「はあ。では、あの騒ぎは、ルナさんだったんですね」

 チャンは納得したように肩をすくめた。

 自分の回復が、異様なほど早い理由がわかったからである。

バーガスも、内臓はともあれ、外傷は、あの日すっかり治って、廊下をうろつきながらチャンの病室まで来た。

 チャンとバーガス、ロビンは、全快にはいたらず、病院に残った数少ない患者である。

 やはり、神があたえた傷は、イシュメルの力をもってしてもそう簡単には治らなかった。

外傷は癒えたが、内臓はまだ、完治には至らない。一ヶ月の入院を余儀なくされた。死んでいてもおかしくない大やけどだったのだから、それで済んだことが幸いだった。

それに、おどろくべき事実は、おかしいほど早いケガの回復や、ルナのことだけではなかった。

 

 「わたしとバーガスさんの寿命が延びたっていうんです」

 チャンは、信じられない顔で言った。

 神様からご褒美をもらったと思っておけば。

見舞いにきたアントニオは、チャンにそう言った。

「あまり実感はわかないものですが。――人間なんていつ死ぬか、わからないものですしね」

 

 バーガスもチャンも、5年ずつ寿命が延びた。――らしい。

褒美というなら、そうなのかもしれない。イシュメルは、「よみがえりの神」だった。ゼロだったロビンの寿命を、63歳にもどした。落ち切った砂時計の砂を、巻き戻すように、うえに上げるのを、アズラエルも見たのだ。

くわえて、月の女神はさらに20歳足した。砂時計だけを見るなら、ロビンの寿命は、83歳まで延びたと考えていいのだろうか。

 

チャンは褒美をもらってもいいと、アズラエルは思った。

 「おまえの度胸には、あきれたよ」

 ためらいもなく、あの地獄に突っ込んでいった度胸に。

 「宇宙船の安全神話は守られなければ」

 チャンが当然のように言ったので、アズラエルは真顔で返した。

 「あれは、もうそういうレベルの話じゃねえだろ」

  

 ロビンも、内臓のほとんどが焼けているありさまで、病院に運び込まれたときは、医者が、「手の尽くしようがない。なんで生きているのかわからない」とはっきり言ったのだが、現に、一週間たった今でも生きている。

 むしろ、ひとではないスピードで回復していた。

 チャンとバーガスと同じく、外傷はほとんど癒えている。内臓に大ダメージを負っているので、まだ絶対安静だが。

 アズラエルが病室に入ると、ロビンは身を起こし、窓の外を眺めていた。

 先日来たときにいた、エミリはいない。

 ロビンのベッド脇のテーブルは、見舞いの品であふれていた。花束、菓子に雑誌――酒を置いていったやつまでいる。

 

 「よう」

 ロビンはアズラエルを見て、言った。

 「バーガスとチャンより、俺のほうが、退院は早いらしい」

「そりゃァ、よかったな」

「さっき、クラウドとミシェルが来たぜ」

「へえ」

「そのまえは、ルナちゃんとピエトだったが――ルナちゃん、どっかおかしくなかったか?」

「……」

アズラエルはその件に関しては黙秘を通した。ロビンは「まァいい」と言った。

「ルナちゃんにも迷惑かけたからなァ。アントニオに聞いたが、ルナちゃんは俺をたすけるために、寒空の中、あんなところに拘束されたんだって? ――怖かっただろうに。多少、気が動転していても無理はない」

「あいつは、いつでもおかしい。目覚めたらさらにおかしくなったがな」

アズラエルは椅子に座った。

それからしばらく、ふたりは沈黙した。ロビンが屋敷に来たときとはちがう、あるべき沈黙だった。ロビンには、アズラエルがひとりで来た理由が分かっているようだった。

 

「ロビン――俺は、」

「謝るな」

ロビンは止めた。

「おまえは知らなかった。アントニオから聞いたよ。おまえが謝れば、俺は、おまえに庇ってもらった礼をいわなきゃならねえ。それは嫌だ」

男に礼を言うなんざ、死んでも嫌だ。

そういうわりには、チャンのもとへは顔を出して、礼かどうかわからないような台詞を吐いていったという。

あんな目に遭っても、ロビンはロビンで、アズラエルは安心すると同時に苦笑した。

 

ロビンは、唐突に告げた。

「俺はL18にもどるぞ」

「……」

それは、アズラエルが予想していた言葉だった。

ロビンは、メルヴァとの戦いには参加しないだろう。

クラウドが先日、言っていたことだった。地獄の審判が終われば、ロビンはおそらく、L18にもどることを選択するだろうと。

 

「……親父には?」

「昨日、連絡したよ」

「いいって?」

「ああ」

ロビンほどの手練れが任務から外れるのは、メフラー商社としては痛手かもしれないが、メフラー親父がいいといったなら、いいのだろう。アズラエルに口を挟む権利はない。

ロビンの独立は、もともとメフラー親父が望んでいたことだ。

 

アズラエルは、まだすべての話を聞かされていないが、ロビンは第一次バブロスカ革命の首謀者、プロメテウスの末裔にあたるとクラウドから聞いた。当人が、妹、エピメテウスを前世に持つとも。

(前世はともあれ、ロビンがプロメテウスの末裔だってことは、親父も知っていたんだな……)

ペリドットは、ロビンのZOOカードが、「羽ばたきたい椋鳥」から、「偉大なる椋鳥たちの王」に変わったと言った。

メフラー親父がのぞんだロビンの独立とは、こういうことだったのだ。

ロビンが、記憶を取り戻し、自身の出生を自覚し、傭兵グループを立ち上げる。

そのことは、すべての傭兵グループにとって、意味を持つことだから。

クラウドの言うララの計画とか、パンドラがどうとか、そういう小難しいところは、アズラエルにはどうでもよかったが、傭兵の直感というものがある。

ロビンは、きっとメフラー商社を離れる。

そんな予感は、していた。

 

「いよいよ、傭兵グループをつくるのか」

「そういうことになるかな」

まだ分からん。

ロビンは言って、なにか引き出しから取り出すと、アズラエルに渡した。

「なんだ?」

写真だった。しかも、まっぷたつに破れている。

ずいぶん色褪せている。すっかり色素は落ち、セピアに近い色合いになっている。やっと人の輪郭が見えるが、映っているのが赤ん坊を抱いたうつくしい女性であることは、たしかだった。

 

「これは、俺と、俺の母親の写真だ」

「半分しかねえな」

写真は、真っ二つに切り裂かれていた。ハサミで切ったのではなく、手で破いたように切断面がぼろぼろだ。アズラエルが言うと、

「破れた半分には、俺の母親の妹が、赤ん坊を抱いた姿が映ってるはずだ。俺と同い年のな」

アズラエルは顔を上げた。

「そのふたりの女が、プロメテウスの直系子孫だ」

ロビンが手を出してきたので、アズラエルは写真をかえした。

「俺の母親の名は、ピトスというらしい。――全部思い出した」

ロビンは、天上を仰ぐように見つめ、目を閉じた。

 



*|| BACK || TOP || NEXT ||*