バスの中でも驚愕の事実がつぎつぎと発覚し――あんまりびっくりしたせいで、ポテチが五袋しか食えなかった、というのはオリーヴの談である。 海辺に着くまでの二時間は、けっして二時間ではなかった。三十分くらいしか経っていないように、だれもが感じられた。 「オッヒャー! なにこれステキィ♪」 オリーヴが、バスから転げ落ちるように飛び出て、大歓声を上げた。 海岸線に沿って、立ち並ぶ水上コテージ。エメラルドグリーンと濃いブルーが混ざり合った、きらめく浅瀬が、どこまでもつづいていた。ここが今日の宿泊場所だ。少し離れたところに、巨大なリゾート・ホテルもある。 「さすが兄貴! 女喜ばせることにかけてはプロだよね!」 「てめえを喜ばせる気はなかった」 薄情な兄貴の言葉は、語句として認識しないまま、オリーヴの鼓膜を過ぎ去っていった。 「よっしゃ! ボリス! 今夜はロマンチックに励むぞォ!」 「励みてえところだが、そんな気分がもどってこねえよ」 今夜は、再会の喜びに満ちた、どうもすこやかな夜になりそうだ。ボリスは海風に煽られながら、みじかくなったタバコを携帯灰皿に押し付けた。 「素敵なとこだねえ……あたしの生まれた場所に似てる」 海風に目を細めるツキヨを見て、アズラエルがだれを喜ばせるためにここを予約したのか、ルナにもわかった。 「ばあちゃんの生まれたところに似てるの?」 ピエトはすっかり、バスの中でツキヨと仲良くなっていた。 「そうさ。ばあちゃんは、地球で生まれたの」 「それ、ルナから聞いたぜ!」 「ほんとかい? ――海を、もっとちかくで見たいねえ。連れて行ってくれるかい、ピエト」 「うん! いいよ」 ピエトは、ツキヨおばあちゃんと手をつないで、ゆっくり波打ち際へ歩いて行った。 「コテージはルーム・サービスもあるが、ホテルのレストランを予約してる。まだ時間は早い。コテージのほう、見てくるか」 ツキヨとピエトの背をながめていたルナは、アズラエルの声に、はっとした。 「う、うん。そうする」 ルナはトランクを取りにバスにもどろうとして――アズラエルが持っているのに気付いた。 「ふひゃ! いつの間に!」 「……バスはとっくにもどったぞ」 バスはなかった。アズラエルの呆れ声がして、ルナのほっぺたがぷくりぷくりと膨らみ始めた。 「それにしても、こんな時期に、よくこんないいホテルが取れたね」 ルナは、ほっぺたを膨らませるのをやめた。今日は、少しおとなになると決めていた。いいながめの水上ヴィラは、E353でも人気の宿泊地だろう。ルナの親から連絡が来たのは21日で、よくこの繁忙期に空いていたと、ルナは感心したが――。 「バカだな。21日に予約したって取れるわけねえだろ」 アズラエルは、最上級の呆れかえった顔をした。 「メフラー商社の連中総出で来るってわかったときに、予約しておいたんだよ」 かなりまえのことだ。ルナも呆れた。 「じゃあ、ツキヨおばーちゃんのためでもなんでもないじゃないか!」 「だれがばあちゃんのためだといった。ばあちゃんが来るかどうかなんて、わからなかったんだからな。ここは、お前が好きそうだから、予約したんだ」 「……!」 ルナは、しごくおだやかに、うさ耳を収めた。 「とりあえず、ぜんぶ貸し切っておいて、正解だった」 「ここぜんぶ、予約したの!?」 ふたたび、ルナのうさ耳が、これでもかといういきおいで跳ねた。 「クラウドたちも、最初はここに行きたいと言ってたんだよ。だが、予定が変わってよかった。おかげで、ツキヨばあちゃんやドローレスさんたちの宿が空いたしな」 「……」 たしかに、ぜんぶ借りて、正解だったかもしれない。こちら側の海岸のコテージは、七棟――これから、バーガス夫妻も来る予定だし、もしかしたら、クラウドたちも来るかもしれないとなったら。 ルナが、口をぽっかりあけて、なにか言おうとした――そのとき。 「アズ君」 ルナはしゃきーん! となった。アズラエルも心なしか、しゃきーん! とした気がルナにはした。 「今日は、いろいろ予約してくれて、ありがとう」 つばの広い帽子をはためかせて、アズラエルに微笑んでいるのはリンファンだった。むろん、ドローレスも傍にいた。 「アズラエル、ひさしぶりだ」 ドローレスは、めずらしく、口元に微笑をたたえていた。 (パパ? 怒ってない……) ルナは、しゃきん! となった肩を、やっと下げた。 「わたしのことを、覚えているか」 「ええ――もちろん」 「そうか」 ドローレスはうなずいた。 「アズラエル、いろいろな話は、明日、ゆっくりしよう」 「え? あ、は――はい」 ルナは目を丸くした。アズラエルがどもっている。ドローレスは、海のほうを見つめて言った。 「わたしも、予想外のことが起こって、動揺している。今日は、親父さんや、皆のために時間をつかいたい。おまえとは、明日、ゆっくり話をしたいが、どうだ?」 「は、は――」 だらだらと、アズラエルの背をイヤな汗が流れる。 「では、食事のときに」 アズラエルの尋常でない緊張ぶりを見て、ドローレスは苦笑して話を切り上げた。そして、荷物を持ってコテージのほうへ向かう。コンシェルジュが、コテージをつなぐ橋の上に待機していた。 「アズ君」 ふたたびリンファンの声――アズラエルの背筋が反り返った。 「ここまで来てよかったわ。あたしたち、あなたと会えたことも嬉しいの。ほんとよ?」 リンファンは、ルナに目配せをして、夫の後を追っていった。 アズラエルの口から、それはそれは盛大なためいきが、漏れた。 「アズがどもったの、はじめて見た」 ルナが遠慮なく言うと、「だれにも言うな」とあまり力のない声が返ってきた。
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