「あんた、――あんた、しっかりおし」 ケヴィンは、重いまぶたを開けた。 身体がひどく重い。息は熱いし、頭がひどく痛かった。 「死ななくてよかったよ。あんなところで雪に埋もれているのを見たときは、どうなることかと」 ケヴィンの顔を覗き込んでいるのは、見知らぬ顔だった。そのなかにひとりだけ知っている顔があった。マクタバの祖母だ。 「お――俺」 ケヴィンが寝かされているのは、宿泊所として提供されたゲルだった。 「イシュメル様の石室のまえで、遭難しかけたんだよ! まるで雪だるまだった」 「このひとたちが、連れてきてくれたんだよ」 「あ、ありがとう、ございます」 ケヴィンは、見知らぬ二人の若者に礼を言った。彼らがケヴィンを発見し、ここまで運んでくれたのか。 ケヴィンはどうやら、イシュメルの石室の前で泣き伏し、そのまま気絶してしまったらしい。 「ずっと眠っていたけど、ようやく目が覚めたね。でもまだ熱があるから、寝ておいで」 マクタバの祖母の言葉にうなずき――はっと、ケヴィンは、枕もとの腕時計を見た。 「あ――あと1日――」 ケヴィンは蒼白になった。地球行き宇宙船内の時間にあわせた時計が、あと一日しかないと告げている。 ケヴィンが寝ている間に、リミットを迎えていた。 (俺は――なんて、バカなんだ!) またもやあふれてきそうになった涙を必死でおさえ、枯れた喉で、「マクタバさんの――その、パズルのほうはどうなんでしょうか!?」と聞いた。 マクタバの祖母は、ケヴィンに白湯を差し出し、言った。 「リカバリっていうのはねえ、わたしもくわしいことは分からないんだが、滅多にあるものじゃないらしいんだよ。だから、マクタバははじめてさね」 「――!」 「だいぶ手こずっているようだね。リハビリってやつは、一時間かそこらで済むんだが」 ケヴィンは、飛び起きて、ありったけ、自分の服を着こんだ。 「あんた! そんな体で外へ出ちゃダメだ!」 老婆は止めたが、ケヴィンは猛吹雪の中を外へ出た。ゲルの外は、横殴りに吹き付ける吹雪で何も見えなかった。ホワイトアウトだ。三十センチ以上も積もった雪が、ケヴィンの足を一気にひざ上までかくした。 (イシュメルさま――) カーダマーヴァを埋め尽くす深い雪は、まるで積もり積もったイシュメルの後悔のようだ。 ケヴィンは、慣れない雪道を、一歩、一歩と進んだ。頭が割れそうにいたみ、視界も揺らいで倒れそうだったが、行かねばならなかった。 イシュメルの、石室へ。 目をあけていられないほどの猛吹雪に、数歩も進めなかった。あっというまに、自分がどこにいるか、わからなくなった。ケヴィンが立ち尽くしたとき、ふっと向かい風が止んだ。 「こんな雪、経験したことないでしょ」 ゲルにいた若者が、ケヴィンの前に立って、風よけになってくれていた。 「イシュメル様の石室に行くんだよね?」 もうひとりが、ケヴィンの後ろにいた。 「う――うん」 「俺が足跡をつけたところを進んできて」 まえの男の子が、ケヴィンに大判のストールをかぶせて言った。 「俺たち、エポスとビブリオテカっていうんだ」 「俺がエポスで、弟がビブリオテカ」 ケヴィンは目を見張った。前にいる兄がエポスで、うしろにいる弟がビブリオテカ。 「俺たちも、イシュメル様には出てきてほしい。だから、協力させて」 石室は、すっかり雪で埋まっていると思っていた。 だが、石室はすっかり雪が寄せられて、たくさんのひとが集まっていた。カーダマーヴァの若者たちが勢ぞろいで、石室の前の雪をせっせとどかしていた。 「君が、イシュメル様の石室のまえで倒れていたのを見て、みんなが立ち上がったんだ」 「え?」 「よそから来た人が、凍え死にしそうになるほど、祈りを捧げているっていうのに、俺たちときたら――って」 「――」 ケヴィンは詰まってしまった。とくに祈りをささげたわけではなかった。ケヴィンはただ、悲しみをぶつけてしまっただけだった。 「おお! エポス殿!」 雪かき隊を指示していた、ひげもじゃの壮年男が寄ってきた。よく見れば、若者だけではない。壮年の者も多くいた。 「どうだ、お具合は」 ケヴィンは、エポスが自分の名であったことを思い出した。 「なんとか……」 「なんとか、じゃないよ。まだ高い熱がある。俺たちも頑張るから、無茶しないで」 もうひとりのエポスが言った。 「だいぶ雪をよけたよ!」 石室の階段下から、声がした。階段は、すっかり雪がなくなっていた。 「よし、じゃあ、みんなで力を合わせて、扉を開けるぞ!」 石室の取っ手に、ロープを巻き付け、みんなで引っ張ることにした。 「お、俺もやる」 ケヴィンも参加した。 「せーので、引くぞ!」 「せーの!!」 大きな石の扉は、若者が数十人あつまってロープを引いても、びくともしない。 それでもケヴィンたちは、一生懸命ロープを引き続けた。 「せーの! イシュメルさま! 出てきてください!」 「よいしょ! 俺たちは、あなたとともに過ごしたいんです!」 「せーのっ! イシュメル様―っ!」 吹雪の中、ぽつり、ぽつりと人が集まってきた。 地球行き宇宙船でも、最後の一日を迎えていた。 あれだけいた椋鳥たちは、もはや真砂名神社の屋根をおおうだけに減っていた。 寿命塔が、「1」をカウントしたときから、だれも紅葉庵に引っ込まなくなった。 エミリとミシェルは、坂道を上がり、拝殿まえの寿命塔に寄り添い、ロビンを待った。 もう、いかづちの音に怯えることも、太陽の火がロビンを焼き尽くすことからも目をそらしはしなかった。 ロビンは、目を凝らせば肩が呼吸に動いているのがわかるが、さっきから動かない。 ルナの桃の香りは、ますます強くなっている。 クラウドは、周囲が急に明るくなった気がした。 目の錯覚ではない。 一瞬走ったつよい閃光に、紅葉庵で居眠りをしていたナキジンも、ルナのそばにいたエーリヒも、目覚めた。 「これは」 階段と拝殿に、宇宙から銀白色の光が降りている。それらはルナとロビンの位置だけ、目がチカチカするようなまぶしさだった。 「ロビン・D・ヴァスカビル、ルナ・D・バーントシェント、“リカバリ”完了。――“リハビリ”開始」 拝殿にいるエーリヒたちは、むせかえるようにつよくなった桃の香りとともに、ルナの声を聞いた。 |