アミのあとで――。 しかしレシカントも、一族や、父の意志にはさからえません。アミのかなしみを知ってはいましたが、レシカントは、彼の妻にならざるを得ませんでした。 イシュメルは、姉の気持ちもわかっていました。 ですが、姉との結婚を、一族は許しません。血が濃くなることを避けたのです。 アミとイシュメルは実の姉弟。 血が近すぎたのです。 偉大なるイシュメルの子には、あたらしい血を入れねばならない。 決戦の前に結婚を急いだのは、土地の儀式のようなものです。いくさのまえに結婚すれば、妻の祈りが夫をこの地に帰す――といった。 けれども、イシュメルが自分ではなくレシカントをえらんだと知ったアミは嫉妬に燃え盛り――結婚式の前夜、イシュメルをうしろから、ナイフで刺したのです。 そしてアミも自身の喉を刺し、息絶えました。 婚礼の花々でいろどられるはずの寝台は、ふたりの真っ赤な血に染められていました。 それを知ったドクトゥスは、 「予言は予言。――見えぬものなどなにもない」 と、むなしくつぶやきました。 ドクトゥスに、「できごと」は見えても、イシュメルの心のうちまでは分かりません。 イシュメルには、予言の力もありました。 アミが、自分を刺しに来るのも、知っていたのではないか。 彼は、アミのナイフを受け入れたのではないか――なぜ。 どうして。 彼が戦えば、ラグ・ヴァーダの武神は確実に滅ぼせたはず。 おじけづくような人間でもなく、投げ出すような魂でもない。 彼は、ラグ・ヴァーダの武神をたおすための、あらゆる才と能力と権力と、宿命と、ひとびとの応援と、神の加護さえ持ち得て生まれたというのに。 持ちえないものはないというほど、完璧なイシュメル。 だのになぜ――たったひとりの、かよわい女性のナイフによって、その命を失わねばならぬのだ。 イシュメルには、見えぬものなどなかったはずなのに。 そして、わたしも。 こんな真実を、知りたくはなかった――。 イシュメルが亡くなってしまっては、もはやラグ・ヴァーダの武神を完全に滅ぼせるものはいません。 ドクトゥスの手から、力なく長剣が落ちました。ドクトゥスの失望とともに、ラグ・ヴァーダの武神も、ドクトゥスとの結合がゆるみます。 彼らを一心同体に結び付けていたのは、目的に違いがあれど、互いが持つ、非常に強力な「意志」でしたから。 いままで一発も当たらなかった、戦場をとびかう銃弾が、ドクトゥスの胸をつらぬきます。ドクトゥスのちいさな身体は、あっけなく落馬し、その命を落としました。 ドクトゥスが落馬したとき、そばにひかえていた近習が、その最期の言葉を聞きました。 「革命家メルーヴァは生まれ変わる。千年に一度」 ドクトゥスこと、「革命家メルーヴァ」率いる軍勢は、L20のサーミ率いる、軍事惑星群の軍隊がおさえました。 戦乱はやっとしずまります。 イシュメルの死を聞いた四つの神殿の神官たちも動きます。アストロスに待機していた真月神社の白ネズミ、夜砂名神社の神官である白ヒツジが、武神の「剣」を封印します。 そして、L03のサルーディーバ――高僧のトラと、太陽の神と真昼の神の神殿の神官である、真実をもたらすトラが、「亡骸」を封印しました。 ラグ・ヴァーダの武神は、滅ぼせませんでした。 とおくとおく、L03のカーダマーヴァ村で、ドクトゥスの双子の弟たちは、兄の悲報を聞きました。ふたりは悲しみに身をやつしながら誓いました。 僕たちは、きっと生まれかわって、この村を出、世界を観よう。 エポスのほうは、こうも誓いました。 きっと、兄の真実の物語を、僕は書く日が来るだろう。 兄は、ラグ・ヴァーダの武神に魂を売り渡したのではない。 きっとふかい、理由があるはずだ。 兄の物語を――叙事詩を、僕は紡ごう。 双子は、兄の墓をつくることを許されませんでした。おそるべきラグ・ヴァーダの武神をやどした不吉な者として、ドクトゥスは永久追放されてしまいました。墓を村に置くことすら許されません。 双子はしかたなく、ちいさな祠をつくりました。そこにイシュメルを祀ったのです。 彼を祀ることは、村人たちは反対しませんでした。 イシュメルは学問にも秀でた人でしたし、決戦をまえにして、姉のナイフによって倒れたイシュメルは、さぞや無念の気持ちがおおきいだろう――その魂を、なぐさめねばならぬと思ったからです。 それに、イシュメルは、カーダマーヴァの村を出た若者を、よく援助してくれました。二度と村へ帰れない若者をはげまし、家と働き場を与えてくれ、王宮護衛官に推薦してくれたりもしたのです。 カーダマーヴァ村の人々は、イシュメルを好いていました。ですから、神としてまつるのも、何の問題もなかったのです。 双子の兄弟が作ったちいさな祠は、イシュメルを慕う者の援助で、どんどん大きくなっていきます。 完成したイシュメルの祠は、それはそれは立派なものでした。 そこへ、目の見えない子ザルの仏師がつくった、イシュメルの像が安置されます。 おおきな祠ができて、皆がほっとしているところへ、イシュメルの父であるパンダが現れました。 カーダマーヴァの長い歴史の中で、一族以外の者が村に入ったのは、後にも先にも、この人しかいません。 イシュメルの父であるパンダは、立派な祠に詣で、祈りを捧げてから、村人に感謝の言葉を捧げ、「大変申し訳ないのだが」と言いました。 すべては、イシュメルの意志である。 彼はそう言いました。亡くなったイシュメルが、パンダの夢に出てきて、そう言い残したのです。 祠は祠のまま――祠の横に、大きな石室がつくられました。 地下に続く、まるで牢屋のような石室です。みなは、こんなところにイシュメル様を置くのは嫌だと口々に言い、なかなか、パンダのいうことに従おうとしませんでした。 ですが、子ザルの作った石像を、何度祠におさめても、次の日には石室にいるのです。 ある日、石像には幾重にも鎖が巻き付けられていました。こんなことをしたのは誰だ!と長老は村人たちを詰問しますが、だれもやっていません。やるはずがありません。 愛するイシュメル様を、鎖で縛りつけるなんて――。 イシュメルが、自分で、そうしたのでした。もう、ひとの力では動かせません。人々はしかたなく、あきらめました。 しかし、カーダマーヴァ村には、イシュメルのおおいなる加護があります。 イシュメルは、カーダマーヴァの守り神であり、学問の神となされてきました。 カーダマーヴァ村の門には、イシュメルの姿が彫られました。村を守るように、門から外を見据えています。 L03全体が飢饉におちいったときも、カーダマーヴァ村だけは豊作でしたし、イシュメルの“目”があるおかげで、盗人も、原住民も、まったく入れなくなり、治安も格段によくなりました。 さて。 千年に一度生まれ変わると予言した「革命家メルーヴァ」は、そのときの言葉とできごとが独り歩きして、L系惑星群に改革と争いをもたらす存在として、語り継がれてきました。 まだ、ラグ・ヴァーダの武神はほろびていません。 ふたたび千年後、よみがえります。 今度は、疫病という名の災禍となって――。 知恵者ドクトゥスは、落馬したとき、考えました。 ラグ・ヴァーダの武神を完全にほろぼすためには。 「準備」が必要かもしれない、と。 |