「な――なんで、おめえが、アンのことを」

 可愛くない大ワニは、新年から店を開けていた。昼間だということもあって、客はぽつぽつとしかいないようだったが、オルティスはカウンターに立っていた。

 『やっぱり、アンドレアは生きてんのか』

 電話向こうでグレンの嘆息――オルティスも、グレンも混乱していた。

 『おまえが借金を重ねていた理由ってのは、アンドレアを宇宙船に乗せるために、チケット代を貯めていたってことで――あってんのか』

 「……」

 重苦しい沈黙が数秒、つづいた。やがてオルティスは、「そうだ」と肯定した。

 グレンの、深いためいき。

 

 『くわしいことは、ルナがあとから説明する。俺もさっぱりだ――地球行き宇宙船の席が一席だけ空いてる。急がなきゃ、10日には、宇宙船がE353を出立しちまう。アンドレアさんと連絡は取れる状況なんだろうな』

 「あ、ああ――でもなんで――ルナちゃんが?」

 オルティスは、にわかに信じられないようだった。電話向こうで、グレンも苦笑していた。

 『ゆっくり話す。今度な――とにかく、すぐ行動しろ。10日はすぐだぞ』

 「お、おうっ!」

 オルティスは受話器を置き、あわただしく店内にもどった。常連客ばかりなのを幸いに、拝みたおした。

 「すまねえっ! 今日の勘定はなしにするから、今から店じまいだ!」

 「あんだと? 来たばっかだってのに」

 「1日からやってて、俺たちが飲める店なんてここしかねえのに!」

 もと傭兵やチンピラ出身の役員たちは騒ぎ立てたが、オルティスは謝った。

 「悪いな、今度来てくれたらサービスするよ! たいせつな用事が出来ちまったんだ」

 しぶしぶ、客たちは腰を上げた。この店が年中無休なのは、彼らも知っている。オルティスが休むというからには、よほどの用事なのだろう。

 男たちは、一杯しか飲んでいない酒の代金を置いて、去っていった。オルティスは「いらん」と言ったのに、置いていった。彼らも、オルティスが借金のために奔走していたことを知っているのだろうか。

最後に、フランシスが――この店の古くからの常連で、派遣役員で、顔中傷だらけのもと傭兵役員は、オルティスの肩をぽん、とやって、紙幣をカウンターに置いた。

 

 「なにか、困ったことがあるなら相談に乗るぞ」

 「……おめえにも、迷惑かけたよ」

 オルティスが知り合いの役員に、金の無心に動いているのは、フランシスも知っていた。

 「だがよ、そいつが解決しそうなんだ」

 「そうか」

 オルティスは、降ってわいた僥倖に、恐ろしげな顔を笑みにゆがめ、フランシスも、にかっと笑った。可愛くない大ワニと、ゴリラの笑顔の競演だった。

 

 オルティスは、店の外に「CLOSE」の札を下げ、さっそく、仲間のもとへ電話した。

 「マルセル! マルセル、――いい話だ、いい話!」

 オルティスの声は、ヴィヴィアンが生まれたとき以来に、弾んでいた。

 「地球行き宇宙船のチケットが、手に入った!」

 『そ、そりゃァほんとうか!』

 相手の声も、感激に弾んだ。

 『金が貯まったのか。ほんとになんとかできたのか』

 「いいや、こいつは、俺のダチから――一席あまってるんだ! アンドレアを乗せてやれる!」

 『一席……』

 

 急に、マルセルの声が戸惑いに揺れた。オルティスも、そこではじめて気づいてはっとした。

 一席。グレンは一席だけと言った。

 つまり――。

 

 「マ、マルセル、」

 『オルティス! わかった、アンには俺から話しとく! 明日、午前10時、E353の駅のショッピングセンターの、オカリナって喫茶店で待ってる。西通路の、入り口にある店だ。どうか、アンを乗せてやってくれ!』

 「マルセル、マルセル……、すまねえ……!」

 『いいんだ、いいんだ。おめえはよくやった! おめえががんばってるのを見て、神様が用意してくださった空き席だ! こんなチャンスを逃しちゃいけねえ――』

 マルセルの声は弾んでいた。

 『どうか、アンを頼む』

 電話は切れた。オルティスは、泣きながら電話を置いた。

 「……マルセル、すまねえ」

 

 

 

 オルティスは、すぐグレンに連絡し、ルナに礼を言った。そして、約束どおり、E353に降り、朝9時から、西通路のオカリナという喫茶店で、商店街の様子が見渡せる2階席の窓際で、マルセルとアンを待った。

 ルナも、オカリナに来た。ピエトと、グレンとアズラエルと、セルゲイと。待ち合わせ時刻の10時はあっというまにきた。アンもマルセルも、来ない。

1時間が過ぎ、2時間が過ぎた。

 ふたりは、いっこうに現れなかった。

 

 「ほんとに、この店なのか」

 グレンが、さすがにいぶかしく思って聞いたが、「たしかにここだ」と、オルティスも困り顔で言った。

 ピエトがタブレットで検索すると、「オカリナ」という喫茶店は、E353ではここしかなかった。

 オルティスは、携帯電話で、マルセルとアンが住んでいるはずのアパートに電話をした。

 『お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません』

 薄情なアナウンスを聞き、オルティスはつぶやいた。

 「アンとマルセルは、アパートは解約して、出たことは出たんだな……」

 「俺たちが、ふたりと海岸で会ったとき、マルセルってヤツは、俺たちを不審者あつかいして、逃げていった。もしかして、俺たちの姿を店内に見て、入ってこれなかったのか」

 グレンが言ったが、オルティスは首を振った。

 「まさか。いくらなんでも、話しかけたヤツを、片っ端から不審者あつかいしてちゃキリがねえだろ。ふたりが人を避けて暮らしてきたのは事実だが、そこまでじゃねえ」

 ここは、L系惑星群からはずいぶん離れているんだ。オルティスは言った。

 

 「俺の顔を知っていたとか――」

 グレンはドーソン一族の嫡男である。全員が、はっとした。

 「やっと俺がドーソンだって気づいてもらえるほど、忘れ去られていた事実でよかったよ……」

 グレンは肩をすくめ、

 「いったん、俺たちは帰る。俺が姿を消したら、姿を見せるかもしれねえ。うまくいったら、連絡をくれ」

 「ああ――すまねえな、グレン」

 

 ルナたちは、店をあとにした。だが、オルティスの携帯には、マルセルやアンからの連絡は、いっさいなかった。

 オルティスは、閉店まで、喫茶店に座っていた。

 

 



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