K34区は、ホワイト・クリスマスとはいいがたい、湿った雨雪が地面を濡らしていた。午前二時――ラガーでもすっかり、客の姿はなくなった。

 「気を付けて帰れよ。これ以上はしごすんじゃねえぞ」

 オルティスが、最後の常連客を送り出し、「CLOSE」の札を下げたところで、いい匂いが鼻をついた。

 「なんだァ? この匂い」

 くんくんと、犬のように鼻をヒクつかせながら厨房まで行くと、大鍋に、豪勢なパエリアが出来上がっていた。

 

 「すげえな!」

 ムール貝に特大エビにホタテ、アサリ――魚介と鶏肉と、野菜がちりばめられた、アツアツのパエリアに、オルティスは顔を輝かせた。

 「だろ? バーガスに習った」

 「バーガスか! アイツのつくるメシはプロ並みだ」

 パエリアは、グレンがつくったのだった。アズラエルほど器用とは言えないが、勤勉なグレンは、二三度の試行錯誤を重ねた末に、パエリアくらいは作れるようになっていた。

 「グレン、そいつを店のテーブルに運んでくれ。いいシャンパンがある。ささやかだが、クリスマスを祝おうぜ」

 「そいつはいい」

 グレンは、パエリアの鍋と取り分ける皿、フルートグラスを薄暗い店内に運んだ。オルティスが、いそいそと、バーガスがグレンに持たせたブッシュ・ド・ノエルを冷蔵庫から持ってくる。

 「そいつは、ヴィアンカと食えよ」

 グレンは、とくに甘いものは好きではない。そういうと、「そうか?」とオルティスはもどっていった。

 

 「クリスマスに野郎ふたりじゃ、色気がねえな」

 そういいながら、オルティスは、何年越しにつかっている古びたクリスマス飾りを、申し訳程度にテーブルに置いた。豪勢なパエリアと並べて、すこしはクリスマス気分だ。

 オルティスとグレンは、クリスマスのベルのような音を鳴らして、フルートグラスを乾杯させた。さっそくパエリアを頬張ったオルティスは、「おお、うめえ」と感嘆の声をあげた。

 「バーガスは、このまま地球まで行って、船内役員になって、レストランでも出さねえかな」

 オルティスは言った。

 「あいつがレストランを出したら、通うのに」

 「チンピラだらけで、一般客が居つきそうにねえな」

 「俺の店みてえだな」

 ふたりは笑った。

 「アイツは、傭兵の仕事を、なんだかんだ言いながら愛してる。無理だろ」

 「あ、酔っ払う前に、こいつをやっとく」

 オルティスは、エプロンから、茶封筒を取り出して、グレンのほうへ押しやった。

 グレンはフルートグラスをテーブルに置き、眉をしかめた。

 「おまえ、バイト代は出ねえっていったじゃねえか」

 「建前だ、建前! こっちから頼んで、クリスマスじゅうこき使っといて、一デルも出さねえ気はねえよ」

 グレンは中身を確かめたが、そのまま、オルティスに突き返した。

 「いらねえよ」

 「そういうな。そんなに入っちゃいねえが――次を頼みにくくなるだろ」

 オルティスは、あくまでもグレンが遠慮しているのだと思って、もう一度グレンのほうへ押しやった。グレンは、今度は突き返さなかったが、封筒をテーブルに置き去りにしたまま、ぽつりと言った。

 

 「金に困ってるなら、俺にバイト代なんか出してる余裕はねえだろ」

 「……!」

 オルティスの顔が強張った。

 「さっき、俺が店に出ていたときに、船の――けっこうなお偉いさんが来た」

 グレンは、受け取っていた通知を、オルティスに差し出した。オルティスは、動揺した顔で、それに目をやった。

 「イエローカードだとよ。おまえが、これ以上知り合い関係に金を借りまくるようなら、船内役員の資格を取り消すって」

 「……そいつが、そう言いやがったのか」

 「ああ」

 グレンを従業員だと思ったらしい。彼はそう言って、店を後にした。オルティスが、借金? グレンは青天の霹靂で目を白黒させていたが、おりしも、店がいちばん混んでいた時間帯だった。オルティスに話すこともできず、通知はポケットにつっこんだまま、仕事をつづけた。

 

 「オルティス」

 グレンは、オルティスのグラスにシャンパンを注いでやりながらつぶやいた。通知を読むオルティスの手は震えていた。

 「俺は、ドーソンで、金の亡者どもの目はよく見て来た」

 「……」

 「おまえは、そんな目をしちゃいねえ。金に困ってるっていうのは、よほどの理由があるんだろ」

 オルティスは、目を上げた。涙が光っているようにグレンには見えた。街を彩るクリスマスの光が、オルティスの白目に反射しているだけのようにも。

 

 「傭兵関係か」

 オルティスは、ややあって、うなずいた。

 「……ああ」

 「じゃあ、きっと俺には言えねえな」

 オルティスは鼻をすすり、力強く言った。

 「俺は、おめえがドーソンだとか、そんなことを気にしちゃいねえ。傭兵とか、関係ねえ。傭兵時代から引きずってることなのはたしかだが――こいつは、だれにも言えねえことなんだ。俺の恩人の、命がかかわってる」

 「……ヴィアンカも知らねえのか」

 「言っちゃいねえ」

 グレンは、オルティスが抱えているものが何なのかは、さっぱりわからなかったが、どうにも、ずいぶんと長い間抱えてきた物事であろうことは、見当がついた。

 そしてオルティスは今、追いつめられている。

 もう一度、オルティスがだれかに金を無心したことが発覚したら、船内役員を取り消すイエローカードもつきつけられた。

 

 「オルティス、追いつめられたってことはな」

 グレンは、シャンパンを干した。

 「解決のしどきなんだよ」

 「……!」

 グレンはやはり、封筒をオルティスの手に握らせた。

 「金は要らねえ。そのかわり、今日はとことん飲ませろ」

 オルティスは、苦笑した。

 「そっちのほうが、高くつきそうだな」

 

 



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