「もしかして――イマリ、ベンさんと出会っちゃったのかも」 ルナの台詞は、大広間の皆に、さざなみ程度の、ちいさな波紋を起こした。 「え?」 「なんだと?」 「ほんとに?」 「ほんとかね――報告は受けていないが」 ――ルナの予想は、当たっていたのである。 ベンとイマリは、ついに邂逅を果たしてしまった。 一ヶ月ほどまえ――ちょうど、「地獄の審判」が終わったか、終わらないかのころ。 ベンは、一回目の調査を終えて、地球行き宇宙船に帰還したところだった。 宇宙船のゲートに入り、長い回廊を歩いて、ゲート出口の受付でパスカードを見せ、星空がまたたくK15区の街中へ出た。 ベンは、腕時計を船内の時刻にもどしていないのに気付いて、軍人らしい律義さで、すぐ船内の時刻に合わせた。 船内の時刻は深夜二時。すぐエーリヒに報告しなければという、かつての習性どおりに行動しかけた彼は、ここが心理作戦部ではなく地球行き宇宙船だということに気付いた。 この時間帯、エーリヒは起きているかもしれないが、同居人には非常識な時間帯だろう。ベンは、常識人だった。エーリヒとクラウドにくらべたら、ずいぶんと。 「報告は明日にして、ラーメンでも食って帰るか……」 残業上がりのサラリーマンのような台詞を吐いて、ネクタイを緩めたスーツ姿のベンは、タクシーには乗らず、深夜でもこうこうと明るい街中に繰り出した。 バーや居酒屋にまじって、ラーメン店もある。すこし小路をのぞけば、風俗店とラブホテルの乱立。 「……」 ベンは、すこし――ほんのすこし、気を引かれたが、苦笑いしてあきらめた。場末の風俗店にはいるなど、貴族軍人のプライドがゆるさない。 (歓楽星出身の、高級娼婦でも買ったほうがましだな) それらを置く風俗店があるならの話だが。とにかく、先に腹ごなしだ。なるべくキレイな店構えを選んではいる。一杯のラーメンを注文して、きちんと「いただきます」と言って啜り、五分もせず食べ終えた。 「ありがとうございました!」 威勢のいい店員の声をうしろに、店をあとにして、ずいぶんさっぱりした味だったなと、物足りなさを感じる。ベンは少なくとも腹は丈夫で、なにを食っても胃もたれひとつ起こさない。深夜にどんな脂っこいものを食おうが、すぐに消化した。多少汚くても、はすむかいのこってり系ラーメンにすればよかった。 「酒……」 飲んで帰るか、ウィスキーの瓶でも買って寝酒にするか。 バーを物色していたベンの視界に、あまりよくない光景が飛び込んできた。 ラブホテルの乱立する小路で、だれかが女の子をホテルに引っ張り込もうとしている。赤いワンピースを着た、ずいぶん細い子だ。 ベンは、無視して通りすぎようとした。ひとがいないわけではないので、だれかが助けるだろう。任務で宇宙船にいる以上、めんどうごとに巻き込まれるわけにはいかなかった。ただでさえ、この宇宙船はもめ事に神経質で、たとえ巻き込まれた形でも、そろって降ろされる、という話をクラウドからも聞いていた。 ベンは無視した――だが、彼のトラウマのひとつである、かつて学生時代に傭兵の女の子を助けずに見放してしまった過去が、脳裏によみがえった。 ベンの足は止まった。 あれは、おそらく金を部屋の前のカプセルに突っ込んで入るタイプのホテルで、管理人がいない。だとしたら、そのあたりの店に、女の子が困っていると、言いにいけばいい。自分が行くことはない。ただの痴話げんかだったら? 自分がバカを見るだけだ。 だが、ベンの足は、勝手に小路に向かっていた。 「失礼ですが」 ベンは、宇宙船の乗客パスカードを広げながら、近づいた。 「その女性は、嫌がっているように見受けられますが――」 女の子をホテルに引っ張り込もうとしていた男は、またたく間に逃げ出した。 ベンは眉を上げた。乗客カードを警察手帳かなにかと勘違いしたらしい。ベンとしては、警察手帳かどうか、相手が確認しているあいだに気絶させようと思っていたのだが。ベンが暴力を振るうまえに消えてしまった。 ベンとしては、幸いだ。 「だいじょうぶ?」 赤いワンピースの女の子は、可憐でか細くて、ちいさかった。こんなに可愛い子が、ひとりでこんなところをうろつくなんて。 「すみません――あ、ありがとうございます」 ――ベンはひとめで、恋に落ちた。 彼女も一緒だと、信じたかった。なぜなら、彼女も、ベンを見たとたんに顔を赤らめたからだ。 「あの――今、あたし、そこであのへんな奴にナンパされて――無理やり、」 彼女があわてて説明しようとするのを、ベンは上の空で聞いていた。 そして、はっと気づいた。 (この子、俺を怖がってない……?) 「い、いや、お、俺は、」 ベンは、急にしどろもどろになった。 「君――俺のこと、怖くないの?」 「え?」 女の子は信じられないというように、切れ長の目を見開いた。 「怖い? た、助けてくれたじゃないですか……!」 「……!?」 ベンは、にわかに信じられなかった。これは、なんのご褒美なのだろう。これ以上ないくらいタイプの、かわいい女の子が、自分を怖くないと言ってくれている。 ベンは、自分が、さきほどこの女の子を襲っていた男と同じことをするとは、信じられなかった。下手をすれば、ベンが降船の憂き目に遭って、任務どころではなくなるはずだった。 「――きゃ!」 「だまって」 両側からつつんだら、左右の指先がくっついてしまうほどの細腰を抱き寄せると、可愛い女の子の口から、かわいい悲鳴が漏れた。可愛い子は悲鳴まで可愛いんだなあと思いながらベンは、キスで彼女を黙らせた。細い、カモシカのような足が震えて崩れるのをベンは見た。 (カモシカというより――ウサギちゃんだけど) ベンは舌なめずりをし、ブリーフケースより軽そうな彼女を抱え上げて、ホテルのエレベータにはいった。彼女は、抵抗しなかった。 ――ベンの思い込みかもしれないが。 |