百四十七話 羽ばたきたい椋鳥 W



 

 かわいそうになァ。気の毒によう。俺は、めんどうくさいことはなによりも大嫌いだが、それでも気の毒すぎて、見ていられねえよ。

 ――人間ってのは、なんて残酷なんだ。

 

 ルナは、夢を見ていた。

 

 ルナが男性だということはあきらかだった。指輪がいっぱいの、筋張った大きな手に、ほっぺたには不精ヒゲ。ぼろぼろの衣服、腕とすねに鎧をつけていて、なんだか左肩が重いとおもったら、びっくりするほどおおきな黒いタカが、乗っていたのだった。

 ルナは、砂粒みたいな群衆を、高みから見下ろしている。

丘の上にいるのか?

 軽い酩酊感――右手には酒の瓶――ルナは酔っ払っていたのだった。

 

 ルナはイシュメルなのだろうか?

 だが、イシュメルにしては、様子がおかしい。

 

 (気の毒になァ。――ファルコ、いっそ、あいつの心臓を、ひと突きにしてやれよ)

 

 ルナは自分が言ったことながら、なんてひどいことを言うんだと思って怒ったが、すぐに意味が分かった。めのまえの光景を見て。

 

 たけり狂った群衆が、そいつらを殺せとわめいている。ひとが十人、はりつけにされている。真ん中にくくりつけられたひとは、自分も虫の息なのに、生かされて、仲間が死んでいくのを見ていなければならぬのだった。

 なぜかルナは知っていた。

真ん中の人物が、第一次バブロスカ革命の首謀者、プロメテウス・A・ヴァスカビル。

いっしょに杭を打たれた人々は、革命の仲間だった。端から順に、石で打たれ、あるいは火にあぶられて殺されていく。

 プロメテウスの目の前で殺されていく。

 仲間が殺されていくのを、狂気の瞳で、見ている。

 

 これはルナの記憶ではなく、この、酒を飲んでいる男の記憶だ。

 

 ルナは、自分のふところにだれかいるのを知った。マントの中にだれかかくれている。女のひとだった。彼女が飛び出して行こうとするのを、ルナは男の力で易々と押さえつけていた。女の人は小柄で、いまのルナくらい。押さえつけている「ルナ」はきっと、アズラエルくらいあるから、押さえつけることは造作もない。

 ふところの彼女も、のどに包帯を巻いていた。おそらく喉笛を切られた。声が出せないのだ。悲痛に泣きわめくこともできず、うなるだけ。

 

 (――なにしてんだファルコ、行けよ)

 ルナは黒いタカに言ったが、思いもかけずタカは、人間の言葉で返事をした。

 (もうすこし近づきたまえよ、君)

 ルナは、黒いタカからエーリヒの声がしたのにおどろいた。

 (めんどくせえなァ――しょうがねえなァ――)

 ルナはおっくうそうに腰を上げ、丘から飛んだ――鳥のように。いいや、鳥というよりかは、綿毛が風に乗って漂うようだった。

ルナは群衆の中にふわりと着地した。

 

 群衆は、死刑台の十人に夢中だとはいえ、それしても、まったくルナに気づかないのだった。

まるでルナは、幽霊か、透明マントでもかぶっているようにだれにも姿が見えない。

 ふところに抱え込んだ少女が暴れていても、だれも気付かない。

 この少女も、本来なら死刑台に上がっているはずだった。ルナが助けたのだ。周りの群衆も、L18の軍部も、めのいろを変えて探している革命家だ。顔も知れ渡っているその少女がここにいるというのに、だれも気付かない。

 ルナは死刑台から五メートルほど離れたところまで来た。死刑台を取りかこんでいる軍人たちにも、ルナの姿は見えない。

 うつろな目で、プロメテウスがルナを見下ろした。プロメテウスには、ルナが見えるようだった。口には不敵な笑みが浮かんでいた。

 幾人もの軍人たちに汚され、子どもたちを石で殺され、仲間を、夫を火にあぶられて、それを見せつけられ、生きながらえているプロメテウスは、「女」だった。

 

 歯もすっかり抜かれた真っ赤な口が、笑みを刻んだ。

 ルナは唐突に、プロメテウスの正体が見えた。ルナが以前、夢で会った、大きな黒いヘビだった。

 (エピメテウスを――妹を、たのむ)

 

 ルナは返事の代わりに酒を飲みほし、その瓶を持った手をひねると、となりにいた軍人の頭に叩きつけた。瓶が割れ、軍人の頭も割れ、軍人がひっくりかえると、急に群衆はしずまりかえった。

 なぜいきなり、軍人が、頭から血を流して倒れたのか分からない様子だった。

 地面には、どこから現れたか分からない酒の瓶。

 誰かが瓶を投げつけたのだと、軍人たちが大挙して押し寄せ、群衆に割ってはいりだした。あちこちから引きずり出され、連行されていく一般市民。

 

 (すっきりしたか)

 プロメテウスが微笑んだ。ルナの懐にいる少女と目が合い――彼女は狂気の瞳に慈愛を浮かべた。

 (生きろ、妹よ)

 生きて、われわれの望みを果たすのだ。

 

 黒いタカ――ファルコが、空中を旋回し――するどいくちばしをプロメテウスの心臓に突き刺した。プロメテウスの胸から、血しぶきがほとばしった。彼女の足元の枯草に、火がつけられたところだった。プロメテウスは火が足元にたどり着く前に、絶命した。

 

 (感謝する)

 ルナは、プロメテウスのやすらかな死に顔を見た。

 

 ルナはいつのまにか、また丘の上にいた。

 はりつけ台の最後の一人、プロメテウスが燃え尽きて煤になり、朽ちるのをずっと見ていた。

 ルナのふところにいた少女は、姉が燃え尽きるのを見て、うなり、吠え、喉をかきむしって叫び続けていた。声にならない声を。

 やがて、少女は恨みのこもった目でルナを見、渾身の力で殴りはじめた。ルナにはいたくもかゆくもなかった。ルナは、ルナがぺけぺけしても、アズラエルやグレンが痛がらない理由が分かった気がした。

 

 (俺は、めんどうくさいことが何よりも大嫌いだと言ったろう)

 ルナはどこから取り出したのか、新しい酒をあけていた。

 (好きなところへ行け。俺はおまえの面倒はみねえ)

 

 少女は、わかっているといわんばかりに、丘を駆け出した。山のほうへ向かって。

 ルナには分かっていた。もうエピメテウスにもルナの姿は見えなくなるが、ルナはこのあと、彼女がプロメテウスと名乗り、第一次バブロスカ革命の生き残りと再会し、「プロメテウス」という傭兵グループをつくるまで、見守りつづけるのだ。

 「プロメテウス」という傭兵グループは、「ヤマト」のもとになる組織だ。

 

 走れ。

 ――生きろ、エピメテウス。

 

 ルナの中から男の声がした。

階段を這う椋鳥に、ロビンに――エピメテウスに。

 その声は届いている気がした。

 

 

 ――ルナは、目覚めた。

 

 「……しゃけ」

 「ン?」

 エーリヒがルナのそばに待機し、アズラエルたちが紅葉庵に引っ込んで、そわそわと階段上を見始めて、五時間が経過したころだった。

 「おしゃけ」

 「おシャケ?」

 目覚めた第一声が、カオスである。さすがルナだと感心したエーリヒの耳に、ただならぬ声が飛び込んできた。――野太い、なつかしい男の声が。

 

 「“酒持ってこい、ファルコ”」

 

 



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