ノワの井戸。

かつてガルダ砂漠の入り口に、ノワがつくった井戸。

千年ほど前までは、ゆたかに水が湧き出ていたが、そこから村がなくなると、井戸も自然に枯れたという。

 

「まあ――では、きっと、黒いタカは、ノワの兄弟、ファルコですわ」

カザマは相槌をうちつつ、言った。

「そう思います」

ヒュピテムも生真面目にうなずいた。

 

その井戸は、すっかり枯れていた。おおきな井戸で、砂でだいぶ埋まっていて、ユハラムとヒュピテムがなかに入ってふたをすると、頭まで入ることができ、寒さをしのぐことができた。

「わたしたちは、それで助かったんです」

ユハラムはそのときのことを思い出したのか、涙ぐんでいた。

「次の日には、水の入った甕と、干し肉とパンが、井戸の蓋の上に置いてあった」

ヒュピテムの言葉に、双子は口をあんぐりと開けた。

ケヴィンたちも、ノワの存在は知っている。義務教育で習うからだ。千五百年前の、奇跡の僧侶、ノワ。

アイスワインの話とか、鉱山から金が出た話とか、井戸から水が噴き出して、湖になった話とか。

ノワを題材にした絵本や物語もある。

 

「われわれは、その井戸で救助を待ちました。無事にカーダマーヴァ村についていれば、マイヨが、見つけてくれると思って――そうしたら、カーダマーヴァからはすこし遠い村ですけれども。ニガチェンダ村の行商人が、わたしたちを見つけて助けてくれました」

「ニガチェンダは遠いんです」

マイヨは言った。

「最初に探しに出たときは、お二人は見つからなかった。ニガチェンダにいらっしゃったんだもの。見つけ出せるわけがありませんでしたよ!」

二度目の捜索のとき、マイヨはもしやと思って、すこし遠いが、ニガチェンダまで足を延ばした。そうしたら、ふたりを見つけたのである。ユハラムとヒュピテムは、ニガチェンダ村で療養し、カーダマーヴァ村まで出発するところだった。

 

「ほんとうによかった――ノワが助けてくれたんだわ」

マイヨも涙ぐみ、そう締めくくった。

双子は、顔を見合わせた。

L03に来てから、ふつうでは考えられないような体験ばかりをしてきて、外れた顎がもとにもどらないような気さえした。

 

 

大都市メノスのスペース・ステーションは、現在、首都トロヌスの代わりに機能していることもあって、人でごったがえしていた。

ケヴィンたちは、ここまで送ってくれた軍人たちと、握手を交わした。

「ほんとうにお世話になりました」という双子の言葉に、彼らは見事にそろった敬礼をかえし、出発した。

ヒュピテムたちも、ジープを降りて、馬車で首都トロヌスへ向かう。

カザマは、L09まで、双子と一緒だ。

 

「では――ヒュピテム、ユハラム、お達者で。マイヨさんも、お元気で」

「ミヒャエル殿と、もう一度お会いすることができるとは、思いませんでしたな」

「ええ。――ミヒャエル。どうか、サルーディーバ様とアンジェリカ様をお頼みもうします」

ユハラムの言葉にうなずき、別れの挨拶をかわしたカザマは、

「では、わたくしは、L09行きのチケットを手配してまいりますから、おふたりは、ゆっくりいらしてください」

と、双子を置いて、さっさとチケット売り場に向かった。

 

「えっ? あ、――」

カザマは、双子がヒュピテムたちとゆっくり別れを惜しむ時間をつくってくれたのだった。

取り残された双子は、いざ別れとなると、何も言えなくなって、ヒュピテムたちを見つめた。ヒュピテムたちも同様だった。

「あの、なんか、今日はずっとこればかり言っている気がするけど――ほんとに、お世話になりました」

「ご恩は、忘れません」

アルフレッドの言葉に、ヒュピテムが、「それは、こちらの台詞です」とかえした。

「おふたりのおかげで、王宮のサルーディーバ様は生きていらっしゃるのよ。わたしたちも――それを、お忘れにならないで」

ケヴィンとアルフレッドは、三人と、かわるがわる握手を交わした。そしてぐずぐずと、双子は言葉を探した。でも、もう、出てくる言葉はなかった。旅路の思い出ばかり、浮かんでくるのだった。

ヒュピテムと魚を釣ったこと、ユハラムがつくってくれた鍋が、信じられないくらいおいしかったこと、寒い夜には格別だった、マイヨと飲んだ、粉ミルクの味を。

 

「きっといつかまた、L03にいらしてください。この星がもっと、平和になったあかつきには」

別れがたいのは、双子だけではなかった。いつまでもその場に佇んで、行こうとしない双子の背を押すようにユハラムは言ったが、彼女も目を潤ませていた。

「そのときは、どうか、われわれを訪ねてください」

「はい。ありがとうございます……」

 

ヒュピテムもユハラムも、別れの言葉を幾つも口にする中で、マイヨはなにもいわなかった。なにか言いたげな目でケヴィンたちを見つめ――やがて、あきらめたように、悲しそうな顔で、うつむいた。

そしてやっと、笑顔をつくった。

「さようなら」

「さ、さようなら――」

ケヴィンたちも、そういうほかなかった。アルフレッドは涙ながら、ケヴィンは、どこかうつろな顔で、――背を向けた。

ひろい構内を、チケット売り場に向かって歩いた。

 

「マイヨ」

ユハラムは、すがるような目で双子の背を見つめているマイヨの背を撫で、なぐさめるように言った。

「救世主様とは、住む世界がちがうんですよ」

「……」

マイヨは、涙をぬぐい、ケヴィンとアルフレッドの背中を見つめた。見えなくなるまで、手を振り続けていた。

 

だいぶ過ぎてから、ケヴィンは一度振り返った。ちいさくなった三人が、まだ双子のほうを見ている。マイヨが、手を振ってくれている。

ケヴィンは手を振り返し、歩いた。まるで怒っているようにズンズンと――そして、もう一度、我慢できないようにふりかえった。

もう、三人の姿はひとごみに消えて見えなくなっていた。

 

「――ダメだ」

「え?」

ケヴィンが立ち止まった。

「ダメだ。俺、イシュメル様に誓ったんだ。もう、後悔しないって――」

「ケヴィン!?」

 



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