(やってしまった)

 やり切ってから我に返るのは、男の悪い癖である。安っぽいカーテンのすきまからこぼれる朝日を背に、ベンはベッドに座ったまま頭を抱えていたが、後悔しているのは、彼女に手を出したことではない。いや、直接的にはそうだが、本気でつきあいたいと考えた子に、欲望のままやりとげてしまったことを後悔しているのだった。

 (もうすこし――互いを知り合ってからでも。すくなくとも、二、三回、デートしてから)

 二、三回デートする前に、デート以上の回数をやりとげてしまったベンである。言い訳にもならない。

 (でも)

 ベンはこっそり、裸でシーツにくるまる女の子を見た。

 (い、嫌がって、なかったよ、な――)

 彼女は、白い頬を火照らせて、放心状態だった。それがベンには、無理強いされた結果に見えた。――だが彼女は、もうこれ以上はないほどの、幸福のなかにいたのだ。

 

 彼女がゆっくり身を起こすと、ベンはあわてて向き直った。なんとかして、誠実な自分のイメージを取り戻さなければならない。

 「その――俺は、」

 「あの、あたしのことは、遊びですか……?」

 

 女の子は――イマリは、泣きそうな顔で聞いた。ほんとうに彼女は泣きそうだった。

ずっと、さんざんな目に遭って、ついに昨夜、へんな男にこのホテルに連れ込まれそうになったときは、もう本気で、この宇宙船に別れを告げる決意をした。だが、すぐに、この素敵な人が助けてくれた。

 最近は、踏んだり蹴ったりだった。だから、もういっそ、遊びでもいいと思ったのだ。遊びでも、すこしでもながく、この素敵な人と一緒にいたいとイマリは思った。

 

 「ま、待ってくれ。俺は、君を遊びで抱いたんじゃない」

 「だって、名前も聞いてくれなかったわ……」

 ベンは仰天した。動揺のあまり、たしかに、自己紹介すらまだだった。なにせ、人生史上、はじめて自分を怖がらなかった“可愛い”女の子である。(軍事惑星群の怪物のような女性陣は抜かして。)

 

 「すまない――俺は、ベン・J・モーリス。軍事惑星群の出身だ」

 「ぐ……軍人さん!?」

 今度はイマリが仰天した。

 「あ、あたしは、イマリ。イマリ・B・アディントン……L67出身です」

 はにかむイマリに、(かわいいいいいいい!!!!!)とベンが涼しい顔の下でのたうっていたのを、イマリは知る由もない。

 

 イマリは夢でも見ているような気がした。

 昨夜、K15区のレストランでと、食事に誘ってくれた男は、食べてから金がないと言いだした。タヌキのような顔をした、K08区の富裕層の地区に豪邸を持っている貴族の男だ。彼はカードも所持していなかった。イマリは、しかたなく、目が飛び出る金額を自分の財布から支払った。11月がはじまったばかりなのに、もう今月は、水だけ飲んで生活するしかない。

 レストランを出てから、泣きながらその男を平手打ちし、追いすがるそいつを蹴飛ばして、イマリは逃げた。

さんざんだ。ほんとうに、さんざんだった。あの男が、自分のうちだといって見せてくれた豪邸は、あれはなんだったのか。どうして自分は、いつも詐欺まがいの男に引っかかるのか。

泣きながらタクシーを探していたら、居酒屋街で、酔っぱらいにナンパされたのだ。無理にイマリをホテルに引きずっていこうとする若い男。

 今度こそ、こんな宇宙船なんか降りてやると決意したイマリの目の前に現れた、王子様。

 もとめつづけた軍人の――しかも、超絶にかっこいい――スーツ姿が似合って、優しいけれど――すこし強引な。

 

 イマリはうっとりとベンを見つめた。

K15区の、繁華街からすこし離れたオシャレなカフェで、おそめの朝食をとる。これも、イマリの理想どおりだった。ハンバーガーショップや、コーヒースタンドばかりだった、最初に付き合った軍人志望の男ともちがう――ベンの、上品で、優雅な所作。

 自分を貴族だと言った、昨夜のタヌキ顔より、よほど貴族に見えた。ベンは確かに貴族だった。それを知ったイマリは、ますます感激した。

 義兄が、この世界でいちばん素敵な男性だと思っていたけれど、イマリのそれは、塗り替えられた。義兄よりもっと、もっと素敵だ。

 その、最高の男性が、イマリに夢中なのだ。

 

 「俺は、遊びなんかじゃない」

 ベンは真剣に言った。

 「君と、交際したいと思っている。本気で」

 告白の仕方は生真面目すぎて色気に欠けたが、誠実さはつたわる。今までの男とは、雲泥の差だった。

 ベンはイマリから、金をもぎ取ろうとはしなかったし、それどころか、イマリの借金まで返してやると言った。いきなり銀行に連れてこられ、札束を、こづかいでもわたすように手のひらに乗せられたときは、イマリは絶句し――さすがに遠慮したが、

 「足りない? いくらでもあげるよ」

 と微笑まれて、逆に怖くなるほどだった。

 ベンは、その日のうちにイマリと自分のために指輪を買い、「マリィ」という愛称さえつけた。

 イマリがルナと親しかったなら、L18男性のゲロ甘ぶりを知っていただろうが、イマリはもちろん、それを知らなかった。

 

 イマリは、夢でも見ているような気がした。この一日は夢で、もしかしたら覚めてしまうのかもしれない。覚めなければいいのに。

 そう思っていたら、その夢から、むりやり起こされるような事実を聞いた。

 

 「――クラウドって――ミシェルの、カレシの?」

 「ああ。俺のもと上司だけど」

 「……」

 「どうかした?」

 

 イマリは、急激に足先まで冷え切ったように、顔いろを落とした。

ベンもまた、ルナたちの知り合い。

イマリは、ベンのような出会い方をしたヤンという男が、ルナたちの仲間で、あのバーベキュー・パーティーにいて、イマリだとわかった途端にきつい言葉を投げつけられたのを思い出して、泣きそうになった。

 振られるなら、いっそ、今のほうがいい。

 ベンが彼らからイマリの名を聞いて、興ざめされるよりは――。

 それから、つめたい言葉を投げつけられるよりは。

 イマリは話した。バーベキュー・パーティーでしでかしてしまったことを。

短かったが、それなりに正直に。あれは、ルナに対する嫉妬の思いから、しでかしてしまったこと。悪乗りだったこと。――それから、逆恨みをして、アズラエルたちを陥れようとしたこと。

 どうせ、だまっていても、ルナたちのほうから耳に入るだろう。

 だからイマリは、ぜんぶ話した。

 

 だがベンは、思いもかけず、苦笑した。

 「そう」

 彼はその事実を知っても、イマリを責めることはなかった。イマリのほうがおどろいた。

 「あたしのこと、イヤな子だって、思わないの」

 「ン? ン――」

 ベンは、イマリとの恋人つなぎを、解かなかった。

 「それを言うなら、俺だって、さんざん、ひととは言えないようなことをしてきたしなァ……」

 ベンの本音としては、イマリがしてきたことになど興味はなかった。すくなくとも、ルナたちと仲が良くないことはわかったが、もともと自分も、任務上でも、気味悪がられる点でも、ルナたちには関われないし、もしイマリが任務の邪魔をしそうになったら、自分が止めるだけのことで、さして問題はなかった。

 

 「それより、俺がしてきたことをマリィが知ったら、嫌われそうだな」

 ベンは、二度と軍事惑星群にもどるつもりはない。イマリと二人――いや、三人でも四人でも、家族をつくって、L7系あたりで暮らしたい。

 すっかりベンの脳内も、バラ色だった。

 「――あたし、ベンが、どんなひとだったって、嫌わないわ!」

 「ほんとに?」

 イマリはベンからの甘いキスを受けながら、幸せの絶頂にいた。

 

 

 

「――え? “心理作戦部”?」

義兄が電話の向こうで、首を傾げているのが丸わかりだった。

「……知らないなあ。聞いたことがない。でも、軍の部署って、それこそ星の数ほどあるからね。本当に彼はL18の人間だって?」

「う――うん」

「イマリちゃんが何も知らないからって、てきとうなことを言うやつもいるからね。騙されちゃダメだよ」

 「うん……」

 「ほんとうに、彼はだいじょうぶなの? 職業なんて、いくらでも詐称できるから。このあいだはお金をだまし取られたって言ってたじゃないか」

 イマリは泣きそうになった。本気で心配してくれるのは、義兄だけだ。ご立派なお姉さまのご忠告は、いつも教訓じみていて、イマリは聞きたくない。

 「でも、彼は立派なひとよ? あたしの借金も、ぜんぶ返してくれたの」

 「今度、俺に会わせてよ。俺がちゃんと、見てあげるから」

 「うん、わかった」

 イマリはうなずいて、電話を切った。

 ベンは、心理作戦部に在籍していたと言った。イマリには意味がわからなかったが、その部署は最後の任務が終わったらやめるのだと、彼はずいぶんしつこく主張していた。

 

 (いいの。だまされても)

 イマリはうっとりと、指輪に頬ずりした。

 ベンがどんな人でも構わない。心理作戦部なんて、そんなのはどうでもいい。

 彼は、イマリの運命の相手だ。

 

 任務があるから、しばらくはいっしょには住めないと言われた。それは、ロビンのときと一緒だ。もしかしたら彼のように、いつのまにかほかの女の影が出てくるかもしれない。

 (でも)

 ベンは、ロビンとは違う。てきとうな言葉でごまかして、イマリだけプレゼントをくれないということはない。

デートはいつもふたりだけだし、飲みに行っても食事に行っても、いつもイマリを気遣ってくれる。椅子を引き、座らせ、髪型や服を褒めてくれる。

プレゼントも何度されたか分からない。欲しかったブランドのバッグや、アクセサリー、服――かつてロビンが、ほかの女にプレゼントするのを、涙をこらえながら見ていたものが、自分にプレゼントされる。綺麗な包装紙に包まれたそれが。

いつも甘い言葉をささやいてくれるし、ベッドでも、最初の日がウソのように紳士だ。イマリを大切にしてくれるのは分かるが、もっと求められてもいいというのが本音だった。

まるで、お姫様あつかいだ。

 

 (こんなに大切にされるなら、だまされたって、いいの)

 

 真っ赤な子ウサギは、すっかり青大将に丸のみにされたまま、腹の中でしあわせな夢に浸っていた。

 

 



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