「じつのところ、あの方はなぜ、宇宙船に?」 「エーリヒの考えていることは、俺にもわからない」 クラウドは正直に言った。 「ララ様が、不審がっておられます」 「だろうね」 クラウドは否定しなかった。 「だがたぶん、ララの邪魔をするようなことはしないよ」 「そうでしょうか。あの方は心理作戦部の隊長であり、貴族軍人です。――軍人と傭兵は、どこまでいってもちがう。相容れない」 「……」 「ララ様は、あなたを取り込んで味方にしようとしておられるが、あなたは、味方にはならないと、わたしは踏んでおります」 シグルスは足を組み、優雅に微笑んだ。 「期待されてなくてよかったよ」 クラウドは嘆息した。 「できれば、あなたには中立でいていただきたいのですがね」 「……」 「“プラン・パンドラ”がまっとうな形で成立するとは、ララ様も思っておりません」 せっかくですから、いただきます。 そういってシグルスは、モンブランに手を付けた。 「傭兵と軍人とはまるでちがうもの、相容れぬもの。望みもちがえば、目的も違う」 「……」 「あなたの望みは、軍事惑星が崩壊しないこととおっしゃったが」 シグルスは、話しながらすっかりケーキを片付けた。しゃべりながら食べているというのに、まったく下品に見えないのはさすがだった。 ビアードの子孫だということははっきりしているが、「ビアードの子孫」にシグルスという名は存在しない。彼の名もまた、「ララ」のように、二つ名なのだろうか。彼は、L5系の出自にも、貴族軍人にも見える。 シグルスは、クラウドすら出どころを見抜けない、不透明さを持っている。 「オルドの実力は証明されました」 シグルスは、まったく音を立てずにコーヒーカップを受け皿に置いた。 「彼は確実に、“プラン・パンドラ”のエルピスとなる人物です――あとは、フライヤ・G・ウィルキンソンと、アダム・A・ベッカーですかね。彼らの動向が気になるところではあります」 「親父がなんだってンだ!?」 アズラエルは吠えたが、シグルスはこたえなかった。 シグルスがアズラエルに退席をもとめなかったのは、そういうわけか。 クラウドは察した。シグルスとクラウドの考えがおなじだということは、ララとも同じだとみていい。 「難攻不落の泰山は、うごくでしょうか?」 「……」 クラウドは、返事をしなかった。シグルスは微笑んだ。 「じつは、ララ様が注目しておられるエルピスはもうひとり」 「なんだって?」 「これは、ララ様からのメッセージです」 シグルスは、意味ありげに微笑み、 「あなたなら、そういえばおそらく分かるだろうと」 「……いや、さっぱり」 クラウドは、まったく見当がつかなかった。 「そのうち、分かるでしょう」 シグルスは、美味しいコーヒーとケーキをごちそうさま、と言って立った。 「四人目のエルピスのために、ご助力願うことがあるかもしれません。それでは、また」 「アンが――」 K34区の片隅でひっそりと経営されているバー、「ラガー」の店長オルティスは、恩人が末期ガンだと聞かされて、バラの入れ墨だらけの肩を、緊張にせわしなく揺らせた。 『オルティス! ヘコンでる場合じゃねえ、金はいくらたまったんだ』 「――五千と、ちょっとだ」 『バッカヤロ、おめえ、二十年たって、それっぱかしかよ――地球行き宇宙船って、もうかるんじゃねえのか!!』 「勝手なこと言うんじゃねえよ! こっちだって、ツメに火をともすようにして、だ、なあ……!」 オルティスの声が次第につまり、やがて、おいおいと泣きだした。電話向こうの男も、なにもいわなかった。 オルティスはがんばった。がんばってきた。 アンドレアを地球行き宇宙船に乗せるために、がんばってきたのだ。 オルティスは昼も夜も店を開け、かたときも休まずがんばってきた。 でも、金は思ったように貯まらない。 二十年がんばりつづけて、やっと、五千万デルを越えたところ。地球行き宇宙船のチケット代、八千七百万デルには、とおく、届かない。 一緒に乗ったオルティスの相棒ニコルは、金をためるために働きすぎて、身体を壊して死んでしまった。この「ラガー」という店を出して、十年目のことだった。 「もう、一刻の猶予もねえじゃねえか。アンは、いつまでもつんだ」 『――医者に告げられた寿命は、あと三ヶ月だ』 「ちくしょう!」 オルティスは、酒瓶のケースを蹴った。 『やっぱし、無理なのかなあ――』 アンを宇宙船に乗せることは、できねえのか。 まもなく今期の宇宙船も三年目――期日が来てしまう。期日が来ると、もう今期の宇宙船には乗れない。 「バカなこというな!」 仲間がちからなくぼやくのを聞いて、オルティスは、かつてアンドレアに「あなたの口は大きくて、まるでワニみたいね」と言われた口をいっぱいに開けて怒鳴った。 「なんとかする――なんとかなる! 俺たちがあきらめちゃ、ダメだろ! 俺はバカだが、からだは丈夫なんだ!」 『借金はやめろよ!? それから臓器は売るな!!』 オルティスは、これ以上借金は重ねられない。店を出した方が儲かると思って、オルティスは宇宙船内で店を出したが、オルティスの計画どおりにはいかなかった。店のためにした借金の残りが、まだある。この店は、地球行き宇宙船に乗った荒くれ者が集中する店だ。安全第一の宇宙船と言えど、リフォームせざるを得ないもめごとが、何度も起きている。 これでは、素直に派遣役員になっていたほうが、貯金はできた。 だが、宇宙船にのるまえに足をやられて、びっこを引いているオルティスは、もう傭兵としての仕事はできない。デレクと取っ組み合い程度はできるが、戦場にも、危険任務にも出られない。すなわち、バグムントのように、もと傭兵の特技を生かして派遣役員をすることはできないのだ。 「お、おれの肝臓とか――ちょびっと、」 『おまえの肝臓をもらったやつは確実に丈夫になるだろうが、たいした金にはならねえ』 仲間は、オルティスの無茶をとめたが、ついにオルティスは叫んだ。 「アンに、俺の肝臓をやるよ!」 『みんなそう思ってんだよ! バカ!!』 電話向こうで泣く仲間の声は老いていた。 『おめえ、年食ったなあ』 そう思っていたら、先に言われた。 「あたりめえだ! 何年たったと思ってやがる」 『悪かったよ。おめえ、やっと結婚してガキまで持ったんだもんなァ――ヘンな電話して悪かったよ――アンがずっと心配してた。おめえとニコルは、アンのために人生を台無しにしちまったんじゃねえかって。ゴメン、本当に悪かったよ。アンには言うなって言われたんだ』 「バカ野郎! おめえは言ってよかったんだよ! 言わなかったら、俺はてめえを丸飲みにしてやるところだぞ!」 『子ワニのオルティ、元気かなってアンがいつも言ってる……』 「俺もニコルも、人生を無駄になんかしちゃいねえよ。アンがよく言ってただろ、“バラ色の人生”だ」 アンのおかげで、俺はバラ色の人生になったんだ。 アンに拾ってもらわなかったら、いまここに、オルティスはいなかった。 オルティスがこの宇宙船に乗ったのは16歳だったか。四年に一度、E353に着いたときにしか、彼らには会えない。 オルティスは、「あきらめんな! 金は――なんとかする」と言い切って、電話を切った。 閑散とした、昼の店内を眺めながらオルティスは、涙をぬぐい、酒の瓶を数えるために、倉庫に向かった。 (待ってくれ――耐えてくれ。アン。なんとか、金が貯まるまで――) |