百五十一話 四人のエルピス



 

――ロビンは。

みんなの知らない間に、L18へ発った。

 

(ロビンさん)

 

ルナとミシェルは、ヴィアンカから聞かされた。担当役員の一時的な交代のことと、ロビンがだれにも告げずに、宇宙船を出たことを。

ミシェルは、ヴィアンカからそのことを告げられたあと、「そうですか」とちいさくつぶやいて、ずっと神妙な顔をしていた。

やっと帰り道で、ぽつりと言った。

「ひとことくらい、お別れが言いたかったな」

ミシェルは言ったが、ロビンの気持ちも、彼女は理解しているようだった。

「ほんと、なんていうか、おおらかで――いろんな意味で、自由な人だった」

ミシェルの口調は、呆れているようにも、懐かしんでいるようにも、ルナには聞こえた。

だれにも言わないで行くなんて、ロビンらしいと思う。

「クラウドとは違う感じで、好きだった――かも」

内緒だよ。

ミシェルはそう言って、人差し指を立てた。

 

 ルナは、晴れ渡った空を見上げた。先日降った雪は積もらず、すっかり地面は乾いて、冬の初めの、肌寒くもすっきりとした空だった。

 

 (ロビンさん)

 

 カレンにつづいて、ロビンが旅立った。

 すこし寂しい気もするが、それでも、毎日は来る。日々は続いていく。

 

 ルナは、全身をピーンとのばした。

 「両手を上にあげて、のびのびと、うさぎの運動―っ!!」

 ルナの口ずさみはラジオ体操の曲だが。

 「ちゃんちゃか♪ ちゃかちゃか♪」

テラスではじまったおかしなルナの運動を、ピエトとネイシャはこっそり見ながら、

 「ラジオ体操……?」

 と不思議な顔で首をかしげた。

 

 

 その日の午後である。

「ルゥ、おまえ、なにやってる」

アズラエルは、見舞いから帰ってきたとたんに視界に飛び込んだ光景に、おもわず突っ込んでしまった。

ルナが、リビングのド真ん中で、脚立に乗ってぷるぷるしている。支えにしているのか、エーリヒの頭髪を、上からつかんだまま。

 

「イシュメルはこのくらいかな?」

ルナはぷるぷるしたまま、遠くを見つめるような目をした。

「このくらいのおおきさ」

 

身長がこれくらいだと言いたいのだろうか。たしかにイシュメルはそれくらいあった。ルナの胸元が、エーリヒの頭頂を越えている。

「ルナ、そろそろわたしも、頭皮の心配をしなくてはならない年齢なのだがね……」

たしかに、ルナにわしづかまれているエーリヒの頭皮は心配だった。だが、ルナがかなり不安定な状態にいるので、

「エーリヒ! 動かないであげて! ルナちゃんが落ちちゃう!」

ジュリがメジャーを持って、叫んでいる。イシュメルの身長を図ろうとしているのか――エーリヒは無表情で腕を組んだまま、ルナに頭をわしづかみにされつづけているのだった。

「……」

その光景のシュールさと言ったら、筆舌に尽くしがたい。

 

ツッコミたい要素はもう一か所あった。

「ルナ、その胸のところの――なんかこう――髪の毛に見えるものはなんだ?」

今度はグレンが聞いた。

「むなげ」

「は?」

「むなげ」

ルナの口から、イシュメルとはほど遠い可憐な声音で、容赦ない返答がかえってきた。

「むなげなのですよ――立派なむなげ!」

ルナの髪色と同じ、栗色のウィッグ。ルナの胸にくっついたそれは、どう見ても胸毛ではなく、ただのウィッグである。

「今朝から、むなげがないのが落ち着かないの!」

ルナは叫んだ。

 

「……」

イシュメルの前世をリカバリしたせいで、ルナに悪影響が出ている。

ルナとイシュメルが交互に出てくるのだ。クラウドが「カオスのダブルパンチ」と命名した。

 

「ルナ――いや、イシュメル? 今のおまえに、胸毛は必要のないものだ」

胸毛があるルナなど、考えたくもないグレンだった。

「いくらイシュメルと言えど、そこまでふさふさしてはいないだろう――おおげさではないかね?」

エーリヒの言うことはもっともだったが、うさぎに頭をわしづかまれている男の言うセリフではなかった。

それ以上に、ルナは今、自分の状況が見えているのだろうか。胸元にウィッグをつけ、脚立に乗ってぷるぷるし、エーリヒの頭をわしづかんでいるうさぎなど、どうかしていると言っても過言ではない。

 

「ルナちゃんもあんな目に遭ったんだ――ちょいとおかしくなっちまっても、無理はないさ」

「コイツは、もとからこんな感じだ」

キッチンから出て来たレオナがそう言い、グレンが訂正し、セシルがルナを脚立から下ろしてあげながら、「まあ、ルーム・シェアのメンバーが、もう一人増えたと思えば、」と呑気に言ったが、増えたと言っても、「中のひと」である。

ルナはうさ耳をぴこぴこさせながら脚立を片付けようとし、脚立ごとひっくり返り、セルゲイに救出された。セルゲイはなにも言わずルナを左わきに抱え、脚立を右わきに抱えて倉庫に向かった。ルナを小脇に抱える際に、セルゲイは胸毛をはぎ取った。ルナが「むなげ……」とじたばたしたが、そのまま回収されていった。

 

「ネザーランドドワーフの中に、フレミッシュジャイアントがいる感じよね」

「ミシェル、それ、微妙に分かりにくい」

ミシェルがルナを見つめて言い、クラウドがつっこんだ。

 

「そういや、今日の飯はなんだ」

アズラエルはふと聞いた。台所からただならぬ臭気がただよっていたからだ。

ネイシャは、泣きそうな顔で言った。

「ルナ姉ちゃんも、バーガスおじちゃんも、アズラエルさんもいない間、大変だったんだよ!」

ピエトも青ざめていた。

「さっき、ネイシャの母ちゃん、ポタージュ・スープのだしを取るって、魚まるごと刻んでいれてた……」

ポタージュという食品に、魚のだしは必要だっただろうか?

「それからほら――あれ見て」

「……」

アズラエルは、ネイシャに心細げに引っ張られ、見た。

テーブルの上に置かれた、テーブルの面積をすべて埋め尽くしている巨大な物体を。

 

「なんだこれは」

アズラエルは近寄り、それから、魚の匂いがすることに絶句した。魚は――直系1メートルを超える魚は――まるごと木の皮か、葉っぱのようなものでくるまれ、こんがり焼けている。

「これ、ルナが作ったんだよ」

ピエトの言葉に、アズラエルはついに叫んだ。

「ルゥはどうした!」

呼ばれたルナは、アホ面を下げてぺけぺけやってきた。

「どうやってつくった!? おまえがこれを!?」

ルナが持てる重さの魚ではない――いや、それだけではなく、調理法にしろ、なんにしろ、ツッコミどころは満載だ。

 



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