――ロビンは。 みんなの知らない間に、L18へ発った。 (ロビンさん) ルナとミシェルは、ヴィアンカから聞かされた。担当役員の一時的な交代のことと、ロビンがだれにも告げずに、宇宙船を出たことを。 ミシェルは、ヴィアンカからそのことを告げられたあと、「そうですか」とちいさくつぶやいて、ずっと神妙な顔をしていた。 やっと帰り道で、ぽつりと言った。 「ひとことくらい、お別れが言いたかったな」 ミシェルは言ったが、ロビンの気持ちも、彼女は理解しているようだった。 「ほんと、なんていうか、おおらかで――いろんな意味で、自由な人だった」 ミシェルの口調は、呆れているようにも、懐かしんでいるようにも、ルナには聞こえた。 だれにも言わないで行くなんて、ロビンらしいと思う。 「クラウドとは違う感じで、好きだった――かも」 内緒だよ。 ミシェルはそう言って、人差し指を立てた。 ルナは、晴れ渡った空を見上げた。先日降った雪は積もらず、すっかり地面は乾いて、冬の初めの、肌寒くもすっきりとした空だった。 (ロビンさん) カレンにつづいて、ロビンが旅立った。 すこし寂しい気もするが、それでも、毎日は来る。日々は続いていく。 ルナは、全身をピーンとのばした。 「両手を上にあげて、のびのびと、うさぎの運動―っ!!」 ルナの口ずさみはラジオ体操の曲だが。 「ちゃんちゃか♪ ちゃかちゃか♪」 テラスではじまったおかしなルナの運動を、ピエトとネイシャはこっそり見ながら、 「ラジオ体操……?」 と不思議な顔で首をかしげた。 その日の午後である。 「ルゥ、おまえ、なにやってる」 アズラエルは、見舞いから帰ってきたとたんに視界に飛び込んだ光景に、おもわず突っ込んでしまった。 ルナが、リビングのド真ん中で、脚立に乗ってぷるぷるしている。支えにしているのか、エーリヒの頭髪を、上からつかんだまま。 「イシュメルはこのくらいかな?」 ルナはぷるぷるしたまま、遠くを見つめるような目をした。 「このくらいのおおきさ」 身長がこれくらいだと言いたいのだろうか。たしかにイシュメルはそれくらいあった。ルナの胸元が、エーリヒの頭頂を越えている。 「ルナ、そろそろわたしも、頭皮の心配をしなくてはならない年齢なのだがね……」 たしかに、ルナにわしづかまれているエーリヒの頭皮は心配だった。だが、ルナがかなり不安定な状態にいるので、 「エーリヒ! 動かないであげて! ルナちゃんが落ちちゃう!」 ジュリがメジャーを持って、叫んでいる。イシュメルの身長を図ろうとしているのか――エーリヒは無表情で腕を組んだまま、ルナに頭をわしづかみにされつづけているのだった。 「……」 その光景のシュールさと言ったら、筆舌に尽くしがたい。 ツッコミたい要素はもう一か所あった。 「ルナ、その胸のところの――なんかこう――髪の毛に見えるものはなんだ?」 今度はグレンが聞いた。 「むなげ」 「は?」 「むなげ」 ルナの口から、イシュメルとはほど遠い可憐な声音で、容赦ない返答がかえってきた。 「むなげなのですよ――立派なむなげ!」 ルナの髪色と同じ、栗色のウィッグ。ルナの胸にくっついたそれは、どう見ても胸毛ではなく、ただのウィッグである。 「今朝から、むなげがないのが落ち着かないの!」 ルナは叫んだ。 「……」 イシュメルの前世をリカバリしたせいで、ルナに悪影響が出ている。 ルナとイシュメルが交互に出てくるのだ。クラウドが「カオスのダブルパンチ」と命名した。 「ルナ――いや、イシュメル? 今のおまえに、胸毛は必要のないものだ」 胸毛があるルナなど、考えたくもないグレンだった。 「いくらイシュメルと言えど、そこまでふさふさしてはいないだろう――おおげさではないかね?」 エーリヒの言うことはもっともだったが、うさぎに頭をわしづかまれている男の言うセリフではなかった。 それ以上に、ルナは今、自分の状況が見えているのだろうか。胸元にウィッグをつけ、脚立に乗ってぷるぷるし、エーリヒの頭をわしづかんでいるうさぎなど、どうかしていると言っても過言ではない。 「ルナちゃんもあんな目に遭ったんだ――ちょいとおかしくなっちまっても、無理はないさ」 「コイツは、もとからこんな感じだ」 キッチンから出て来たレオナがそう言い、グレンが訂正し、セシルがルナを脚立から下ろしてあげながら、「まあ、ルーム・シェアのメンバーが、もう一人増えたと思えば、」と呑気に言ったが、増えたと言っても、「中のひと」である。 ルナはうさ耳をぴこぴこさせながら脚立を片付けようとし、脚立ごとひっくり返り、セルゲイに救出された。セルゲイはなにも言わずルナを左わきに抱え、脚立を右わきに抱えて倉庫に向かった。ルナを小脇に抱える際に、セルゲイは胸毛をはぎ取った。ルナが「むなげ……」とじたばたしたが、そのまま回収されていった。 「ネザーランドドワーフの中に、フレミッシュジャイアントがいる感じよね」 「ミシェル、それ、微妙に分かりにくい」 ミシェルがルナを見つめて言い、クラウドがつっこんだ。 「そういや、今日の飯はなんだ」 アズラエルはふと聞いた。台所からただならぬ臭気がただよっていたからだ。 ネイシャは、泣きそうな顔で言った。 「ルナ姉ちゃんも、バーガスおじちゃんも、アズラエルさんもいない間、大変だったんだよ!」 ピエトも青ざめていた。 「さっき、ネイシャの母ちゃん、ポタージュ・スープのだしを取るって、魚まるごと刻んでいれてた……」 ポタージュという食品に、魚のだしは必要だっただろうか? 「それからほら――あれ見て」 「……」 アズラエルは、ネイシャに心細げに引っ張られ、見た。 テーブルの上に置かれた、テーブルの面積をすべて埋め尽くしている巨大な物体を。 「なんだこれは」 アズラエルは近寄り、それから、魚の匂いがすることに絶句した。魚は――直系1メートルを超える魚は――まるごと木の皮か、葉っぱのようなものでくるまれ、こんがり焼けている。 「これ、ルナが作ったんだよ」 ピエトの言葉に、アズラエルはついに叫んだ。 「ルゥはどうした!」 呼ばれたルナは、アホ面を下げてぺけぺけやってきた。 「どうやってつくった!? おまえがこれを!?」 ルナが持てる重さの魚ではない――いや、それだけではなく、調理法にしろ、なんにしろ、ツッコミどころは満載だ。 |