――あけて、新年。

 地球行き宇宙船の航路は、いよいよ三年目に突入した。

 どさくさまぎれに、グレンとセルゲイも水上コテージで新年を迎えることになったが、セルゲイはともかく、グレンは、ルナに用事があったのだった。

 

 「あけましておめでとうございます」

 「あら、グレンくん」

 十時ころ、ルナの部屋をノックした男性は、グレンだった。ドアを開けたリンファンは、そこにいたのがグレンだったので、びっくりした。

 「失礼、ルナはいますか」

 「ええ、いるわよ。ルナ!」

 「はいはーいっ!!」 

 ルナがぺぺぺぺぺと走ってきた。テラスで、魚を見ていたのだ。

 「あっグレン! おはよ!」

 「ルナ、あけまして、でしょ」

 「あけまして、おめれとうございます」

 「おめでとうございます」

 ルナが律義にお辞儀をしたので、グレンもお辞儀をした。

 「ルナ、すこし頼みたいことがある」

 「ほ?」

 

 グレンに連れられて、部屋をあとにしたルナの、まあるい後ろ姿を見つめながら、リンファンは、ドローレスに言った。

 「あのねあなた、これ、バーガスくんの話なんだけど」

 ドローレスは、新聞を読んでいた。

 「グレン君とセルゲイさんも、ルナのこと好きで、取り合ってるんですってよ」

 ドローレスが吹いたコーヒーは、新聞が受け止めた。

 「なんだと?」

  

 

 グレンは、ルナを海岸まで連れ出し、周囲にだれもいないことをたしかめてから聞いた。

 「なあ、おまえ、今回はZOOカード、持ってきてないのか」

 「持ってきてるよ」

 あの気まぐれなうさぎたちは、いつ、どんな知らせを寄越すかわからない。ルナはちゃんと、ZOOカードボックスも持ってきていた。

 「オルティスのことを、その――調べられるか」

 「えっ!? ラガーの店長さん?」

 ルナのうさ耳が、ぴこたんした。

 グレンが砂浜に腰を下ろしたので、ルナも隣に座った。コテージの一番端にある、ルナの家族の宿泊部屋から、グレンとルナの姿は見えた。

 「もしかして、グレン君が、ルナに告白を――」

 「アズラエルを呼んできた方がいいか?」

 などと、ドローレスとリンファンが窓からのぞいているのを、ふたりは知らなかった。

 

 「ラガーの店長さんがどうかした?」

 「どうかしたってわけじゃァねえんだが」

 グレンは、言いにくそうににごした。

 「俺も、くわしいことは分からねえ。だが、オルティスは今困ってる。追いつめられるほど、悩んでる。――昨日、ここに来る途中にセルゲイから聞いたんだが」

 グレンはためらいがちに話した。

 「オルティスは、マタドール・カフェのマスターにも何度か金を借りてる。今回は、方々に声をかけていて、ついに、宇宙船の偉い奴が、ラガーにまで来て、通知を置いて行った。これ以上あちこちに金を借りるようなら、船内役員の資格を取り消すってな」

 

 「ええっ!」

 ルナは叫んだ。

 「それって、ラガーがなくなっちゃうの」

 「ああ」

 グレンはうなずいた。

 「酔いつぶして吐かせようかと思ったんだが、無理だった。だがオルティスは、恩人のために、もしかしたら、相当の金を工面しようとしてるのかもしれねえ」

 「恩人……」

 ルナは、しゃきん! と立った。

 「ちょっと待っててグレン、あたし、ZOOカードを持って――」

 

 そのときだった。

 ルナとグレンの耳に、その歌が、流れ込んできたのは。

 

 聞き覚えのある曲だったので、とっさにそちらを見た。ルナとグレンがいる砂浜のずっと向こうに、ひとりの老女が立っていた。海に向かって歌っているその声は、ルナも立ち尽くすほどの迫力を持って、真に迫った。

海風の音にも負けない、伸びる声。

 

 「バラ色の蝶々……」

 ルナは思わず、聞き知った、曲名をこぼした。

 

 「おい、ルナ!」

 ルナは老女に向かって、走っていた。砂に足を取られ、もともと低スピードのルナだったが、やがて追いかけるという意味すらもたない速度で追いついたグレンがルナを持ち上げ、老女の傍までルナを運んだ。

 ルナがつくまでに、一曲終わっていた。

 老女と、その後ろにうずくまって、陶酔したように老女の歌声を聞く中年男性。

 老女は、ルナもグレンも一瞬はっとするほど美しかった。見目麗しいと形容するには年を取りすぎていたが、華やかさがあった。髪の毛は真っ白だったが、抜けるような白い肌と、安物と見て分かるが、上品なワンピースに、褪せてはいるが、磨かれたヒール。

まるで女優のようだった。

 そのうしろにうずくまる男性は、老女の息子ともいえるような年のはずなのに、老女より老けて見えた。顔立ちは整っていて、身体つきもしっかりしているが、ずいぶん年寄りに見えた。長い間着たおした、よれよれのジャケットが、一歩間違えば浮浪者寸前だった。

 

 ルナは老女の顔に見覚えがあった。そう――CDジャケットで見た、あの「顔」だ。

 

 「バラ色の、蝶々……? さん?」

 ルナが口にしたのは、ZOOカードの名称だった。ツキヨとともに、乗るはずのもうひとり。

――「アンドレア事件」の、アンドレア・F・ボートン――。

 歌手名、アン・D・リュー。

 

 「そうよ。バラ色の蝶々。あなた、若いのによく知っていらっしゃるのね」

 アンは、曲のことを聞かれたのだと思って、微笑んだ。

 

 



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