「“パズル”起動せよ」 マクタバが命じると、一面のモニターが、いっせいに画像を映し出した。モニターすべてが、映画の予告編のような短さでくりかえし、みじかいドラマを放映している。 大きなゲル一面で、それがなされるのは、大迫力だった。ケヴィンは口を開けて、天井を見まわした。 「さすがイシュメル様を前世に持つ人だ――すごい」 マクタバの感嘆は、ケヴィンにもすぐに分かった。マクタバの目線にある中央のモニターに、「容量オーバー」と書かれているのだ。 「このモニターすべてつかっても、足りないっていうの?」 マクタバは、ルナの前世の多さに驚愕しているのだった。 「あっ! ルナっちだ!」 ケヴィンは、中央モニターのすぐとなりに、ルナの顔を見つけた。 「どういうこと……? 前世のほとんどの、“リハビリ”が済んでる……」 マクタバは、ルナという人物をパズルの検索にかけるのははじめてだ。だからもちろん、“リハビリ”をするのも“リカバリ”をするのもはじめてだった。 なのに、前世の大部分の“リハビリ”が終了している。 「……」 マクタバは不思議に思って、キーボードに打ち込んだ。 「このひとの、“もとの魂”はなんだ?」 再びすべてのモニターの画像が消え、画像が目まぐるしく変わりだした。マクタバはそれを見て愕然とする。 「ウソだろ……万を超えてる」 これは、太古の神だ。――しかも、地球時代の。 マクタバは確信した。 ――三十分もこの状態が続いたかもしれない。早送り画像を見つづけたケヴィンが、車酔いに似た症状をおぼえてきたころ、また一斉に、モニターが消えた。 ふわりと――白銀色の輝きをまとった巨大な女神の姿が、マクタバの前に現れた。 「月の女神さま……!?」 マクタバは腰を抜かし、ケヴィンは、その女神のうつくしさに口をぽっかりと開けて、見とれた。よだれのひとつも、こぼれていたかもしれない。まぎれもなく、ケヴィンの人生上最大のマヌケ面を、最大にうつくしい神の前でさらすことになった。ケヴィンにも“リハビリ”が必要になるくらいの大失態である。 「これ――このひと、ルナっち?」 月の女神は、ルナの顔をしていた。ルナを、最上級にうつくしくした姿だ。 「イシュメル様の前世は――月の女神さま――」 マクタバはぼうぜんとつぶやいた。マクタバに、「パズル」を授けた神である。 「もしかして――」 月の女神は微笑んだ。ケヴィンはとろけたし、マクタバには、それですべてが分かった。 マクタバがわかった、と思ったとたんに、月の女神の姿は消えた。 「あっ!」 ケヴィンが残念そうな顔で膝をついた瞬間、マクタバは怒鳴った。 「エポス! あんた、外へ出て!」 「え?」 「あたしがぜったい、イシュメル様の“リカバリ”を完成させる! ――あんたがいると、集中できない! これは、そんな簡単なものじゃないんだ!」 「……!」 ケヴィンは追い出されるようにして外へ転げ出た。 ゲルの外は猛吹雪になっている。監獄星を思い出させるような寒さだった。ケヴィンがあまりの寒さに震えあがり、未練がましく、パズルの舞台であるゲルを見つめた。 (追い出されてしまった……) 調子に乗りすぎた自覚はある。ケヴィンはとぼとぼ、宿泊所としてあてがわれているゲルにもどろうとして、呼び止められた。 「――エポスさん、だったかな」 これでもかと布を着込んだおばあさんが立っていた。 「こっち、こっち」 手招いている。 「わたし、マクタバの祖母です。お茶を飲みましょう」 マクタバの「パズル」用であるゲルの隣が、本宅だった。さっきのゲルより一回り小さいゲルに招き入れられて、ケヴィンはあたたかいお茶をごちそうになった。それはひどく甘いミルクティーにバターとシナモンを加えたもので、ずいぶん味が濃かったが、ケヴィンはおいしく飲むことができた。 (なつかしい味だな……) ケヴィンも前世は、これをよく飲んでいたのだろうか。 「マクタバはわがままだけど、許しておくれね」 老婆は言った。 「両親が早死にしたせいで、わたしがわがままに育ててしまった。目がわるい子だから、それも気の毒でね、あまやかしたわたしが悪いのさ」 「目が悪いんですか……」 あのゴーグルは、視力を補うためのものか。 「父親も母親も生まれたときから目が悪かった。しかたがない、この村は血が濃いから、どうしても、どこか悪い子どもが生まれてきてしまう」 「……」 「マクタバの親はね、目からくる病気で死んだんだが、外界で手術を受ければ治ったよ。でもこの村には、よその医者は入れないし、この村から出して外界の病院に入れることもできない。よそで立派な医者になった者が、なかに入ることもできない。外界で手術を受ければ治るということを、マクタバは知ってしまった。知ってしまうことの恐ろしさを、あなたは分からないだろうね」 ケヴィンは答えようがなくて黙った。 「この村に漂うのは、虚無感とジレンマだ。学びたい、学べば知識を得ることはできる。だが、それに比例して、外に出たい欲求は高まるのだよ。それならいっそ、なにも知らないほうがいい。見ないほうがいい――現に、この村でよく学ぶものは、いずれ耐え切れなくなって外へ出てしまう。おかげで、ずいぶん村人が減った。いまでは三百人ぽっちしかいないよ」 このおばあさんも、ずいぶん学があるようだった。年寄りにしては、かなり流暢に言葉を話すし、語彙も多い。 「あんたは、エポスという名だが、ミドルネームがDだ。親の名がDかね?」 いきなり話題を変えられて、ケヴィンは戸惑ったが、ふと、思い出した。 「――いえ。兄の名です。兄は、ドクトゥス」 おばあさんは、目を丸くした。 「その名は、今では“忌名”として、村ではつかわれていないよ」 村の中ではいうんじゃないよ、と念を押されて、ケヴィンはあわててうなずいた。 「ドクトゥスねえ……その名をつけるものは、この村じゃもういないから、ドクトゥスの弟で、双子で、エポスとビブリオテカなんて、“あのふたり”といっしょだ」 「あのふたり?」 「イシュメル様の祠をつくったひとたちだよ」 雪はやんでいなかったが、吹雪はおさまっていた。おばあさんは、ケヴィンを墓地まで連れて行ってくれた。 整然と並んだ墓は、雪に埋もれてほとんど名が分からなかったが、おばあさんは、ひとつの墓の前まで来ると、手で雪を払いのけてくれた。 そこには、エポスとビブリオテカの名と、生年月日、死亡年月日が記されていた。 前世とはいえ、自分の墓を見るのは不思議な気分だ。 「あっちが、イシュメル様の祠」 墓の入り口からすこし離れたところに、立派な神殿があった。 「その横に、イシュメル様がおられる、石室がある」 ケヴィンは、石室のまえまで来た。地下に降りる短い階段の先に扉があって、すっかり閉じている。入り口は、いまにも雪で埋まりそうだった。 「冬になると雪で埋まってしまうから、村人たちが毎日雪かきをする。イシュメル様を、すこしでも明るくしてやりたくて」 ケヴィンは、石室を見つめた。 イシュメルに出てきてもらわないと、ルナもロビンも、助からない。 寒いから帰ろうという老婆に、ケヴィンは言った。 「俺、もうちょっとここにいます」 老婆はおどろいた顔をしたが、ケヴィンが思いつめた顔で石室を見つめているのを見て、察したように、肩をすくめた。 「あんまり長いこといるんじゃないよ。ここの寒さは、あんたらには厳しいでしょう」 そういって、先に帰った。 (イシュメルさま――) あなたは、どうしてそんなところにいるんです? ケヴィンは、吹雪の中で、声にならない声でたずねた。 そばには立派な――祠というより、もうほとんど神殿のような建物がある。それなのにみずから、牢屋とかわらない、石の部屋に閉じこもってしまった。 ケヴィンは、イシュメルに語りかけた。 ほんとうは、俺も今、あなたにみたいに閉じこもってしまいたい気分なんだ。 ケヴィンは涙を流した。 流したそばから、涙も鼻水も凍っていきそうだった。 (バンクスさんは死んじゃって、ヒュピテムさんも、ユハラムさんも、死んじゃったかもしれない) ぜんぶ――俺のせいかな。 ケヴィンは、雪の上に膝をついて、吠えるように泣いた。 つぎつぎに積もる雪と、吹雪のいななきが、ケヴィンの叫びを覆い隠した。 |