百五十二話 バラ色の蝶々



 

地球行き宇宙船のカレンダーが、12月になった。

ルナは、窓の外にしんしんと降る雪を見つめながら、自室で日記帳と向き合っていた。

雪が積もった翌朝、ピエトとネイシャはおおはしゃぎでテラスに庭にと駆けまわり――雪まみれで屋敷内に駆け込んできて、レオナにお尻をぴしゃりとやられていた。

その様子を思い出して、もふもふ笑ったうさぎは、あたたかい床にぺしゃりと座り込み、ひざ掛けをかけて、ちいさなテーブルに置いた日記帳に、もくもくと書き記す作業をつづけた。

ルナはすっかりイシュメルと分割され、カオスのダブルパンチから、安定のシングルカオスにもどっていた。

 

10月は、「地獄の審判」で、まるまる一ヶ月、ルナは眠っていたわけで――。

しかし、一ヶ月寝ていたのだと言われても、まるで実感はわかない。ところどころ記憶はあるが、ほとんど覚えていないのだ。

ロビンを直接救ったのはイシュメルだが、ノワが現れて、手助けをしていったことを、クラウドから聞いた。

あのLUNANOVAが、前世のひとつだったとは。

こちらもあまり、実感はないが。

 

(お酒をいっぱい飲みました)

ほぼ、「中のひと」のせいだが、あれほどお酒が美味しいと思ったことはなかった。

すこしまえ、アンソニーとノワの話をしたことから始まって、ノワの名前がついたワインを飲んだり、ララに、ノワの絵をもらったりした。あれは、ノワが現れることを示唆していたのだろうか。

ララからもらった絵は、ただの月のない星空。ノワの姿が描かれているわけではなかったが、ルナは教科書に載っていた、ノワの絵を思い浮かべた。

肩に、おおきな黒いタカを乗せているのが特徴の、旅人姿の大柄な男で、横を向いているうえに、フードを被っているので、顔は分からない。

 

(あの黒いタカは、エーリヒだった)

エーリヒをなつかしいと思った理由が判明した。ルナが「ノワ」だった時代、一生をともにしたパートナーだったのだ。

(ノワって、けっこう、いいかげんなひとだって、ミシェルがゆってたけど)

自分の前世なのに、ルナだけが、ノワのことを知らない、見ていない。

イシュメルは、このあいだ、しばらく一緒にいたので、どんな人物かすこしは分かったが――。

(のわは、どんなひとだろう?)

「……」

ルナはしばらくアホ面で宙を見つめ、考えるのをやめた。

 

それから、「パズル」という新しい占術のこと。

ZOOカードがあれば、「パズル」はつかえるとの話だったが、相変わらず、ルナがつかおうとしても、うんともすんとも言わなかった。

それでもルナが役に立ったことはある。ノワ目線で見た夢の話を書き留めた。だれも知らない、「第一次バブロスカ革命」のリアルタイム記事だった。エーリヒとクラウドのめのいろが変わったのはいうまでもない。

それから、イシュメルの前世もやっと思い出して、書き記すことができた。

 

ルナが寝ているあいだに、あまりにもいろいろなことが起こって、いろいろ判明して、いろいろなひとがいなくなってしまった。

カザマがイシュメルを目覚めさせるためにL03に行ってしまったので、ルナたちの担当役員は、ヴィアンカになっている。

ロビンがこっそり降船したことは、ほんとうに、アズラエルやクラウド、バーガスも知らなかった。ルナたちが家に帰って、そのことを告げると、みんな驚いていたからだ。

アズラエルは、だいたい予想していたのか、「そうか」と言っただけだったが、バーガスは、「あの野郎、俺たちにも言わずに」としばらく怒っていた。レオナは、「それより、任務からロビンが外れるのは痛手だねえ」と言った。

それぞれ文句はあったものの、メフラー商社の面々は、メフラー親父がいいといったなら反対する理由もないと、あっさりその事実を受け入れた。

 

11月は、10月とは対照的に、ずいぶん楽しい日々を過ごした。

あたらしく担当になったヴィアンカに連れて行ってもらったラーメン屋は、ミシェルも「マジ通う」と宣言したほどおいしかったし、アズラエルたちともいっしょに行った。レイチェルたちと、K25区に小旅行に行ってきたし、このお屋敷で、バーベキューの仲間をあつめてしたハロウィンパーティーは、本当に楽しかった。

 

(いい思い出です……)

ルナは日記を書きながら、にへら、と笑った。

ひさしぶりに、今どきの女の子らしい日記をかけたのではないだろうか。

 

「……」

ルナはうきうきと前のページにもどって――真顔にもどった。

「地獄の審判」の階段のイラストと、みそバターコーンラーメンチャーシュー山盛り(ヴィアンカが、これが美味しいからと勝手に注文した)に、餃子とビール付きで乾杯している三人(ルナ、ミシェル、ヴィアンカ)の写真――が並んでいるのを見て、さっきの言葉を訂正した。

 

「……これわ、ふつうのおんなのこでない」

ルナはいそいそと、ラーメンの写真を次のページに貼りなおし、「地獄の審判」がある見開きページには紙を張りなおしてべつのことを書くことにした。

最近は、色鉛筆でイラストなんかも描いて絵日記風にしたりもしているので、あと一ヶ月あるのに、日記帳は残り数ページしかなかった。

ルナは、過剰に胸毛が描きたされた、自作のイシュメルのイラストを見つつ、

(あとで、雑貨屋さんにいってこようかな)

と考えた。

小花柄模様の日記帳は、あとすこしでおしまいだ。

今年は本当にいろいろあったなあ、とルナはアホ面で十分間の停止をはじめ――ぴーん! とうさ耳を立たせ――次の瞬間には、書斎に向かって駆け出していた。

 

 

「宇宙船からもらう日記帳かね」

書斎にいたエーリヒに、日記帳を持っていないか尋ねると、エーリヒは自室までもどって探し出してくれた。

エーリヒは最近乗船したばかりなので、もしかしたら日記帳を持っているかもと思ったのだ。ルナの予想は当たりだった。

「そろそろ来年のものが必要なのではないかね。わたしがもらったのは、今年の日付が入ったものだよ」

「いいのです!」

ルナが言うと、エーリヒは、ワインレッドの革表紙の日記帳をルナにくれた。

 

「え!? なにこれ――オシャレ!!」

 エーリヒから手渡されたそれは、中身こそルナの日記帳と同じだが、装丁はずいぶん豪華だった。ビニールに包まれている程度だった小花柄の日記帳とはちがい、綺麗な包装紙につつまれた箱に入っていて、革の手入れ方法の説明書までついた完璧ぶり。職人がなめした革であり、使い込むほどにすばらしい質感がどうとか――つまり、ずいぶん高級なものだった。

 「こういう革を使った手帳は、いい値段なのだがね」

 残念ながら手帳ではなかったとエーリヒは言い、解いた包装紙ごと、ルナに差し出した。

 「もらっていいの」

 「かまわんよ」

 「ありがとう!」

 ルナは大喜びで受け取り、自室に戻りかけたが、そのまん丸い背を、エーリヒの声が追った。

 「ルナ! ヒマならマタドール・カフェでミルクセーキでも飲まんかね!」

 「いいよ!」

 ちいさくなったルナの叫び声が聞こえた。

 

 



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