百五十五話 E353



 

 「まさか、君とイマリがね……」

 クラウドの濁し方に、ベンは眉をしかめた。でも、口元は緩んでいる。

 「だったら、どうだっていうんです?」

 「べつに、かまわないよ。君が誰と付き合おうと――だけど、わかってるよな?」

 「それは、あなたに言われずとも」

 任務のジャマを、させるつもりはありません。

 ベンは断固として言った。彼がそういうのだから、そうなのだろう。ベンは、そういったからにはイマリを見張るだろうし、恋人ができたからと言って、仕事を放り投げることはすまい。

 その点は、エーリヒもクラウドも、ベンの律義さをみとめていた。そして、文句を言いつつも、このニヤケ面。

 

 「でも君、任務の報告のときには言わなかったね」

 イマリが「ふつうの子」ならば、ここまでエーリヒも突っ込まない。ベンが誰と付き合おうがどうでもいい。だが、イマリは少なくともルナたちに敵意があり、利用された部分もあるが、アズラエルを宇宙船から降ろそうとたくらみ、実行に移した。

 そのとばっちりとはいえ、グレンも降ろされるところだった。グレンは、L18に帰されたら命はない。大げさな言い方をすれば、知らないとはいえ、イマリたちは、間接的にグレンの命を奪おうとしたわけだ。

 イマリにとっては、ルナに嫉妬していやがらせをする程度のことであっても、これから先々の任務に支障をきたすとなれば、注意しなければならない。

 

 「報告しなかったのは、わざとじゃありません。あれは、つきあいはじめでしたから……」

 長続きするとは思っていなかったとベンは言った。いつ、気味悪がられて、避けられるかわからない。つきあいはじめはあんまりうれしくて、いろいろしてあげたが、今は落ち着いている、とベンは、まったく浮かれ塩梅をかくさない顔で言った。

 

 (どこが、落ち着いてるんだ)

 クラウドもエーリヒも思ったが、ベンが、イマリの起こしてきた数々の事件を承知で――イマリの危険性をわきまえてつきあうと決断したなら、よしとしよう。

浮かれすぎていたなら、釘の百本も刺そうと上司二人は思っていたのだが、仕事のことを忘れているわけではなさそうだったので、舌鋒の裏に隠した釘をひっこめた。

 

 クラウドとエーリヒ、ベンは、K07区の端にある、さっぱり人が入っていないドライブインにいた。仕事の話し合いには、二度と同じ店をつかわない。それは暗黙の了解だった。

 最先端が集う宇宙船の中で、妙に寂れた、ひと昔前といった仕様の店構え。給油スタンド、コンビニエンスストアといっしょになったつくりの、カフェとも言えない廃墟にちかい。

パイプ椅子と汚れたテーブル、ほこりくさい床――ひと気のないのをみとめて、クラウドが選んだ会合場所だったが、これから山道に入ろうとする入り口にある店は、密談でもなければ足を踏み入れないような場所だった。

 K34区あたりでバーでも開いていそうな――オルティスの親戚だと言ってもさしつかえないような、入れ墨だらけで、真っ赤な髪と顔じゅうピアスだらけの若者に、かぐわしきコーヒーとビスコッティののった、給食トレイを出されたときは、この店が存在を許されている理由が、クラウドたちにも分かった。

 コーヒーに口をつけ、さらに三人は、これだけのコーヒーを出す店が、どうしてこんなにホコリくさく寂れているのか、疑問に思った。

 クラウド以外は貴族軍人である。こういった最高のコーヒーは、レストランかホテルのラウンジで飲むにかぎる。すくなくとも、パイプ椅子に座って、業務用テーブルで味わうものではない。

 二人にくらべたら、まだ庶民的なクラウドは、こういったこだわりの錆びた店が実在することも知っていたので、美味しくいただいただけだった。

 思いもかけない極上コーヒーの味を、しばらく無言で味わった三人だったが、やがてベンがカップを置いて、持参のブリーフケースから書類を取り出した。

 

 「先日電話で話した件を、まとめました」

 「ご苦労」

 ふたりは、上司と部下の顔にもどった。

 「先日の報告通り、“U”はE353をはじめ、周辺の惑星では確認されません。もういちど、E353に向かって、来年まで調査してみるつもりです」

 “U”とは、アンダー・カバーのことである。ベンは、クリスマスも新年も、イマリと過ごすことを返上して調査に当たる姿勢を見せた。

 

 「やめておきたまえ」

 しかし、エーリヒは嘆息した。

 「おそらく徒労だ。Uはもう、E353にはいない」

 「……エーリヒの言うとおりだな。すでに、アストロスに発ったか」

 クラウドも、報告書に目を通しながら言った。クラウドの探査機でいないとわかったなら、ほぼ100%いないだろう。

 

 「では、アストロスまで追いますか」

 「……」

 エーリヒは、しばらく思考の様子を見せた。

 「いまアストロスまで行って、Uを見つけて張ったとしても、おそらく逃げられる。Uは傭兵グループの中でも、形態はヤマトにちかく、隠密行動を得意とする。早々に見破られる危険性がある。見張りの期間が長ければ長いほど、こちらが不利だ。――だとすれば」

 エーリヒは、地球行き宇宙船がアストロスにつく時期を、携帯で確認した。

 「君、一度アストロスに行き、現地でUの所在を確認したのち、いったんもどりたまえ。アジトを探るまではしなくてよろしい。クラウドの探査機で、彼らがアストロスにいるということだけ確認できればいい。そして、地球行き宇宙船がアストロスにつく二ヶ月まえには、アストロスにいて、Uを見張る任務に就く。地球行き宇宙船がアストロスを出航し、なにごともなく二ヶ月が過ぎたら、君の任務は終了としよう。――どうだね?」

 「承知しました」

 ベンはうなずいた。

 「Uの存在が、アストロスで確認できなかった場合は?」

 「そのときは、作戦変更だ。定期連絡は、忘れないようにしたまえ。――それから」

 エーリヒは、寛大さを見せた。

 「クリスマス休暇をやろう。新年を恋人と迎える時間も。新年を三日過ぎたら、発ちたまえ。いいね?」

 「……!」

 いつもエーリヒとクラウドにこきつかわれているベンからしたら、裏を疑うほどの厚意だった。

 「あ、ありがとうございます……」

 彼は驚きを隠せない顔だったが、あまりふたりのまえでは見せない笑顔を見せ、席を立った。

 

 ベンがタクシーに乗って去っていくのを見届けたあと、クラウドは苦笑した。

 「心理作戦部にしちゃ、破格のサービス休暇だな」

 「たしかに。クリスマス休暇なんて言葉をつかったのは、いつぶりだろうね」

 「子どものころはあっただろ」

 「そうかもしれん。わたしの家では、一年に一度、ターキーとケーキがテーブルに並ぶ日があった」

 「それだよ、エーリヒ」

 心理作戦部は年中無休だ。クリスマス休暇も年末年始も、基本的にない。

 「どちらにしろ、アストロス到着が来年末だとすれば、余裕はある」

 「俺に、クリスマス休暇は?」

 「勝手に取りたまえ」

 どっちにしろ、エーリヒもジュリと、クラウドもミシェルと過ごすことになっている。

 「今年は、ルナちゃんたちも、たぶん、アズラエルの両親と過ごすんだろうし」

 クリスマスは、盛大なホーム・パーティーには、なりそうもない。

 

 



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