「プロメテウスの涙は、どれだけ大勢の涙があれば、止むのかしらね? それとも、たったひとりの、後悔の涙なのかしら」





百四十三話 羽ばたきたい椋鳥 T



 

 ――ロビンが覚えているのは、ここまでだ。

 苔むした墓のまえに立っている自分。

背後には子どもが三人、大人が一人。

 自分の手は黒い土にまみれている。なにかを墓の土に埋めたのだ。父親と母親が死んだから、そこに埋めたのか。

あの墓は、両親の墓? 

それにしては、ずいぶん古びている。

ちがう。うしろにいる少年の一人が、「埋葬はすませた」と言った。

 そう言った少年は同い年の10歳。黒ずくめの変わった格好。キモノというやつか。あとのふたりは、6歳と4歳だったか。ふたりは、子ども用の礼装だ。

 どいつもこいつも黒ずくめだったということは、たしかに葬式があったのかもしれない。

4歳のあどけない男の子の手を引いてロビンを見据える6歳の子は、6歳とは思えないほどおそろしい目をしていたのをロビンは覚えている。

 彼だけではない。4歳の子以外は、みな不気味だった。

 ロビンは突然現れた彼らに、面食らったのだ。――そう。ロビンは彼らと知己ではない。初対面だった。

 年下の子どもらとの会話はいっさいなかった。けれども、同い年の子とは会話をした。

 いいや、彼としか、話さなかった。

 彼らの名前は?

 思い出せない。

 自分は、土の中になにを埋めたのだ。

 ――覚えていない。

 

 「てめえに、傭兵の誇りはあるか」

 自分はなんと答えたのだっけ。

 「てめえのおふくろを殺したドーソンを恨んで終わりか?」

 そうだ。俺の母親はドーソンに殺されたのだ。だから自分は、ドーソンが憎い。

 だが父親は?

 両親がふたりいっしょに殺されたのなら、なぜ、「両親を殺した」と言わない?

 母親だけが殺されたのか?

 だが俺には確かに両親がいて――二人とも帰ってこなかった。

 父親はどこへ行った?

 

 自分がなにかつぶやき、同い年の子がけたたましい笑い声をあげた。そうして言ったのだ。

 「いいか。おまえは今から、俺の親友だ。タキが“そうする”。――その言葉を、二十年後も覚えていたなら、」

 いちばん不気味な、同い年の少年がロビンを指さした。

 「俺が、おまえの望みをかなえてやるよ」

 

 

 

 ロビンは目覚めた。

 (タキ、は、大人のほうの名前か)

 あの中でゆいいつのおとなの名が“タキ”。

 では、あの少年たちの名は?

タキは、おとなではない。おぼろげな記憶をなんとか呼び起こしても、あれは十代後半くらいの容姿だ。10歳のロビンにはおとなに見えたのだ。

 めずらしく、はっきりとした夢を見たと思ったら、謎ばかりだった。

 (もしかして、俺は記憶喪失とかいうやつなのか?)

 ロビンは首を傾げた。

 子どものころの出来事なんて、たいていの人間が忘れているものではないだろうか。

 生活をしていて、つねに子どものころの記憶を必要とする人間はいない。忘れていてもべつに、かまわないことだ。なんの問題もない。

 思い出せないところで、ロビンの傭兵人生には、何の支障もない。

 

 ――あの“階段”が、ロビンには不要なように。

 

 

 「ロビン、起きたの」

 ベッド脇に、Tシャツにショートパンツスタイルのエミリがいた。

いつ見ても、うっとりするほどすばらしいプロポーションである。176センチの、ロビンに釣り合う長身に、埋まったら窒息しそうな胸、はちきれそうな尻と長い足。クリーム色の肌はつややかだ。高価な化粧品も飽食状態のセレブたちのなかでは、稀有なほどエミリはなにもつかっていないのに、うつくしい肌をキープしている。

彼女から香るのは、香ばしいパンとコーヒーの匂い。エミリのつけるパルファンの、さわやかなシトラスの香り。ミドルノートに変わっている気がする。だいぶまえに起きたらしい。

 

 「やめて。傭兵って鼻までいいのね」

 エミリの香りの進展具合を当て、胸元まで顔を近づけて匂いを嗅ぐロビンの頭を、エミリはペチン! とやった。

 かくいうロビンは、すっぽんぽんで毛布にくるまっている。

 「わたしまだ、シャワーを浴びてないのに」

 「だから、エミリの匂いが残ってる」

 そのままエミリをベッドに引きずり込もうとしたロビンの二の腕を、エミリは叩いた。

 「朝食を食べて。わたしの愛しいひと」

 ロビンは起き上がった。動きに合わせて、左肩にある小鳥のシンボルマークが、エミリに向かってキスをするかのようにくちばしを突き出した。

 

 エミリが地球行き宇宙船に乗ったのは、L51であると彼女の担当役員は言うが、彼女からはまったく家族や職業の匂いがしない。L5系の富裕層出身で家族の影がなく、深窓の令嬢でもないのに職業の気配がしないことから、ロビンはエミリを原住民だととらえていた。

アズラエルやバーガスの見解も同じだ。L5系の、金を持て余した変態どもに買われた奴隷。

ラグバダやケトゥインといった、メジャーな原住民にはありがちな、発音のくせがないことから、消去法で、アズラエルは「マレ族」の女じゃねえか、とあたりをつけた。

 マレ族はよく人買いに狙われる。顔立ちが美しいから。

 原住民の中でも美相がおおく、おだやかな性質をやどす、少数民族だ。

彼女の、まるで本を読み上げるように正確な共通語も、それを証明していた。まったく共通語を知らずにいて、買われてから覚えたのだろう。

エミリに、一度出自を聞いてみたいと思ったことはあったが、ロビンは聞けずにいた。

お互い、過去があいまいな人間同士でお似合いだ。

 

 ロビンの取り巻きである女たちは、ララやムスタファのパーティーで知り合った、L5系の富裕層や自称芸能人、モデルがほとんどだが、エミリもそこで知り合った。

もしかしたら飼い主が、パーティーの中にいたかもしれない。エミリは飽きられたから放っておかれているのか。

大概の女が、自分を知ってほしくて、ロビンにいらぬ自己紹介をするのが常だが、エミリだけはそれをしなかった。

 ロビンにこうして朝食をつくったり、部屋に歯ブラシやコップ、下着などをこれ見よがしに置いて、ロビンの特別な女になろうとしたヤツは、それらをまとめてゴミに捨てることで切ってきた。

 エミリは、ロビンの家に私物を置かない。たまに朝食はつくるが、押しつけがましくはない。どんなに女の数が増えようが、文句は言わない。正体不明。いまのところ、ミシェルに続いて、長続きしている女だった。

 ロビンが、ミシェルを自分の女として数えていることをクラウドが知ったら、ロビンがまとめて捨てたゴミのように始末されることだけは明白だが。

 

 ソーセージとマスタードとレタスがトーストの上に乗っていて、それを折りたたんで食べる。爪先までうつくしいエミリの指が、それを口に運ぶのをロビンは見た。

「どうしてじっと見るの」

エミリが困惑したように、ロビンを上目遣いで見返した。

 「綺麗だなと思って」

 にっこりと笑うロビンに、うれし気にはにかむ。エミリは可愛い女だった。

 



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