百四十五話 羽ばたきたい椋鳥 U



 

 ルナは、椋鳥の大きな背中が、駆け出していくのをながめていた。

羽ばたこうとしてよろめき、羽ばたいては地面に落下する。

彼は必死で思い出しているかのようだった――飛び方を。

 

ルナのめのまえに、天秤があらわれた。

片方の皿には、白い小さな羽。

月を眺める子ウサギが、かわいらしい声で「Maat」と唱えた。

椋鳥の羽がひらりと一枚、もう片方の皿に乗った。そのとたん、ガターン! とものすごい音がして、椋鳥の羽が乗った皿が、しずんだ。

天秤自体が崩壊したかのような、ものすごい音だった。

 

「あらあら、たいへん」

月を眺める子ウサギは、びっくりして口をもふもふの両手で覆い、

「これはたいへんだわ」

もう一度言った。

 

 椋鳥がまっすぐに向かっているのは、真っ黒な城の遊具だった。城のてっぺんには、真ん中に大きな砂時計、両脇に、おそろしい顔の、二対の神様がいる。

遊具には、「地獄の審判」と書かれていた。

ルナは、戦慄した。

 

 「待って! そのアトラクションは入っちゃダメ!!」

 ルナは止めようとしたが、いきなり月を眺める子ウサギがめのまえに現れ、視界をふさいでしまった。

 

「プロメテウスの涙は、どれだけ大勢の涙があれば、止むのかしらね? それとも、たったひとりの、後悔の涙なのかしら」

 

 

 

 「ぷぎゃっ!!」

ルナは飛び起きた。

隣のアズラエルは「ううん」とうなりはしたが、起きなかった。

まだ胸がドキドキしている。

(どういういみ?)

ルナはクローゼットのほうを見たが、あいかわらずZOOカードボックスは銀色の光を放つこともなければ、うさこが来ることも、「導きの子ウサギ」が来ることもなかった。

(あのふたりは、かんじんなときに来ないのです!)

ルナはぷんすかしたが、来ないものはしかたがない。

 

(椋鳥さん、どこに行こうとしたの?)

 

あの遊具は――ぜったいによくないアトラクションだとルナは思った。月を眺める子ウサギがいぜん話した、「お化け屋敷」も怖いところだったが、それとおなじくらい、恐怖のアトラクションのような気がした。

 

(椋鳥さんを、止められなかった)

 

なんだか、胸騒ぎがする。

カレンのときとおなじような――そうでもないような?

 

――ルナがイシュメルくらいおおきかったら、はがいじめにしてでも、止めていたのに。

 

 ルナは、落ち着いてきた鼓動とともに、ふたたび仰向けに寝転がった。寝たまま、両手をかざしてみたが、そこにあったのはあいかわらずちいさな手のひらがふたつ。

 ルナは先日、イシュメルの夢を見た。

 二千年前、ルナは大男で、グローブのような大きな手で、子どもたちの頭を撫でていたり、女の人を抱きかかえていたりしたのだ。

ルナはバーガスより、セルゲイより大きかった。ひげもじゃで、ムキムキだった。

 隣を見ると、ただのむさい大男が横になっていた。

 夢の中では、エマルもびっくりなほど、豊満でキレイで、エキゾチックな美女だったのに。

 あの女装姿はひどかった。裏切りだ。

 ルナはふたたびぷんすかし、

 「あたしだって、アズを抱っこしたりできるんだ!」

 ルナの叫びに、アズラエルは飛び起きた。

隣を見ると、すやすやと眠りの世界に旅立っているちびウサギがいる。

 ぷよぷよのほっぺたを、ごつい親指と人差し指で恨みがましくつねりあげ、アズラエルはふたたび眠りに落ちた。

 

 

 

 「イシュメルの夢を見たって?」

 「うん。このあいだクラウドたちは忙しそうにしてたから、話すの、忘れたって」

 「え? 昨夜の夢じゃないんだ」

 「昨夜はべつの夢を見たらしいよ。エーリヒさんには話してるんじゃない?」

 「エーリヒも聞いていないはずだ。ミシェルは聞いた?」

 「うん、あたしは、きのういっしょにリズン行ったときに、聞いた」

 

 朝食後である。クラウドは、ルナがまた前世の夢を見たことを知った。いつもなら、前世の夢を見たら、まっしぐらにクラウドのもとにかけてきて内容を話したがるのに、それがないことを訝しく思いながら、クラウドはルナがいる洗濯部屋に向かった。

 

 「ルナちゃん」

 「ぷ?」

 ルナは、ピエトの着替えを洗濯機に放り込んでいるところだった。

「二千年前のイシュメルの夢を見たって、ほんとう?」

 「ほんとです! ――でもね、」

 ルナは、洗剤をぶちこみながら、困り顔で言った。

 「なんか今回はね、あんまり覚えてないの」

 「え?」

 「あたしも物覚えわるいほうだから、お話を毎回、ぜんぶ覚えてるほうが奇跡だとおもってたんだけど――自分の過去の話だから覚えやすいのかなっておもってたんだけど――今回は、なんだか、おはなしをぜんぶ、覚えてられなくて」

 クラウドは、ルナがまっしぐらに駆けてこなかった理由を悟った。

 

 「覚えてないって――イシュメルの夢だってことは、分かってるんだね?」

 「うん。あたしがイシュメルで、ごっついおじさんだったの。それで、グレンがキュートな色白美人で、アズが、エキゾチックビューティーで、あたしはグレンと結婚するはずだったんだけど、アズにうしろから刺された」

 ルナはためいきをついた。

 「だから朝、アズの背中に頭突きしてやった」

 そして、いかにも復讐を遂げたという感じに鼻息を荒くした。

 「それでアズ、背中さすってたのか……」

 クラウドは、朝、アズラエルが背中をさすりながら部屋を出てきたことを思い出した。ずいぶん強烈な頭突きをされたらしい。

 

 「なんかね――えっとね――ネズミさんが出て来たんだけど――うーん、なに村だったっけ――なに村――とにかくね、くわしく、おぼえてないの」

 今回の話は、なぜか、ぜんぶ覚えていられなかったのだ。

話がややこしいというなら、三千年前の話も、覚えていられないはずだが、あれはしっかり覚えていて、起きてすぐ日記帳に記録した。

 前世の夢は、毎回、記録するまではきちんと覚えているはずなのだが。

 なんだかルナは、自分が記憶喪失になった気がした。

 

「いちおうわかるぶんだけはメモしといたよ」

 「それで構わないよ――昨夜見た夢っていうのは?」

 「昨夜は、椋鳥さんの夢を見たの」

 「椋鳥だって?」

 なんてリアルタイムなのだ。クラウドは心中だけでガッツポーズを決めた。

 「そっちはちゃんと覚えてるの。いちおうね、メモはしてあるよ。みる?」

 「もちろん」

 クラウドは、いっしょにルナの部屋に向かった。

 

 「ルナあ! あとで、K27区にできた、あたらしい雑貨屋さん行かない?」

 「うん! いくいく!」

 「クラウド、早くルナ開放してねっ!」

 「ああ、わかった」

 階下から、ミシェルの声が聞こえて、ルナがそれに返事をする。

まったく普段と変わらない、のんきな日常だった。




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