「……なァ、エミリは、俺の話を聞きたいとは思わねえのか」

 エミリは不思議そうに首を傾げた。そして、「聞きたい」と笑顔を見せた。

 女たちは、自分を知ってほしいのと同じだけ、ロビンを知りたがる。知りたがらないのはエミリだけだった。ロビンが望む距離を、わきまえているのかもしれない。

 ロビンは、彼女の献身が、どこからくるものかまったくわからなかった。彼女は、いつまでも、ロビンと一緒にいられると思っているのだろうか。

 「聞きたいわ。愛しいひと」

 「……」

主人を、「愛しいひと」と呼ぶようにしつけられてきたのだろうか。エミリはことあるごとにロビンをそう言った。

ほかの女に言われたら、その時点で切ってやるところだが、エミリの「愛しいひと」には若干の悲劇と、素直さがあふれかえっていた。だからロビンには抵抗がなかった。

 

 「俺が両親を亡くしたのは、10歳のときだ」

 思えば、ロビンは、自分の過去をだれかに話すのも、思い返すことさえはじめてだということに気付いた。

 

 両親が仕事だと出ていって、何日たっただろうか。いつもは一週間ほどでかえってくる親が、帰ってこなかった。

 親はふたりとも、傭兵だった気がする。

 思い返してみると、そのことさえ、記憶があいまいだ。

 (――俺が傭兵だと思い込んでいただけで、本当は違うかもしれない)

 

ロビンは、部屋にあった食い物が尽きて、腹が減ったので、置いてあった金で、大きなクッキー缶を買った。

地球時代の名画でいろどられた、子どもの手にはひとかかえもあるクッキー缶。

憧れのブレンダン・クッキー。

近所の酒屋件、雑貨屋で買った。ホコリをかぶっていて、ずいぶん長いこと店にあった。賞味期限なんて、一年も前に切れていたかもしれない。なにせ、このスラム街で、これを買ってもらえる子どもはいない。軍人の子どもしか買ってもらえないようなしろものだったことだけはたしかだ。

なぜ、あんな古びた店にあったかはしれないが、当時、CMでもよく宣伝していた、人気のクッキーだった。

 クッキー缶を買ったおかげで金はなくなった。

 

二週間、三週間――親は帰ってこない。

親が死んだかもしれないという自覚はなかった。

ロビンは、傭兵の学校にも行っていなかった。かくれて暮らしていたような気がする。今思えば、10歳にしては、あまりにも分別がなかった。世間と隔絶され、親の顔くらいしか知らない生活をしていた。

記憶があやふやなのも、そのころの自分が、あまりにも分別がなかったからだろうか。

 

腹が減って、食べ物を盗むということもしなかった。というより、思い及ばなかったのだ。

だまって、部屋で両親が帰ってくるのを待ちつづけた。

すこしずつ減らしていた、クッキー缶の中身も尽き、ロビンは飢えた。

家賃を取りに来た大家が、ロビンの親が帰ってこないと聞いて仰天したのを、ロビンは覚えている。

そのままロビンは、寒空の雨雪降るなか、放り出された。ロビンは空になったブレンダン・クッキーの箱の中に、宝物を入れていた。それだけを持って、アパートを追い出された。

 

「……」

「どうしたの? ロビン」

 

――宝物とはなんだった? 

ロビンは詰まった。

あのクッキー缶の中には、なにを入れていたのだっけ?

 

エミリは、ロビンがつらい話をして、それで詰まってしまったのだと思った。優しい彼女はロビンの手を取り、「つらい話なら、しなくていいの」と言った。

「いや……」

「……」

ロビンはしばらく考えたが思い出せない。続きを話した。

 

ロビンは汚水の匂いがするアパート前の小道に、それから何時間か立っていた。

はやく出ていけと、大家に水をぶっかけられた。

それを見ていたはす向かいの酒屋の主人が、「子どもになんてことを!」と、ロビンを店内に連れて行ってくれた。

クッキー缶を買った店の店主だ。ロビンの汚れた身体を拭いて、パンと熱いスープを飲ませてくれた。

「悪ィなァロビン。かわいそうだが、俺も、おまえをここに置いておけねえんだよ」

今思えば酒屋の主人も、そう裕福ではない。だが親切だった。彼はロビンの小さな手に、クッキー缶と同じ代金をにぎらせ、昔なじみの傭兵グループへロビンを連れて行った。

酒屋の主人は、もと傭兵だった。身体を壊して傭兵をやめ、酒屋をひらいたのだ。

酒屋の主人はいい人間だったが、傭兵グループは最悪だった。彼が帰った途端にロビンは殴る蹴るの暴行を受け、金も取られ、宝物が入ったクッキー缶も奪われたので、逃げだしたのだ。

ロビンは傭兵たちに殴られながら思い出した。

「困ったら、“プロメテウスの墓”へ行け」といった母の言葉を。

ロビンは、皆が眠っているすきにクッキー缶を取り返し、“プロメテウスの墓”へ走った。そのときまで、箱は持っていたのだ。

 

「――と、すると、俺が埋めたのは、ブレンダン・クッキーの箱か」

 「?」

 エミリは首をかしげた。置いて行かれた彼女とは反対に、ロビンの記憶は徐々によみがえってくる。

 

 “プロメテウスの墓”で、あの少年たちと、“タキ”に出会った。墓の前でひとばん明かし、陽も昇り切らぬころ、少年たちが来たのだ。

彼らは、ロビンを知っていた。――そのあとの記憶が空白だ。

 ロビンは、おそらく“タキ”に、メフラー商社へ連れて行かれた。

 だがタキは、メフラー商社の人員ではない。傘下の傭兵グループでも、あの顔は見たことがない。

 タキの顔も、少年三人の顔も、あれきり見ていない。

 あの4歳の子どもだけは、どこかで見たことがあるような気がするのだが。

 アマンダが、「今日からあんたはウチの子だよ」と言って、ロビンの手を取ってくれたところはしっかり覚えている。

 ロビンの傭兵人生は、そこからはじまった。

 

 そもそも、“プロメテウスの墓”とは、だれの墓だ。

 

 「プロメテウス、とは、地球の物語かしら? ギリシャ神話の、プロメテウス?」

 だまって聞いていたエミリがはじめて口をはさんできた。

 「ギリシャ神話?」

 「わたし、読んだことがあるわ。プロメテウスは、人類に火を与えた罰として、大神ゼウスに、山にはりつけにされたの。そして生きながら毎日、肝臓をハゲタカについばまれる刑にされたのよ」

 エミリは身震いした。

 「プロメテウスは、不死だから、肝臓もすぐよみがえるの。半永久的に拷問はつづいたわ――ヘラクレスに助け出されるまで」

 「そんな話があるのか」

 ロビンは知らなかった。

 「だが、俺が見た“プロメテウスの墓”ってのは、そのプロメテウスじゃねえな。――たぶん、ずっと昔の、人間の名だ」

 

 あの墓に眠る“プロメテウス”とは、何者だったのだ?

 

 「いや――待てよ」

 ロビンは腕を組んでテーブルをにらんだ。エミリは、ロビンを心配そうに見つめている。

 「缶のなかに、写真のきれっぱしみてえなのがあって――そいつだけは、箱から出した」

 「……」

 「あれは、いっしょにしといたら腐っちまうからって――タキってやつが、出した。――ヨレヨレの写真の紙切れで――だれが映ってたんだっけ――あれは、たしか、」

 

 『こいつは、わしが預かっとく。おまえが独り立ちするときに、ちゃあんと返してやるからな』

 メフラー親父が、ロビンから写真の切れ端を預かって、親父の宝物である、ドローレス家族の写真たての裏に、しまい込んだ。

 



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