その夜のことだ。 夕食どきから、ピエトの様子がおかしかったのは、ルナもアズラエルも気付いていた。ピエトがいつものように「おやすみなさい」と言って自室に向かおうとするのをルナは止めた。 「ピエト、今日は一緒に寝よ?」 その言葉を待っていたのかもしれない。ピエトはちいさくうなずくと、ルナに手を引かれて、ルナの部屋に向かった。 アズラエルはベッドでタブレットを手にしていたが、ピエトが入ってきたのを認めると、棚に置いた。そして、ベッドに乗り上げたピエトをひょいと抱きかかえると、膝の上に乗せた。 「23日は、おまえもいっしょに行くんだ」 ピエトは驚き、しかし、すぐにしずんだ顔をした。 「おまえがゴチャゴチャ考えてることは、いまのうちに言っとけ」 アズラエルがピエトの小さな頭を撫でて、ほっぺたをつまんだ。ルナも毛布にはいり、じっとピエトを見つめている。 「……ルナの父ちゃんと母ちゃんが、アズラエルと結婚するのをダメだって言ったら、俺たちは、もういっしょに暮らせないの?」 ピエトが呟いたことは、ルナとアズラエルの予想どおりだった。ふたりは顔を見合わせ、ルナは、用意していた言葉を告げた。 「ピエト、あのね」 ルナの口調は、いつもの百倍は落ち着いた口調だった。 「たぶんね、あたしのパパとママは、反対はしないと思う」 「え?」 「今朝のママのメール見て、あたし、そう思ったの」 ルナは、パソコンメールを、ピエトにも見せてあげた。ツキヨとルナの両親が、E353のスペース・ステーションで撮った写真――三人の顔はおだやかだった。娘の結婚の反対をしに来た顔ではなかった。 「もし、あたしとアズの結婚を反対する気なら、とっくに電話が来てると思う。わざわざ、お金かけてこんなところまで来ないと思うの」 E353に来るのって、ものすごく旅費がかかるのよ、とルナはピエトに説明した。L77からは、かんたんに来れる場所ではないこと。おそらく両親は、仕事もやめなければならなかっただろうし、貯金を切り崩して、ここまで来ただろうことを。 「おまえを連れもどしに来たんだったら?」 アズラエルが眉をあげると、ピエトの顔色がふたたびしずむ。ルナは「アズ!」と叱った。 「冗談だ。――だが、ルナの言うことにも一理ある。一理あるが、正解とは言えねえ。ドローレスさんの心中は複雑だろうさ」 アズラエルは肩をすくめた。男親の心中はわからないが、ルナよりは分かる気がした。 「ドローレスさんが心配してるのは、俺がルナを軍事惑星に連れて行くかいかねえか、そこがいちばん大きいと思うんだ」 「……ルナが、傭兵の奥さんになっちゃダメだってことだよな?」 ピエトはかしこい。夕食のときに、ルナとアズラエルの複雑な縁の話を聞いて、要点は理解している。 アズラエルはうなずいた。 「ああ、そうだ」 ルナの両親は、軍事惑星で、ルナの兄にあたるひとり息子を亡くしている。そのため、ルナはぜったいに軍事惑星には関わらせないという気持ちで、育ててきた。 だから、どんなことがあっても軍事惑星群に行かせる気はない――まして、傭兵の妻になんて、とんでもないことだ。 「そのことなんだがな、ピエト」 アズラエルは、はっきりと言った。 「俺は、ルナを軍事惑星に連れて行く気はねえ」 「えっ?」 聞き返したのはピエトだった。 「いつか、俺の生まれた場所を見せたい気持ちはある。俺の育ってきた場所もな――だが、それは永住じゃねえ。ピエト、俺は地球に行ったあとは傭兵をやめて、この宇宙船の役員になる」 「ええっ!?」 ピエトは、ついに大声を上げた。 「マジだ。ルナと結婚するためには、それしか方法がねえ。だから、俺は傭兵をやめる。おまえを俺の傭兵グループに入れてやることはできねえが、おまえを立派な傭兵に育ててもらう先はいくらでもある」 「……」 ピエトは、聞き始めこそ目を丸くしていたが、やがて、困り顔でうつむいた。 それもそうだ。いままで心配していたことがひっくり返ってしまったのだから。 ピエトは、ルナの両親が結婚を反対したら、もういっしょに暮らせなくなるかもしれないと、そればかり心配していた。 だが、それ以上のことが起こった。アズラエルは、傭兵をやめてしまう。ルナと結婚するには、傭兵をやめるしかないからだ。でも、そうしたら、ピエトは、アズラエルといっしょに住んでいては、傭兵にはなれない。アズラエルは宇宙船にいて、ピエトは軍事惑星へ。そして、傭兵の学校へ行って、認定の資格を取らなければならない。 宇宙船内には、傭兵の認定資格を取らせる学校はない。 ルナも、地球行き宇宙船の役員になりたいと願っている――ピエトはそれも知っていた。 つまり、ピエトが傭兵になるといっているかぎり、ふたりとは一緒に暮らせない。 ピエトの目に、大粒の涙が浮かんだ。 「お、お、俺が、傭兵にならないって言ったら、子どもにはしてくれない?」 こちらは、ルナもアズラエルも予想外の返答だったものだから、焦った。 「おい待て――なんでそんなことを考えた?」 ピエトは大声で泣き出した。 「俺、俺、いやだよ……ずっと、アズラエルとルナと、いっしょにいたい」 ピエトがいっしょに住むことになったとき、ピエトとアズラエルは約束をした。 ルナを泣かせないこと。 二度と盗まないこと。 L85に帰りたいとは言わないこと。 病気をちゃんとなおすこと。 タケルたちと仲良くなること。 学校へ行くこと。 ――ピエトは、ちゃんと約束を守ってきたつもりだった。 傭兵になるために、過去を捨てた。自分で、ゴミ捨て場に捨てて来た。 「俺は、アズラエルとルナも捨てて、傭兵にならなきゃいけねえの?」 さすがにアズラエルとルナは、顔を見合わせた。 「ピエト、俺はべつに、おまえに強要した覚えはねえ」 アズラエルはピエトの頬を両手ではさみ、しっかりと目を見て言った。 「おまえが傭兵になりてえっていうから、特訓を始めただけだ。なりたくなきゃ、それでいいんだ」 「俺ひとりで、傭兵になんかなりたくねえ……俺はもう、ひとりはイヤだ」 「おまえをひとりにする気はねえよ――俺たちは、家族だろ?」 アズラエルはピエトを抱きしめた。ピエトの泣き声が、一層激しくなった。ルナも、横からピエトの頭を撫でた。 「ねえピエト、可能性を決めつけないで」 ルナは静かに言った。 「あたしだって、このあいだまで、なりたいものなんかなかったんだよ?」 ピエトは、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。 「地球に着いてからでもいいじゃない。ピエトが進みたい道を決めるのは。傭兵でもいい、地球行き宇宙船の役員でもいい、ほんとうにピエトがなりたいものを見つけたら、きっと、ピエトのほうがあたしたちのことを置いて行っちゃうよ」 「そんなことねえもん! ――俺は、」 「あたしもそう思ってた」 L77の田舎町で、一生を終えるのだと思っていた。ツキヨおばあちゃんのお店のお手伝いをしながら、いつかおばあちゃんの代わりにレジにすわったりして、そうやって、何ごともなく、とてもしずかに暮らしていくのだと思っていた。 でも違った。 ルナはいま――地球行き宇宙船にいる。 「分からないんだよきっと。なにが起こるかなんて」 ルナは微笑んだ。 「でも、あたしたちとピエトは家族だから。あたしとアズがピエトのおうちで、家族なの。ピエトの帰る場所はここなの。だから泣かないで」 「ピエト、おまえが何になろうが、それはおまえの自由だ。――俺は言ったろ? 過去を捨てるときに、お前自身で決めろと」 ゴミ袋にまとめた過去を、捨てるか捨てないかは、自分で決めろ、とアズラエルは言った。 「おまえは過去を捨てて、傭兵になったんじゃねえ――俺たちの子になったんだろうが」 ピエトは、アズラエルにしがみついた。しばらくのあいだ、そうやって泣き続けていた。ルナはピエトの頭を撫でつづけ――アズラエルのTシャツが涙と鼻水でぐっしょり濡れて、大洪水になったころ、ピエトは眠っていた。 やっと眠ったピエトをはがして、Tシャツを着替えに行こうとしたアズラエルだったが、ピエトがものすごい力でしがみついていて、離れなかった。 アズラエルは仕方なく、そのまま眠ることにした。 「――腹がつめてえ」 ルナは、ぷくぷくと笑って、いっしょに眠りにつくことにした。 |