「ハロウィンが終わったら、つぎはクリスマスか。せわしないものだな」

マタドール・カフェの店内が、すっかりクリスマス色とサンタとトナカイの群れに変貌しているのを見て、エーリヒは肩をすくめた。

「まさか、またこのあいだのようなバカ騒ぎを?」

エーリヒがはっとしてルナに聞いたが、セルゲイは笑った。

「君もなかなか楽しんでいたじゃないか」

「うん。エーリヒの吸血鬼はほんものぽくて怖かったでした」

「ひどいな」

屋敷にはセルゲイも残っていたので、三人でマタドール・カフェに来た。

先日のハロウィンパーティーで、エーリヒはミシェルによって無理やり吸血鬼化されたが、絵本に出てくるような吸血鬼がそのままできあがってしまい、リアルすぎて大人たちにはからかわれ、ジュリと子どもたちには嫌われた。

 

「オルティスさんとバーガスさんがフランケンシュタインだったのに……オルティスさん、来れなくて残念でした」

バーガスのフランケンシュタインは、それは見事にフランケンだったが、もうひとりの完璧なフランケンになるはずだったオルティスは、今回は来られなかった。ミシェルはオルティスの分も仮装用の衣装を用意していたのに。

 

「クリスマスにはこられるかな?」

ルナは聞いたが、セルゲイは言った。

「クリスマスなんて、もっと来られないんじゃないかな? 店は稼ぎどきだよ」

 

今年は、グレンがクリスマス中に、ラガーのバイトを入れた。最近、グレンはルシアンの警備員バイトにくわえ、ラガーにも手伝いに行くことが多くなった。

ラガーの店長は、昼夜関係なく店を開けているし、子どもができたために、ますます手が空かなくなった。さすがにバイトのひとりも入れねば、やっていけなくなったのだ。

ヴィアンカも、カザマがもどるための数ヶ月とはいえ、現場に復帰してしまったので、ラガーの店長が赤ん坊を背負いながら店に出ていることもある。

顔なじみは、そんな姿を茶化していくのが日課となっていた。

 

セルゲイは思い出したように、

「クリスマスか……そういえば、クリスマス前後は、」

「E353に到着するよ、っと。お待たせしました」

デレクが、カフェ・ラテと、ショコラを運んできた。

「そう、E353に到着だ」

エーリヒも、手帳がわりの携帯をチェックしながら言った。

「E353です」

ルナはだいすきなショコラを受け取ってご満悦だ。オレンジピールと生クリーム、少しのリキュールと香辛料がはいった、マタドール・カフェの特製ショコラである。

ルナがオススメしたので、エーリヒも同じものを。セルゲイは、甘くないカフェ・ラテである。

エーリヒは、とてつもなく甘いショコラを満足げにすすり、

「この冬は、こいつだな」

と、冬季間お世話になる飲み物をさだめた。

 

「そういえば」

エーリヒは言った。

「任務とはいえ、アズラエルのご両親がE353に到着するのだ。ルナもあいさつに行くのだろう?」

ルナは「もふっ!」とへんな声を出して噎せた。

「……そうなのです」

ルナは、微妙に緊張していた。アズラエルは、「俺の親はだいじょうぶだ。問題は、どう考えてもおまえの親だろ」と、自分のほうに関してはなんの心配もしていないようだったが、ルナは心配しないわけにはいかなかった。

 

(いよいよ――アズのご両親にごあいさつです!)

ルナが、もふ、とショコラのカップに口をつけたまま停止したところで、店内の音楽が、切り替わった。

いつもは、店で流れている曲の変わり目など気にしていないが、流れはじめた曲がルナの知っている曲だったので、うさ耳が立ったのだ。

 

「あれ? これ、アイアン・ハート?」

昔、L系惑星群全土で流行った歌。ヒットチャートの一位を何ヶ月も独占し、いたるところでこの曲はかかっていた。

曲調も歌詞も単純な恋の歌だが、ルナも口ずさめるほど、メジャーな曲だった。

 

“あなたの鉄の心臓をとろかすのは、わたしだけ”

 

ルナのうさ耳が立ったのは、歌手の声が、聞き覚えのない声だったからだ。

「ミンシィじゃないよ? なんか、声が違う?」

声も違えば、曲調も違っていた。ルナが知っているのは、ミンシィという歌手が歌ったリズム&ブルースと呼ばれる曲のジャンルで、いま流れているのは、シャンソンに近かった。

声も、ミンシィの、透明で清涼感のある声より、ぐっと低音で、色っぽい。

ふだんマタドール・カフェで流れている、ボサノヴァやジャズにまじって流れていても、あまり違和感のない曲調だ。

 

「だれか、カバーしたのかな」

「アイアン・ハート」をカバーしている歌手は山ほどいる。ミンシィは音楽番組にもネットにも姿が出ないので、バーチャル・アイドルというウワサだった。現に、「アイアン・ハート」一曲きりで、そのあとはなにも出さず、姿を消してしまった。

 

「これは元祖だよ、ルナ。アンの声だ」

「え?」

「あ、そっか、ルナちゃんは、アンを知らないんだ」

「セルゲイ、君がアンを知っていることのほうが、わたしは驚きなのだが」

「わたしは、一応、青春時代を軍事惑星群で過ごしているんだけど……」

「だって、アンは君の時代にはもういないだろう」

「君だってそうだろ? 軍事惑星群で生活していて、アンを知らないっていうのは、かなりのモグリなんじゃないかな……昔のひとではあったけど、わたしの同級生にも、ファンはたくさんいたよ」

「そうかね」

 

ふたりの話によると、軍事惑星群でアンを知らない奴はよほどのモグリで、逆に軍事惑星群以外のひとでアンを知っているのは、よほどシャンソンやジャズ好きの人間でなければいないだろうという話だった。

 

アン・D・リュー。

本名は、アンドレア・F・ボートン。

傭兵出身の歌手で、軍事惑星群では大人気の有名人だった。

「アイアン・ハート」はもともと彼女の曲で、彼女自身が作詞作曲したもの。最初にカバーしたのがミンシィで、彼女がカバーしたことによって爆発的ヒットとなり、軍事惑星群の外にも、曲が知れ渡った。

おかげでほかの星では、ミンシィの曲だと思われている。

 

「アン・D・リュー……」

ルナが名前を復唱した。

「さいきんのひと?」

「いや、ずっと昔だ。もし彼女が生きていたら――?」

セルゲイがすこし考えるような顔をし、エーリヒが、

「おそらく七十代にはなっているだろう」

と言った。

(生きていたらってことは、もう亡くなっているのかな?)

 

「軍事惑星群では、ミンシィよりアンのほうが有名だよ」

デレクがいそいそと便乗してきた。そういえば、デレクも軍事惑星群出身なのだった。

 「このアルバムは、“バラ色の蝶々”かね」

 曲はアイアン・ハートから、次の曲に変わっていた。

 「そう! なんなら、貸してあげようか」

 デレクが奥に引っ込み、店内を流れるアンの声が止んで、すぐにクラシックがかかりはじめた。デレクは、一枚のCDを持ってテーブルにやってきた。

 ルナが受け取った、古びたアルバムのジャケットは、バラに囲まれた、美しい女性のアップ写真だった。

 「このひと綺麗!!」

 ルナは叫んだ。

 「アンは、キレイだよ。ホント」

 デレクがうっとりと言った。

 ふんわり丸顔を覆うプラチナブロンドに、薄紅色の唇、子犬のような瞳で、口元のちいさなほくろが色っぽい。可愛さと色気のなかに、意志の強さをうかがわせるものがあった。

 甘めの顔を引き締めている、キリリとした眉だ。

 



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