「ルナあ、ドーナツ食いたい。つくって」 「うん」 ルナがめずらしく、失敗なしでつくることができるおやつ。このあいだつくったドーナツはなかなか好評で、揚げるそばから子どもたちとミシェルに食べられてしまって、跡形もなかった。 まるで、さっき読んだアンのエピソードといっしょだ。 「やった! ルナちゃん、ドーナツつくるの。じゃあ、並ぼう」 先日ドーナツにありつけなかったレオナが、すでにキッチンに自分の席を用意していた。 「今日は、できるだけいっぱい作りますよ!」 ルナが宣言してエプロンをつけはじめたところで、アズラエルが呼びに来た。 「ルゥ」 ルナはぴょこたんと振り向いた。 「クローゼットのなか、光ってるぞ」 アズラエルはうんざり顔で言った。ルナは小麦粉と卵を放り投げて、自室に走った。 「ルナーっ! ドーナツが先〜!!」 「ZOOカードが先です!!」 おなかすいたよー! と叫ぶミシェルの地団太をよそに、ルナは階段をいっしょうけんめい駆け上がった。 途中でアズラエルに捕獲され、自分で走るよりはやく自室にたどりついたうさぎは、ぺっと放り出されてから、猛然とクローゼットを開けた。 「?」 「……ン?」 アズラエルも首をかしげてのぞき込んだ。ZOOカードから、音楽が流れているのだ。 ――この曲は、まぎれもなく、「バラ色の蝶々」だ。 「!?」 ルナはぺぺっと自室のドアを開け、階段のはじまで行って、大広間を見下ろした。だが、音楽はかかっていない。それもそうだ。レオナが部屋でゆっくり聞きたいというので、さっきCDラジカセから出した。 ルナはぴこぴこと走ってもどり、ZOOカードの箱をクローゼットから取り出した。銀色に光る箱からは、たしかに、さっきまで聞いていた「バラ色の蝶々」のメロディが。 ルナがおそるおそる箱を開けると、キラキラと、たくさんの蝶々が、星とともに飛び出してきた。音楽はますます音量が大きくなり、ジャータカの黒ウサギと、導きの子ウサギが、ダンスしながら現れたではないか。 「ふわ!?」 ルナが呆然と眺めていると、二羽のウサギは、声をそろえて歌い始めた。バラ色の蝶々のメロディに合わせるように。 “忘れないで。忘れないでルナ。あなたが持っているチケットは、とても大切なものよ。” “三枚のチケット。だいじなチケット。一枚は、「傭兵のおおきなクマ」に。” 「ようへいの……おおきなくま?」 ルナが首をかしげたところで、クラウドが背後にいたのでルナは飛び上がるところだった。 「メモはいらないよ、ルナちゃん。俺がいるから」 “一枚は、「誇り高き母ライオン」と、「お茶目なペンギン」さんに。” “最後の一枚は、「月夜のウサギ」と「バラ色の蝶々」に。” 「つきよのうさぎ!!」 ルナは叫び、「ルナちゃん黙って」「黙れ、ルゥ」と両方から怒られた。ルナはふて腐れた。 “忘れないで、忘れないで。チケットをだれにもあげちゃダメ。たいせつなチケット。たいせつな五人のためにあるの。三人が乗ってもどうかひと席あけておいて” “可愛い子ワニが蝶々を待っている。” “可愛い子ワニが蝶々を待っている。” 最後のフレーズはリピートされた。二羽のウサギは、歌に合わせて踊りながら、消えていく。うさぎが消えるのと同時に、音楽も止んだ。銀色の光も、吸い込まれるように消えた。 「アズ! つきよのうさぎって――」 「あいかわらず、おまえのアタマの中身みてえな奴らだな」 「なんだと!!」 ルナは叫んで、アズラエルをぺけぺけした。アズラエルは暴言の罰として、いちばん焦げたドーナツを寄越された。 いったい、クラウドはどこから現れたかしらないが、屋敷内にいたらしい。 猫舌のくせに揚げたてのドーナツが好きな子ネコは、やはり子どもといっしょにルナの周りに張り付いていた。今回は、ルナが宣言したとおり余分に生地をつくったので、おとなたちの口にも無事入った。 「揚げたておいし〜い!」 「ルナ、もういっこ!」 「あたしも!」 「じゅんばんね、じゅんばん!」 黙っていれば、揚げたそばから食べてしまうので、ルナはいっしょうけんめい大人の分を確保した。 猫舌ライオンのクラウドは、ドーナツが適温にさめるまで待つことを余儀なくされたが、おなじライオンのアズラエルは、ネコの舌をどこかに置いてきたヤツなので、焦げたドーナツを平らげたあとは、クラウドの分をちょろまかしていた。 エーリヒは、揚げたてのドーナツははじめてのようで、まるでタカのクチバシのように、ツンツンとフォークでつつきまわし――やがて、ナイフまでつかって優雅に食べはじめた。 クラウドは、ドーナツが冷めるのを待ちながら、思案していた。もちろん、さっきのZOOカードのことだ。 (チケット――宇宙船のチケットのことか?) これから宇宙船に乗る人間のことを示唆しているのか。 「傭兵の大きなクマ」はおそらくアズラエルの父、アダム。これはZOO・コンペティションのとき、名前が出た。 (アダムさんにチケットが――) だが、不思議なのは、チケットは「五人のためにある」というところだ。 チケットは、ペアである。つまり、六人乗れる状態なのに、必要としているのは「五人」。そして、「三人が乗っても、どうかひと席あけておいて」。 傭兵の大きなクマ――つまり、アダムに「一枚」。 ほかの二枚はペアで名前が出ているが、アダムの分だけは、「一枚」。 (いったい、どういう意味だ?) そして、「月夜のうさぎ」は、もちろん、アズラエルの祖母で、ルナの近所に住んでいたツキヨだ。 (ツキヨさんに、チケットを?) だが、ツキヨにチケットが贈呈されたとしても、80歳近い老女が、L77から宇宙船が停泊している星までくるには、相当の日数がかかる。とてもではないが、四ヶ月以内に来ることは無理だろう。来年の三月には、今期の宇宙船は締め切りになる。四月一日以降は、あらたな船客の受け入れはない。――間に合わないのではないか。 クラウドは首をかしげた。 そして、不明なのは、「誇り高き母ライオン」と「お茶目なペンギン」。 なんとなく想像できるが――ライオンのほうは――それよりも、クラウドがもっとも気になったのは。 (バラ色の蝶々) 大広間で流されていた曲は、クラウドも聞いていた。彼は、バンクスの本を開き、アンドレアの章をななめ読みしながら、コーヒーを際限なくかき回した。 (まさか――アンドレアは、生きているのか?) いつのまにかグレンも帰ってきていて、セルゲイから分け前をもらっていた。クラウドの皿に、ドーナツはもはやなかった。ミシェルとアズラエルが、すっかり片づけていた。 「ただいま〜、いい匂いだな。――お!? ドーナツか!?」 バーガスが大喜びで、ルナに揚げたてをもらい――それが、最後の一個だった。 クラウドがはっと気づいたときには、ドーナツの配布は終了していた。 「俺のドーナツは!?」 皿に、冷ましておいたはずのドーナツがない。 ――クラウドのテンションは、夕食まで、上がることはなかった。 |