思い出した。 階段を上がっている最中に――あの、不思議な男と会話したときだ。 優しい、耳にしみいるような声を持った、ロビンをかついで階段を上がってくれた男。 あの男との短い会話のなかで、すべて思い出した。 プロメテウスの墓のことも。墓で出会った、三人の子どものことも。 ――なぜ、母親と自分が、逃げていたのかも。 4歳の子どもはどこかで見たことがある――当然だ、あれはオルドだった。だから、無意識にオルドが気になって、スカウトしたのか。たしかにオルドは有能だった。だがそれだけではないなにかがあった。それが、氷解した。ロビンはオルドを知っていた。覚えていた――小さいころ、出会っていたからだ。 あのなかで、ゆいいつ、『人間の目』をしていたガキだった。残りのふたりは、狂気に満ちていた。 (――そうだ、幼くして、地獄を見たような) 彼らのほかに、あんな目を持つ子どもを、ロビンは33年間生きてきて、一度も見たことがない。 ロビンは、アーズガルドの家で、父と母と幸せに暮らしていた。 その幸せを破滅に追いやったのは、ドーソン一族だった。 ドーソンは、どこから嗅ぎつけたかしらないが、ロビンの母ピトスの正体を見破った。 貴族の名を借りた、うすぎたない傭兵の末裔だと彼らは言った。 ロビンの父であるサイラスは、ピトスの正体を知っても、ロビンとピトスを愛していた。 ドーソンがふたりの連行に動くまえに、サイラスは、ロビンとピトスをスラムのアパートに隠した。一年ほど、ふたりは潜伏した。そのあいだ、サイラスは、ふたりをほかの星に逃がす手続きを踏んでいただろう。 ――ピトスが、第一次バブロスカ革命のプロメテウスの末裔と判明したから、死に追いやられたのだ。 ふつうの傭兵が貴族の家に養子入りし、アーズガルドに嫁いだとて、ドーソンもそこまで問題視はしない。 第三次バブロスカ革命のユキトを出したアーズガルドと、第一次バブロスカ革命の首謀者の末裔が結びつく。 そのことが、ドーソン一族に危機感を抱かせた。 あの日、スラムで一年ほど暮らしていたピトスとロビンを、サイラスが迎えに来た。先にピトスだけ連れて行ったのは、ピトスとロビンを時間差で逃がし、別のルートをとおらせて、待ち合わせ場所で合流させようとしたのだろう。 だが、ピトスは死んだ。 ロビンのもとに帰ってはこなかった。 サイラスもだ。 ふたりは死んだ。 逃亡先で、ドーソンの手の者に暗殺された。 ロビンはそれを、プロメテウスの墓で、アイゼンから聞かされた――。 「……」 ロビンは、思い出したことを口にすることはなかったが、右手で顔をぬぐい、アズラエルのほうを見て、にやりと笑った。 「俺が思い出したってこと、クラウドにはいうな。またアレコレと、ひとのことを嗅ぎまわるからな」 「ああ」 アズラエルはうなずき、 「バーガスには、会わずに?」 ロビンは決めたら、たちどころに行動に移す。バーガスたちの退院を待たずに、出るだろう。 「バーガスには、またL18で会える」 「……」 もう、アズラエルには会えないから、いま言った、とでも言っているようだった。 アズラエルは、ロビンにはひとことも言っていない。自分も傭兵をやめるかもしれないとか、この宇宙船の役員になることを考えているだとか――。 ロビンには分かっているのかもしれない。アズラエルがルナとともに、地球まで行こうとしていることは。 「俺は、ひとつだけ言いてえことがある」 ロビンが、真剣な顔で言った。 「なんだ」 「ふつう、天使って言ったら、ミシェルやエミリみたいなやつを言うだろ? こう、キレイで、うるわしくて、真っ白い羽根が生えてて――」 アズラエルには、彼の言いたいことが分かった。 「……」 「アロハシャツのハゲジジイが降臨してきたときの、俺の気持ちが分かるか?」 「――同情するよ」 ロビンは、やはりロビンだった。 地球行き宇宙船からとおく、L03――。 カーダマーヴァ村で、三日間、熱を出して倒れていたケヴィンは、四日目に、ようやく帰路の旅路に耐えられるだけの体力を取りもどしていた。 エポスとビブリオテカの兄弟をはじめ、村人全員に見送られながら門の前に立ったケヴィンは、見送りの中に、マクタバの姿がないことに気付いた。 「マクタバ様は、リカバリのあと、寝込んでしまったよ」 エポスは言った。 「たいへんな術だったらしいから――でも、起きたら、きっと喜ぶよ」 イシュメル様が、祠に入ってくださったんだもの。 そういって、エポスは寒さに真っ赤になった頬をほころばせた。 ケヴィンはすでに、カザマからの知らせを受け取っていた。 「ルナとロビンは無事に、地獄の審判を終えて、生きている」との吉報を。 ケヴィンの回復を早めたのは、その知らせだったかもしれない。次の日にはすっかり元気になり、旅支度を始めたのだから。 ケヴィンはもちろん、帰るまえにイシュメルの祠に詣でて、わかれと感謝のあいさつをしてきた。 (――いつかまた、来れるだろうか) ケヴィンは、すがすがしい気持ちで祠を見ながら、思った。 「それに、ポテトチップをたくさん、ありがとう」 「あれは、マクタバさんへの報酬だぜ?」 アルフレッドがありったけ買い集めて来たポテトチップスは、マクタバのゲルのまえに山積みにされている。ひと袋拝借してきたのか、エポスも持っていた。 「そうだ。これもやるよ」 ケヴィンは思い出して、バックパックから、固形栄養補助食品を取り出した。ビスケットタイプで、ナッツやドライフルーツが混ざっているもの。 カーダマーヴァ村までの旅で懲りたケヴィンは、陸軍駐屯地内で、これを購入しておいた。結局、ひとくちも口にすることはなかったが。 「ほんとうに!? ありがとう!!」 外界の食べ物だ! とカーダマーヴァ村の若者たちは、たった五袋のそれに飛びつき、興味津々で、さわり始めた。 「これ、なに?」 「えーっと、なんつか、ビスケットみたいな……」 「ビスケット! 本で読んだことがある! じゃあ、これは甘いのかな」 「ああ、甘いやつだよ」 「あまり、よけいなものを置いていかんでくれ! また村から人が減ったら困る」 長老はあわてた。 「ありがとう。君たちが来てくれてよかった。感謝している」 ケヴィンと固く握手を交わした壮年の男性は、イシュメルの石室を開ける作業の指揮を取っていた男性だ。エポス兄弟の父だった。 長老も、村人たちも、ケヴィンが来たときとは正反対に、みな笑顔だった。 「お世話になりました」 ケヴィンがお辞儀をしたところで、「救世主様―っ!」と声がした。 |