――ウオオオオオオオオオ―― 真砂名神社一帯は、白に包まれた。 吹雪だ――目を開けていられないほどの逆巻く風が、階段と真砂名神社一帯を襲う。商店街の住民たちは、ぼうぜんと階段を見上げた。 「ウチの屋根が!」 店舗の屋根がそのまま吹っ飛んで粉々になっていくのを見た、だれかの悲鳴が上がった。 「……なんの声じゃ?」 ナキジンが呟いた。 嵐の音ではなかった。ビュウビュウという風に混じって聞こえる雄たけびがある。 唸り声は、風と吹雪の音ではない。 ――イシュメルの、叫びだった。 慟哭だった。 嵐の中心にいるイシュメルが、泣き叫んでいる。 二千年のあいだ、石室のなかで抱えてきた嘆きが、かなしみが。 吹雪が空に向かって巻き上げていく様は、イシュメルの嘆きがあふれ出ているようでもあった。 ――すまなかった。 そう叫んでいるように、聞こえた。 イシュメルの咆哮は、ルナの鎖をも引きちぎった。鎖がはじけ飛び、目を覆う布切れも吹き飛んだ。 商店街の皆は、吹雪から身を守るので精いっぱいだった。うずくまり、あるいは建物の影に身をかくして、自分が飛ばされないように柱にしがみついた。あたりはホワイトアウトで真っ白になり、となりにいたはずの仲間も見えない。階段の様子など、伺えるはずもなかった。 ララもエーリヒも、ルナの姿すら見えなくなるほど白色化した風景に、動くこともできなかった。 どれほどの時間が経っただろうか。 ぴたりと。 嵐が、やんだ。 羽のような雪がちらちらと舞うだけにとどまり――ようやく、青い空と、階段と――見慣れた風景が、皆の目に飛び込んできた。 どこにも、“黒”の気配がない。 ふた柱の、おそろしい男神の像がない。 皆は、まだ、吹雪がやんでいないのかと思った。 それほどまでに、世界はしろく、かすんでいた。 いままでの黒の地獄とは対照的に――やわらかな“白”につつまれているように感じた。 ――ルナの姿が、みるみる変貌した。 栗色の髪は黒髪に――ワンピースは、銀白色の衣装と装身具に。 くだけちった夜の神と太陽の神のかわりに、月の女神と真昼の女神の立像が、砂時計の左右に現れた。 ふた柱の女神が微笑むと、くだけちった階段が、みるみるよみがえっていく。 上から下へ――今度は白へ、染まっていく。 まるで、地獄の階段が、天上への階段に、変貌していくようだった。 光と花弁が舞う――うるわしい階段に。 「はあーっ……」 商店街の者たちは、ためいきをもらして見とれた。 「綺麗じゃのう……」 なにもかもが美しかった。 二柱の女神も、白い光沢の階段も、――世界が、白銀の光に塗り替えられていく。 エミリとミシェルも抱き合ったまま、その光景に見とれた。 階段の真ん中に立ったイシュメルが、寿命塔に向かって腕を伸ばした。そこから、はちみつのようにあふれる、金色の光――。 イシュメルの光輝く腕からほとばしる黄金色の光は、寿命塔の砂を巻き戻していく。 落ち切った砂が、上にもどっていくのを、だれもが見た。 寿命塔は、「ロビン」の名を刻んだまま、「63」にもどった。 月の女神がふたたび微笑んで、寿命塔に手をかざすと、白銀色のきらめきとともに、砂が増えた。 数字は――「83」をしめした。 息をつめて光景を見守っていたミシェルとエミリは、イシュメルが優しい顔で自分たちを見下ろしているのに気付いた。 彼はふたりのまえに、アズラエルとロビンを静かにおろした。 ふっと、イシュメルの姿が消えた。 「ロビン――ロビン!」 エミリとミシェルは、ロビンを抱きしめた。 ロビンは、うっすらと、目を開けた。 ――生きている。 「なんだここは……? 天国か……」 「ロビン――!」 ミシェルもエミリも、泣き崩れた。 イシュメルがふたりを抱えて上がった階段は、まさしく天国のそれだったかもしれない。だが、ここは天国ではない。満身創痍ではあったが、ロビンは生きている。 アズラエルは、目頭が熱くなるのを感じた。どちらの感情か分からなかった。 ロビンが生きていたことに――? イシュメルの、姿に? どちらでもよかった。アミも泣いている。アズラエルも泣きたい気持ちだったが、ここはぐっとこらえた。 「ルーシー!!」 ルナも無事だ。ララとエーリヒは、奥まで吹っ飛ばされて、泥と雪と枯れ葉まみれになっていたが、その程度でくじけるような奴らではない。ルナはララの腕の中で、ルナの姿で、眠っていた。 いつものワンピース姿で、アホ面で、眠っていた。 アズラエルは、安心して、目を閉じた。 こちらも、長いこと眠っていないのだ。 月の女神も真昼の神も消え、寿命塔もうっすらと、姿を消そうとしている。 「終わった……」 ナキジンがつぶやいて、すとん、と膝をついた。 アントニオも、ナキジンの隣で、「終わったなあ……」と感慨深くつぶやいた。グレンも、力尽きたようにベンチに倒れこみ、次の瞬間にはいびきをかきだした。 「ようやった――よう上がった――みんな、がんばった――」 セルゲイも、顔を覆って泣き崩れる紅葉庵の看板娘の背を撫でつつ、クラウドに微笑みかけた。 「やっと、終わったね」 クラウドも、ちいさく微笑み返すことでこたえた。 湧き上がる歓声が、うしろから聞こえた。 「――イシュメル様」 カーダマーヴァ村でも、異変が起こっていた。 石室の天井が吹っ飛んで――大きな穴が開いて。 巨大な光の柱が、星空めがけて、まっすぐに飛んで――。 ケヴィンも村人たちも、ぼうぜんと石室を見上げて――口を開けていた。 どれだけの時間が過ぎたろう。 一瞬だったような、何時間も経った気もした。 最初に気付いたのは、祠の真ん前にいる若者だった。 「イシュメル様」 村人は、つぎつぎにシャベルやロープを放り投げて、祠に駆け寄った。 「イシュメル様……!」 祠には、イシュメルの石像が安置されている。 何度祠にまつっても、石室にもどっていたイシュメルの像が、そこにある。 「イシュメル様」 イシュメル自ら、祠におさまってくれたのだ。 石室の天井は吹っ飛び、なかの椅子も木っ端みじんになっていた。 もう二度と、石室には戻らないとでも言っているように――。 「イシュメル様!」 「イシュメル様――おおおおお――」 若者たちの歓声と、老人たちの慟哭が、しんとした雪の世界に響いた。 彼らは、およそ二千年の間、待っていたのだ。 イシュメルが、石室から出る日を――。 エポスとビブリオテカの兄弟も、抱き合って、雪の上を飛び跳ねていた。 (イシュメル様) ケヴィンは、それを見届けて、意識を失った。 (――ありがとう) |